〜赤い雨〜
岩壁にできた穴から出ると、雨が降り出しており、大地を赤く染め、一面に腐臭が漂っていた。
「この街にも雨が降るのか?」
マーラは眼の前の光景に鼻をつまみながら、ユーラにそう聞いた。
ユーラは、眼の前の光景に驚愕し、口を塞ぐ手が微かに震えていた。
「どうしました? ユーラさん」
ティアは眉間にしわを寄せ、手で口と鼻を押さえながらそう聞いた。目を見開いたまま、ティアの方を見つめたユーラの瞳は微かに震え、悲しみに満ちた色をしていた。
「ここには雨など降りません。これは……赤い川の水が漏れ出しているのです。ティア様、急がないと時間がありません。闇王を倒し漆黒の扉が開かれるのを阻止せねば、この世は何も無い闇に呑まれます」
ユーラのその言葉の真意はわからなかったが、時間が無い事だけは、ティアとマーラにもわかった。
その時、今まで空気の流れを感じなかった中、いきなり空気が動くのを感じ、それは風となって三人に吹き付ける。大きな翼を羽ばたく音が聞えてきた。
「黒鳥族!」
ユーラは自分の頭上を見上げそう叫んだ。
三人の頭上には、この街に入り込んですぐに、ハナコを襲った黒い翼を持った、羽毛に覆われた体の妖魔が翼を羽ばたかせ飛んでいた。
「闇王の手下です。逃げてください!」
ユーラの声に反応するように、ティアとマーラは走り出した。だが速さでは敵わなかった。
ティアとマーラが走る中、ユーラだけが立ち止まり、頭上の敵に身構えた。黒鳥はユーラ目掛けて急降下してくる。
ユーラは手を前に伸ばし、黒い球体を作り出すと、黒鳥に向けて放った。
黒鳥はその球体を難なくかわし、ユーラに突っ込んでくる。
マーラは咄嗟に地面を蹴り、飛び出していた。ユーラの体に抱きつくようして、一緒に飛ぶと地面に転がる。黒鳥からの攻撃を寸前でかわした。
ユーラとマーラを庇うように影が映る。立っていたのはティアだった。
ティアは、黒鳥に向って鋭い視線を向ける。
翡翠色の瞳が鋭い光を放ったかと思うと、ティアの足元の空気が動き出し、ティアの体を包むように光が渦を巻く。次の瞬間、黒鳥目掛けて、渦の中から放射状に光の矢が放たれ、ティアを包んでいた光が消える。
矢は黒鳥の羽ばたく翼を射抜き、次から次に黒鳥が地面に落ちていく。
だが全てを撃ち落とす事ができず、一体の黒鳥がティア目掛けて急降下してくる。
ティアは寸前で結界を張るが、その威力に吹っ飛ばされ、木の根元に思い切り体を打ちつけた。ティアは顔を歪め、体に走る痛みのためにすぐに立ち上がる事ができなかった。
黒鳥は地面に降り立つと、ティアに向って近付いていく。
その光景を目にしたマーラは、反射的に地面を蹴り、黒鳥に向けて長い爪を振り上げる。
一瞬、黒鳥の真っ赤な瞳がマーラを見たかと思うと、空気の塊がいきなりマーラの体にぶつかり、その反動でマーラの体は吹っ飛ばされ、ユーラの足元へ転がった。
「つっ……」
マーラは呻き声を上げ、顔を顰めながらティアの方を見る。
黒鳥はニヤリと笑い、ティアに手を伸ばした。刹那、青い光が風を切って黒鳥に向って飛ぶ!
「ぎゃああああ」
黒鳥の真っ赤な瞳には矢が刺り、傷口からは湯気が立ち、解け始めていた。
「遅れて申し訳ないね」
その声とともに、ティアの眼の前に降り立った影は、栗色の髪の毛を揺らし立っていた。
頭上にはまだ三体の黒鳥が飛んでいた。
ティアの眼の前に立っていた影は、素早い動きで弓を構えると矢を放つ、青い光が線を描き、黒鳥の翼を捉える。
「僕にもその矢をもらえますか?」
そう言って息を切らしながら走りこんできたのは、ちぢれた金髪の少年だった。栗色の髪の毛の女性は、ちぢれ髪の少年に矢を一本渡すと、二人で並んで弓を構える。
一瞬空気が張り詰め、緊張に包まれた。 刹那、二人の瞳に輝きが走る。矢は放なたれ青い光を放ち風を切り飛んで行き、黒鳥をみごと射抜いたのだった。
「ティア、大丈夫かい?」
そう言って、ティアの前に手を差し出したのは、青い街の神使、リンであった。
ティアは痛みに顔を歪めながら、リンの手を握る。リンは栗色の髪の毛を揺らしながら、ティアの体を引っ張り上げた。
「ティアさん、すみません。僕が不甲斐ないばかりに、サンが……」
「わかっていますよ。大丈夫、サンは強いですから。ライアン、来てくれてありがとう……これはサンの退魔の剣ですね」
ちぢれた金髪を掻き揚げ悔しそうな表情を浮かべるライアンに、ティアはそう言って優しく微笑むと、退魔の剣を受け取った。
ティアは悲しみを帯びた雰囲気を漂わせると、退魔の剣を握り締め、目を閉じ深呼吸をする。
「ティア、お前が気を放ってくれたおかげで、お前の場所がすぐにわかったのは良かったが、それは妖魔達も同じだ。この場所からすぐに離れないと」
リンは栗色の髪の毛を揺らしながら、そう言葉を発する。
「リンさん、来てくれてありがとうございます」
「何を言ってる。お前とサンのためなら、私は何処だろうと飛んでくる……お前の事だ、また、ああでもないこうでもないって、悩んでんじゃないのか?」
リンはそう言うと、ティアの黒髪をクシャクシャと撫で微笑んでいた。
ユーラは眼の前のティアの姿に驚きを隠せなかった。ティアとサンのために、このマーラを含め神使達が集まってくる。ティアを囲むその雰囲気は、この赤い雨が気にならなくなるほど輝いて見えた。
「凄げえだろう? 闇だとか光だとか、そんな力以前に、あんな風に皆をひきつける力を持ってるのさ。俺もそうだけど、皆、ティアとサンの事が大好きなんだよ」
マーラはそう言うと、ユーラに微笑みかける。
「……本当に……あの方を眼の前にすると、私自身が闇の存在だという事を忘れてしまいそうになります」
「あのさ……闇とか光とか、いいんじゃねえのそんなの。ユーラはユーラだろう?」
マーラはそう言って、ユーラに可愛らしいウィンクをして見せた、ユーラはそんなマーラを目を見開いて見つめていた。
眼の前の小さな少年の言葉に、ユーラの心は揺さぶられ、今まで感じた事のない温かさが心に広がるのを感じてた。
「マーラ、行きますよ。ユーラさん、大丈夫ですか?」
ティアの声が雨の音の合間をすり抜けるように聞えてきた。
マーラは飛ぶように起き上がり、ティアの所へ走っていく。ユーラはそんなマーラの後姿を見ながらゆっくりと立ち上がり、微かに微笑むとティアに向って歩き出した。
何も見えない暗闇の中で、呼吸の音だけが聞えていた。
「あれが、お前の父親かよ?」
サンは暗闇の中で、唯一光り輝くリッパーの瞳を見ながらそう言った。
「だったら、何だ?」
リッパーの明らかに不機嫌そうな声が響いていた。
「なんとなく、お前とは雰囲気が違うなと思って……お前のティアに対しての思いを目の当たりにした時、熱さを感じるくらいの思いが伝わってきた。だけどあいつの瞳は冷え切ってて、そこには何も見えない、何もない闇のような、ただ恐怖だけがそこにある感じだった」
サンは、闇王の瞳を思い出しながらそう言葉を紡ぐ。それと同時にあの真紅の冷ややかな瞳と、ティアの真紅の瞳に、似た色合いを感じていた。
闇王の持ってる雰囲気と、ティアの闇の力が放つ気はどことなく似てる……サンはそう思っていた。
だが、何かが確実に違っている。それはサン自身も感覚でしかなく、言葉に言い現せるものではなかった。
「女はおしゃべりだな」
ほんの少し悲しみを帯びたようなリッパーの声が暗闇に響く。
「なぜ、お前がティアを陥れるような事をする?」
静かだが、ほんの少し怒りを匂わせる口調でサンはそう言った。
「……うるせえよ」
「父親が怖いのか?」
サンの言葉に、一瞬、暗闇が揺れたような気がした。そして次に瞬間、リッパーの手がサンの首を力強く掴み、締め上げていた。
サンは苦悶の表情浮かべ、リッパーの手に自分の手をかけるが、振りほどく事ができなかった。
「俺にお前を生かしておく理由はない。余計な事を言えば命が縮むだけだ。覚えておけ」
リッパーの冷ややかな声が響き渡り、サンの首からリッパーは手を放した。
サンは喉を押さえ、激しく咳き込んでいた。
咳が少し落ち着いてきて、サンはゆっくりと口を開く。
「お前のティアに対しての気持ちは本物だったはずだ……正直、俺にはない絆を感じて悔しい気持ちもあった。お前はまだティアの事を思ってんだろう? ティアに悲しい思いだけはさせるな」
サンの言葉にリッパーは目を閉じ、一言も言葉を口にしなかった。
そこに確かに存在してるはすなのに、気配を感じる事ができないほど、静かな空間が広がっていた。
リッパーは自分の中の正直な真実から目を背け、耳を閉じ、離れてしまった。
もう手遅れだよ。サン、お前をティアの手から奪ってしまった今、俺はもう後戻りできない。結局、闇の者は闇に染まるしかない。光の下で存在する事はできないんだよ。
リッパーは心の中でそう呟き、ティア、否、シャイニンと過ごした時の事を思い出していた。