〜闇の力〜
異形な影がティア目掛けて落ちてくる。
ティアはその圧倒な数に回避する事ができなかった。次から次に、ティアの体の上に妖魔が乗りかかり、体のあらゆる所に噛み付いてきた。
全身に激痛が走り、血が吹き出る。声を出す暇もない。
ティアの白い肌が抉り取られ、血の匂いはまた新たな妖魔を誘い出す。
意識が薄れていくのをティアは感じていた。微かに残る意識の端の方で、何かが弾け飛ぶような音にならない音が聞える。
心臓の音が激しく高鳴る。血液が沸騰するのではないかと思われるくらいに、全身から熱を感じていた。否、熱ではない、痛みを感じるほどの冷たさだった。
妖魔達はティアの体から発せられる異様な雰囲気に、動きが止まり、怯え離れていく。
ティアの体は、黒い冷たいオーラに包まれていた。
闇の力はティアの意思とは関係なく発せられ、闇の力そのものが、一つの人格を持っているようであった。
黒いオーラは波打ち躍動しながら、周りの物を凍りつかせていく。
妖魔達は眼の前の光景に驚愕し、逃げようとするが、黒いオーラは逃げ惑う妖魔達に掴みかかり、一瞬にして氷の結晶と化していく。
何も見えない真っ暗な闇さえも凍りついてしまいそうだった。
ティアの周りに立ち並ぶ、氷の結晶と化した妖魔をティアは見渡し、口元を歪ませ皮肉っぽい笑みを浮かべると、両手を広げ思い切り手を叩く。
手を叩いた音は闇の波動となり、波打ちながら広がると、凍り付いた妖魔達をこっぱ微塵に粉砕してしまった。
黒いオーラはゆっくりとティアの体へと吸い込まれるように戻っていく。
ティアの体には激痛が走り、凍り付いた空間に膝を付き崩れるように倒れ込んでしまった。
自分の腕で自分の体を抱きしめ、装束を握り締めた手の甲には、血管が浮き出るほどの力が入っている。苦悶の表情を浮かべ、必死に痛みと戦っているようだった。
闇の力を使うつもりは無かった。だが自分の中にある闇の力は、勝手に発動して周りに影響を及ぼす。それはティアにとっても脅威だった。
自分の意思ではどうにもならない。自分の中にある死に対しての恐怖に反応してしまうこの力に、ティア自身が怯えていたのだった。
ティアは静かに目を閉じる。脳裏に浮かぶ記憶が、色薄くなっていくのを感じていた。
「ティア!?……ティア、いるのか!?」
小さな淀んだ赤い空から、知っている声が降ってくる。それはマーラの声だった。
「ちょっと、待ってろよ!」
マーラはそう言うと、近場に落ちていた枯れかかっている蔓を手に取る、両手に持ち蔓を張ってみると、強度には問題が無さそうだった。
マーラは近くにある木の幹に蔓を結びつけると、ポッカリと真っ黒く口を開いた穴の中へと降りていく。降りるにしたがって、空気がひんやりしていくのを感じる。
どんどん外の光が届かなくなり、周りは暗闇に覆われていく。思ったよりも深かった。
やっとの事で足場のある場所まで降り立つと、そこは一面冷たい氷に覆われていた。
痛みを感じるほどの冷たい気が漂っている事に、マーラは恐怖を感じていた。理由らしい理由は無い。ただ体の芯の方から否応無くこみ上げてくる恐怖だった。
マーラは足元に倒れているティアに気付くと、ティアの体に手をかける。異常なほどに冷たかった。
「ティア? 大丈夫か?」
マーラの声に、ティアの荒い息づかいだけが響いていた。その苦しそうな息づかいに、マーラの方までも苦しくなりそうだった。
「……マーラ……もう少し待って……くっ……」
暗闇の中で、状況が把握しきれない事もあって、マーラの心配が大きくなっていく。
「大丈夫なのかよ」
マーラは今にも泣きそうな声で、ティアの体を抱き起こし、その小さな体で包むように抱きしめる。
「大丈夫……」
ティアの弱々しい声が返ってきた。
「ティア、ここに漂ってる気はティアの物なのか?」
マーラの言葉に、ティアは声を出さずに悲しく微笑んでいた。暗闇でティアの表情はわからないが、なんとなく雰囲気でティアの様子を感じ取る。
「いるだけで痛い……こんなのティアの気じゃない」
マーラの言葉にティアは何も言わず、その白く長い指でマーラの頭を優しく撫でた。ティアの悲しみが微かに空気を揺らしているようだった。
体に走っていた激痛が徐々に弱くなり動けるようになってきた。朦朧としかかっていた意識もはっきりしてきていた。そしてティアは気付く。自分の中の記憶に大きな穴が開いてしっまている事を。
ティアが今まで生きてきた人生の大半を占めていた記憶が、スッポリと抜け落ちていた。
それは脳裏から無理矢理剥ぎ取られたように、痛みをともなう程の衝撃だった。
心には喪失感という冷たい風が吹き、寒くて凍えそうだった。
「ティア、動ける?」
マーラの声に、ティアは現実へと引き戻される。
ティアはマーラに支えられるように立ち上がった。
今は記憶を無くした事に悲観的になってる場合ではない。この闇の街に来た目的を果たさねばならない。その前にサンとクラマを探しだすのが先決。
「サンとクラマは?」
「俺もわかんない。とりあえずティアの気を感じたから、ここに来てみたんだ」
「そうですか、では急いで二人を探しましょう」
ティアは細い声でそう言うと、マーラを優しく抱きかかえる。体中に痛みが走ったが、歯を食いしばり深呼吸をし痛みを逃す。そして凍り付いた足場を足で叩くと、一気に穴の外まで跳躍した。
淀んだ空の下に出て、マーラはティアが全身傷だらけだという事に気付く。特に腕の怪我は酷かった。
「ティア、大丈夫なのか?」
「あまり、大丈夫ではないです……ね」
ティアはそう言って、その場に座り込むと、深く溜息をついた。
「ティア、この状態じゃ歩くも大変だろう。とりあえず、少し休んでいこう……なあ、そうしよう」
マーラは揺れる瞳でティアの顔を覗き込んでそう言う。ティアの返事次第では泣いてしまうのではないかと思うほど、儚げだった。
ティアはマーラの髪の毛を優しく撫で微笑む。
「そうですね。少し休んでから行きましょう」
そう言って、ティアは腕の怪我の部分に手を当てる。かなり深く抉られ、欠損部が大きかった。自分の治癒力をもってしても、治るのにかなりの時間がかかるだろう。とティアは思っていた。
ティアは近くの木の幹に体重を預けると茶色に覆われた木々を見ていた。
この街は死んでいる。だが朽ちもせず存在してられるのはなぜなのだろう? ティアの中にそんな疑問が過ぎる。
「この街の役目を知っていますか?」
いきなり頭上から声が降ってきて、ティアの前に一つの影が降り立つ。マーラは咄嗟にティアを守るように、その影とティアに間に入り込んで身構えた。
「これはこれは、勇ましいボディーガード付きですか? ティア様」
そう言って姿を現したのは、白い髪の毛に真っ赤な瞳をした、ユーラだった。
「マーラ、その人は大丈夫ですよ……たぶん」
「たぶん……ですか」
ティアの言葉にユーラはそう言って、鼻で笑う。
「また派手に力を使いましたね。おかげですぐにいる場所がわかりました」
ユーラの言葉にティアは悲しく微笑み、目を背けた。
ユーラは装束の下からしなやかな足を除かせ、ティアに近づいてくると、ティアの腕の怪我の状態を見る。
「かなり深いですね」
ユーラはそう言うと、装束の裾を噛み切り裂いて、傷口に巻き付けた。ティアは痛みに顔を歪ませる。二人の様子をマーラは不機嫌そうに見ていた。
「さっき、この街の役目が、どうのと言ってましたね。何の事です?」
ティアの言葉にユーラは少しティアの顔を見て、目を伏せると静かに言葉を紡ぎ出した。
「この街は、人間達の憎悪や妬み等の醜い心でなりたっています。ここに育つものは死んでいるのではなく、空っぽなのです。そうでなければ人間達の醜い心を受け入れる受け皿にはなれない」
ユーラのその言葉に、ティアは目を見開く。
人間達が持っている醜い心をこの街が吸い取っているのだとしたら、もしこの受け皿が無ければ、この世はすでに消滅していたのかもしれない。ユーラの言葉はそう言っているように聞えた。
「ティア、こいつ誰だよ」
マーラの言葉に、ユーラは微笑み口を開く。
「申し遅れました。私の名はユーラと申します。ティア様のお父上に使える者です」
「父を知っているのか……」
ティアは目を見開き、呟くようにそう言葉を発する。
「はい」
ユーラはそう言って、膝を付きティアに頭を下げた。
「父は何処にいるんです?」
「これからご案内いたします」
ユーラはそう言って立ち上がり、ティアの眼の前に手を差し出す。だがティアはその手を掴む事無く、よろめきながらも自力で立ち上がったのだった。
そんなティアを見て、ユーラは苦笑いをしていた。
「ちょっと待てよ! サンとクラマはどうするんだよ!?」
「サン様は、残念ながら敵の手に落ちました。クラマとか言う方は特徴さえ……」
「サンが捕まったと!?」
ティアはユーラの言葉を途中で遮りそう激しく聞く。
「はい」
ユーラの淡々とした受け答えに、さすがのティアも苛立っていた。
「私はサンを探しに行きます」
「ティア様、向こうも馬鹿ではありません。狙いはあくまで貴方様の身柄、それまで人質には手を出す事はないでしょう。それにお父上に会ってからの方が、敵に対して優位に立てるかと思いますが」
ユーラの言葉にティアは唇を噛み締め、少しの間考えていた。
「わかりました」
ティアはユーラの顔を真っ直ぐに見つめるとそう言った。
「ティア!?」
ティアの言葉に、マーラは納得してないのか、ティアの装束を握り締めて叫ぶ。
「マーラ、ユーラの言う言葉も一理あると思います。確かに敵の狙いが私なら、サンは無事でいると思います。それにサンはそれほど弱くはありません」
ティアの静かだが威圧的な言葉の中に、サンへの強い信頼感を感じた。
マーラは何も言えなかった。だが傷だらけのティアを一人でいかせることもできず、マーラはティアについていく事にしたのだった。
ティアとマーラはユーラの揺れる白い髪の毛を見つめていた。
淀んだ赤い空の下をそれぞれの思惑を抱きながら、三人は歩いていった。