〜意思〜
「予想外の展開? いったい何があったと言うのです」
ティアの耳障りのいい声が空間に響く。
「……私の中にもう一つの私が生まれてしまった。それは破壊を好み、恐怖を振りまく事に快感を感じる意思。私はもう一つの意思に支配されそうになっていた。このままではこの世での私の役わりから逸脱してしまう。そう思った」
空間に漂っている空気が微かに震え、ティアもマーラも肌にひんやりとした空気を感じていた。
「二十一年前、お前がこの世に生まれ出でたあの時、私の力の半分をお前に託した。その意思に支配される事を望まぬ私が、悪あがきしてみたくなったのかもしれん」
ティアはその言葉に、闇の力を使った後になぜ自分の体に激痛が走るのか、闇の力自体が自らの意思を持つように動くのか、理由を悟ったような気がした。
自分の中に眠っていた闇の力には、自分自身の力とは別の父親の力が加わっていた。あの激痛はその拒絶を示し、自分の意思とは別に動きだす力は、自分の力ではなかったから……ティアはそう思い、目を伏せ笑いを吐き捨てた。
「なぜ、私にそんな事をしたのです。正直、私はこんな力いらなかった……」
ティアの悲しみに満ちた声が響き渡る。
「お前に力を託した理由は、忌まわしきもう一つの意思の力を弱くする事。だが、それは同時に私の力を半減させ、自分の中のもう一つの意思を抑えきれなくなってしまった」
「では、二十一年前に貴方の体を滅ぼしたというのは」
「そう、それは私自身、もう一つの意思は、この私の肉体を滅ぼすと、闇に魅了されし意思を実体化させ、私として闇の世界に君臨した。戒めなどと言う目的も持たず、ただ人間達を恐怖に陥れるためだけにな。力も肉体も失った意思だけの私を、そこにいるユーラは亡骸とともにこの地下で守り続けてくれた」
その言葉にユーラは目を伏せ静かに言葉を紡ぐ。
「私の一族は、代々主様にお使えしてきました。ですが今この世の闇に君臨するあの方を、主様と認める事はできませんでした。私が主と認めるのは、この暗闇に漂う意思と、そのご子息であるティア様、そしてもう一人……」
「ちょっと待て! お前ら何勝手な事ばかり言ってやがる。主がどうだとか、なんだか難しい事ばかり話しやがって。ティアはティアでしかないんだ。そんな身勝手な話を押しつけんじゃねえよ!」
ユーラの言葉を遮るように、マーラはティアにしがみ付きながらそう叫んだ。
ここに来てから、マーラはこの場の雰囲気に嫌なものを感じ、暗闇から発せられる言葉とティアとの間でかわされる会話を聞いていて、言いようのない不安に襲われていたのだった。
ティアはマーラを強く抱きしめて、髪の毛を優しく撫でる。
「おおよその事情は掴めました。今この世を消滅させようとしているのは、もう一人の貴方だという事、そして鬱陶しい事に、それを阻止するために私の中に闇の力を託した事」
ティアは薄暗い空間に鋭い視線を向けそう言った。言葉の端に怒りを漂わせていた。
「その通りだ、最後に一番大事な事、闇の意思の狙いは、私の力の半分を持っているお前の肉体を支配する事にある。闇の意思は、お前の翡翠色の瞳を怖れているはずだ。この世で唯一の純粋な光の力を象徴し、その瞳自体に力が宿っている。漆黒の闇の扉を開くのに邪魔になる力をな」
空間を揺らすその言葉に、ティアは自分の翡翠色の瞳を瞼の上から触る。
「光と闇の力を持つ者こそ鍵となり、その身を鍵とし扉を永遠に封印せん……」
ティアはあの予言の言葉を思い出し、そう呟くように声にする。空気が揺れ、風が舞いティアの漆黒の髪の毛を揺らしていた。
マーラはティアの口から漏れ出した言葉を、すぐには把握できなかった。自分の中で噛み砕き一つずつ整理しながら意味を辿っていく。
「ティア、今のは何だ? 光と闇の力を持つ者って、ティアの事だろう? それじゃあ、その身を鍵とし扉を永遠に封印せん……って、もしかして……駄目だ! そんなの絶対に駄目だよ!」
マーラはティアの装束を握り締め、強くティアの体を揺すりながらそう言った。
ティアは悲しい瞳をして、マーラの頬を撫でるように触ると、悲しみを漂わせ微笑む。
刹那、ティアの周りの空気が激しく揺れ、漆黒の髪の毛が暴れるように風に舞う。
「我が子よ、お前は水色の街で何を見てきたのだ……私やマヤがお前の死を望むと思うか? 私に対しての信用は無くてもかまわぬ、だがマヤがお前の死を受け入れるわけがなかろう」
暗闇に響き渡る声に、ティアは手を握り締め口を開く。
「ですが、あそこに書かれていた言葉は、貴方が残した物なのですよ。それは全て真実なのでしょう。でしたら、私が生まれた理由はこの世を救うための死を意味する」
ティアは左右の異なる瞳を凛と輝かせそう言った。その表情はすでのその覚悟はできている。そう言っているように感じた。
「人を愛し、愛される存在になれ、マヤはその言葉を残しただろ。この言葉の意味を何と考える」
低い声は空間を微かに揺らし、ティアの周りを吹き抜ける。
「それは……愛する者を守るためになら、自分の命をもってしても守り抜く覚悟」
ティアはそう呟き、睫毛を伏せた。マーラはティアの装束を震える手でより一層強く握り締める。ティアはそれを感じて、優しくマーラの手に自分の手を重ねた。
「確かにマヤはお前を守るために命を失った。だがそれと同じ事をお前に望んではいない、運命は自分で切り開くもの。愛する者の為に生きたいとは思わんのか? お前を愛してくれる者はお前の死を望んではいないだろう……違うか?」
ティアの周りに凛とした空気が流れる。ティアは自分の奥底にいる、正直でわがままな自分の意思を思い出す。サンの隣にいたいと願う自分の事を。
「愛する人のために死ぬのではなく、愛する人のために生きる事を……お前の気持ちと強い意思で、運命を打ち砕いて欲しいとマヤは考えたのではないか……お前の母親とは、私が愛した女とはそんな女だ」
その言葉は闇の存在としての戒めの言葉ではなく、一人の父親としての言葉であった。
柔らかい雰囲気をもつ言葉とともに、ティアの周りを温かい風が流れる。ティアは風に揺れる髪の毛を手で押さえ、真紅と翡翠色の瞳を静かに揺らしていた。
「……ティアは死なないよ。絶対に、だってティアが死んだら俺もクラマもササラもマリ様もユリカも悲しむ。それにサンはそれを絶対に許さない。だから簡単に死ぬなんて……言うな……お願いだから」
マーラの言葉がティアの心の突き刺さった。それは痛いほどにティアの心の中に浸透していく。現実を冷静に見れば、そんな楽観視できる状況はなかった。
ティア自身、自分がこの先どうなってしまうのか、把握しきれてなかった。
自分の中の闇の力の存在、剥がれ落ちてしまった記憶、そして……もはや漆黒の闇の扉が開かれるまでに、そんな時間は残っていない。そうなった時自分の身がどうなるのか、ティア自身でさえ想像がつかない。
そんな何もわからない未来に対して約束もできなかった。
「マーラ、わかりました。約束はできませんが、最後の最後まで生きるという事を信じようと思います」
ティアの揺れる瞳をマーラは真っ直ぐに見つめる。そしてティアの漆黒の髪の毛をクシャクシャと撫で、満面の笑みを浮かべてた。
マーラの精一杯の優しさが、ティアの心にジンワリと浸み込み、体の芯を温めてくれるようだった。
「我が子、ティアよ。お前に私の魂と共に名前を捧げる。私の名はダーク・ルーラ。この名はかならずやお前の力となろう。これで私がこの世に留まる理由は無くなった。ティアよお前はお前として信じた道を歩くがよい。会えて……嬉しかった」
言葉は風に乗り、ティアの周りを回りながら消えていく。
「主様!」
ユーラは眼の前の白骨化した遺体に駆け寄り手を伸ばす。だが、手が触れる瞬間、白骨化した遺体は、乾いた音をさせながら崩れ塵となって行った。
ユーラはその様を揺れる瞳で見つめ佇んでいた。
「ダーク・ルーラ……」
ダーク……その姓を聞き、ある妖魔の姿がティアの脳裏を過ぎる。
「ユーラさん、先程、言いかけましたよね? 主と認める存在がもう一人いると、それはもしかしてダーク・リッパーの事ですか?」
ティアの口から出てきた名前に、ユーラは驚いた表情を浮かべ振り向くと口を開く。
「はい、ダーク・リッパー様は、貴方様も兄上という事になります」
ユーラの言葉にティアは頭を抱え俯くと、笑い声を立てる。
リッパーの今までの言葉や行動が思い出されて可笑しかった。そして悲しいくらいにその全てに納得する。
「リッパー様とお知り合いですか?」
「ええ、まあ」
ユーラの問いに、ティアは溜息混じりに悲しげに答える。
「リッパーは、もう一人のダーク・ルーラと一緒にいるのですか?」
「ええ、ですがたぶん父親として認めてはいないと思います。あの絶対的な力に逆らえないだけなのだと思います」
ユーラはそう言うと、先程自分達が降りて来た階段の方を見てそう言った。
ティアはゆっくりと塵と化してしまった、ダーク・ルーラの元へと足を進める。
ただの小さな塵の山となってしまったダークルーラの傍らに膝を付くと、その塵を手で拾い握りしめ、胸に押し当てると静かに目を閉じた。
お父さん……ティアは心の中でそう呟く。
そんなティアの姿をユーラは揺れる瞳で見つめ、マーラは不機嫌な表情を浮かべていた。
ティアはゆっくりと立ち上がると、ユーラとマーラの方を向き口を開いた。
「さあ、サンを迎に行きましょう。早くしないと、遅いって怒られてしまいますからね。マーラ、臆病な私にまた勇気をくれますか?」
ティアはそう言うと、マーラに向って眩いほどの笑顔を浮かべる。
マーラはその言葉に、黒髪を揺らしながらキラキラ輝く笑顔を浮かべ、大きく頷いた。
ユーラはそんなティアの姿に、闇の世界には無い神々しいまでの光と温かさを感じ、居心地の悪い感覚に苦笑しながら俯いていた。
そして主であるダーク・ルーラが、ティアに闇の力を託した理由を、改めて思い知ったような気がしていた。