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      〜人殺し〜

 サン、ティア、リリーの三人が振り向いた時には、生気を感じない瞳の子供が、短剣を手にして地面を蹴り、走り出していた。

「いけません!」

 ティアはそう叫んだかと思うと、母親である女を庇うように前に立ち、子供の動作とは思えない殺気に満ちた動きの先に身構えた。その刹那、鈍い嫌な音がし、地面の上には鮮血が落ちる。

 子供は震え、覚束無い足で何歩か後ずさり、手には血に染まった短剣が握られていた。

 ティアは顔を歪め膝をついた。

「ティア!」

 サンとリリーは眼の前の光景に声を上げた。

 子供の手に固く握られていた短剣を、ティアは指を一本一本剥がす様に取った。子供の体は微かに震えていた。正気に戻っているのか、自分がしてしまった事への恐怖を感じているようだった。

 ティアは刺された場所を手で押さえ、子供の額へと手を伸ばし、指で額に触れようとした瞬間、空気を引き裂くように母親の声が響いた。

「やめて! 私の子供を殺さないで!」

 母親の悲痛な叫び声に、ティアの手は瞬時に止まり、今にも壊れてしまいそうな瞳で、子供を見つめると目を伏せ口を開く。

「リリー! この子の心に寄生している妖魔を消してください。急いで! この子の……心が、壊れてしまい……ます」

 ティアはそう言うと、力なく地面にそのまま倒れこんでしまう。

「ティア!」

 サンはそう叫ぶと、ティアの所へと駆け寄り、ティアの体を抱き起こした。

 リリーは子供のもとへと走っていき、子供の瞳の前にしゃがみ込んだ。子供の体はガタガタと震え、リリーの伸ばした手を毛嫌いするように振り払った。恐怖に怯え脆いガラスが震えるように危うい雰囲気を持っていた。

「安心して、大丈夫」

 リリーはそう言い優しい笑みを浮かべて、子供の額に人差し指を当て目を閉じる。すると子供は眠るように目を閉じて、リリーの方に倒れ、体重を預けてきた。

「もう大丈夫だからね」

 リリーはその子を優しく抱きしめ、頭を撫でながらそう言った。


「あんた! 命の恩人に向って今の言いぐさは何なんだよ!」

 サンは憤りを抑える事ができなかった。ティアが自分の身を挺して母親である女を庇ったにも関わらず、「殺さないで!」等と、お前は人殺しだと言わんばかりの言葉。サンは母親である女を睨んだ。

「……サン、いいのです」

「ティア、大丈夫か?」

「……大丈夫です。私は死にたくても死ねませんから」

 ティアは皮肉いっぽい笑みを浮かべてそう言うと、今にも泣くのではないかと思われるくらい、深い悲しみの影を漂わせていた。

 サンが、ティアのその言葉を理解するには、情報が足りなかった。

 ただ、眼の前の消えてしまいそうな儚げな姿のティアを見ていて、自分の中の大事な何かが同じように消えてしまいそうな気がして心に怯えを感じていた。

 母親である女は、自分の言った言葉を後悔しているのか、手で顔を覆い泣いていた。サンもそれ以上何も口にせず、傷ついたサンを背負いその場を後にし、家の中に入っていったのだった。

 街の住人達も、ティアと神使として覚醒したリリーに対して、今までの批判と迫害とは違う後悔と懺悔を含んだ目線を送っていた。



 蝋燭の揺れる薄明かりの中、ティアは腹の部分には包帯が巻かれた状態で、布団の上に横になっていた。

 その隣には主である老人の遺体が冷たく横たわっていた。

 それは他の者が見れば異様な光景かもしれないが、リリーにとっては父のように慕っていた主と、弟、否、兄の様に思っているティアの存在は、自分の命よりも大事な存在であり、かけがいのないものだった。

 サンとリリーはティアの傍らに座り、心配そうな表情でティアを見つめていた。

 リリーの体からは翼は消え、もとのように顔のアザとしてその姿を変えていた。力を解放した時にだけ翼は現れるようだ。リリー自身が自分の体の変化に一番驚いていた。

 サンは自分の掌にある闇色の宝石を見つめ、ギュッと握り締めた。その瞳は少女には感じない力強さと、その反面そうならざるをえない何かを秘めているようだった。

 

「ねえ、サン、貴女はなぜ女である事を隠しているの?」

 リリーの突然の問いに、サンは少し困ったような表情を浮かべて、鼻で笑う。

 心を読めば容易にわかる事を、リリーはあえて力を使わなかった。

「この世の中、男で通した方が生き易い」

 サンのその口調には、これ以上自分のテリトリーに入ってくるなと言う拒絶と、何か奥歯に意味合いを含んだ雰囲気を漂わせていた。

 リリーはそれに気付いたが、それ以上、何も聞かず、サンの心を読む事もしなかった。

 誰しも人に知られたくない秘密の一つや二つあるものである。

 サンは自分が着ている装束の胸元を掴むと、リリーを睨みつけ口を開いた。

「……まさか、心を読んでいないだろうな」

 その言葉にリリーは、サンを蔑むような視線で見つめ、鼻で笑った。

「あなたよりも何年も長く生きているのよ。見ていいものと良くないもの判断ぐらいつくわよ」

 リリーのその言葉にサンは安心したように表情を緩め、切ない瞳で遠くを見ていた。

 自分が歩んで来た遠い遠い過去の記憶を思い出していたのかもしれない。

 


「う……ん……」

 ティアは呻き声と共に、眩しそうに顔を歪めながら目を開ける。そこには奥深い翡翠色の瞳が揺れていた。

「大丈夫?」

 リリーがティアの顔を覗き込むようにそう言うと、ティアは静かに頷いた。

「……リリー、封印の事、隠していて申し訳ありませんでした」

「ううん、確かに少し驚いたけれど、貴方にも主様にも考えがあっての事でしょう? 気にしてないわ」

 リリーは優しい笑みを浮かべると、ティアの額に手をあてた。熱は下がっているようだった。

 ティアはゆっくりと上半身を起こす。

「おい! まだ寝ていた方が」

 サンはティアの事を思い、強い口調だったが優しい心を感じさせる言葉を言うと、ティアは、それはそれは悲しそうに微笑み、自分の腹の部分に巻かれていた包帯を取ってしまった。 つい先程負った深手は綺麗に跡形も無く消えていた。

 サンは驚き、ティアの腹の部分と顔を行ったり来たりしながら見ていた。

 いくら潜在能力があったとしても、そんな短時間で、あの体力を消耗してる中、傷を癒すなどありえない事だった。だが眼の前のティアの傷は綺麗に消えている。

 それは異質であり、この線の細い華奢な青年の中に眠っている、強大な力を認めざるをえない現実があった。

 ティアのその力の存在は、人々の心の中の恐怖を駆り立てるものになるであろう事は、容易に考えつく事だった。

「……私はこの街を出て行きます」

「そう」

 ティアの突然の言葉にリリーは驚きもせず、納得していた。

 もしかすると突然の事ではなく、ティアの中ではずっと前から考えていた事なのかもしない。

 サンはこの美しい翡翠色の瞳を持った青年の中に、力がある故の深い悲しみと苦悩を感じ取っていた。


 夜は何事も無かったように明けていく。星が薄く消え始めていた。

 


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