〜拉致〜
サンはリッパーの冷たい表情を睨みつける。
「どういう事だ? ティアを守るために俺をティアから遠ざけようとしてたじゃねえか。なのに今はティアを狙ってるって、何なんだよそれは!?」
サンはリッパーに激しい口調でそう言った。
リッパーは唇を噛み締める、その仕草にリッパーの心の葛藤を見たような気がした。
「結局、ティアはティアでシャイニンじゃなかったって事だよ。そしてティアの翡翠色の瞳を、この闇の街の絶対的存在、ダーク・ルーラーが欲しがってる」
リッパーはそう言いながら眉間にしわを寄せて、真紅の髪の毛を掻き揚げた。
苦しそうだった。リッパーの中でやりたい事とやらざるをえない事が、戦っているようだった。
「ダーク・ルーラー? それって……お前も姓がダーク……」
「俺の父親さ」
リッパーは、真紅の髪の毛をギュッと握りしめながらそう言う。
サンはその言葉に、リッパーがティアを狙わなければならない、理由を見つけたような気がした。
「ティアの居所? 俺が知りたいよ。じゃあ急ぐから」
サンはそう言うと、リッパーに背を向けて歩き出す。
そんなサンを見ながらリッパーは鼻で笑い、素早い動きでサンの前へ回ると、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
サンの中に一瞬嫌な予感が走り、後ろに飛ぶようにしてリッパーから離れる。
「さすが、勘だけはいいな」
リッパーはそう言うと、地面を軽く蹴り、一瞬にして消える。消えたと思った瞬間、リッパーはサンのすぐ眼の前に姿を現し、サンの首に手をかけていた。
サンは声を上げる暇も無く、そのまま地面に押し倒され、リッパーの手がサンの首に食い込んでいく。
「別にこのまま死んでくれてもいいけど、ティアに恨まれるのも嫌だし、それにお前はティアを誘き寄せるのにいい餌になる」
リッパーの言葉に、サンは激しい怒りを感じた。
餌だと? 俺はティアを助けるためにいるんだ、そんな事に利用されてたまるかよ! サンは心の中でそう叫ぶ。
すると退魔の剣が、鞘の中で光を発っし、甲高い音を響かせ鳴いた。
リッパーはその音に顔を顰め、サンから手を放すと咄嗟に後ろに後ずさった。
サンは咳き込みながら立ち上がると、鞘から剣を抜き、リッパーに向けて構える。
剣は眩い光を放ち、その光を受けサンの瞳が金色に輝いていた。
「退魔の剣がお前を所有者として認めたって事か……ったく、面倒くせえな」
リッパーはそう呟くと真紅の瞳を輝かせ、サンに向って突進する。先程とは違いサンにはその動きが見えていた。これも退魔の剣の力なのだろうか。
サンはリッパーの動きをかわした刹那、サンの後ろ側でリッパーの姿が消える。
どこだ!? サンがそう思った瞬間、サンの動きが止まってしまう。足が動かなかったのだ。サンは咄嗟に自分の足元を見て、驚愕する。
「なんだと!?」
地面が柔らかくうねり、サンの足を呑み込んでいた。
地面はサンの足をどんどん呑みこんで行く。
「さあ、どうする?」
リッパーは茶色い枝の上に座りながら、愉快そうにそう言っていた。
サンは頭上のリッパーを睨みながら、必死にもがくが、足を抜くことはできなかった。
「くそおおおおお」
サンはそう叫びながら、剣を自分の足元に突き刺す。剣は光を発すると地面を乾いた脆い砂に変えていった。
その光景を目にしたリッパーは舌打ちをして、サンの眼の前に降り立つと、人差し指をサンの額に当てる。
リッパーは真紅の瞳をサンの瞳孔にあわせ、真紅の瞳を冷たく輝かせた。
サンはその途端、瞳から生気の色を無くし、力なくその場に崩れてしまう、リッパーはサンの体を受け止め、冷ややかに微笑んでいた。
「ほんと、じゃじゃ馬だな。これの何処がいいんだか」
リッパーはそう呟くとサンを抱える、退魔の剣はサンの手をすり抜け、地面に倒れ音を響かせる。
それは妖魔にとっては耳障りを悪い音だった。
「……不快な音だ」
リッパーは微かにそう言うと鼻で笑った。刹那、何かが風を切る音がする。
リッパーの手の中に、一本の矢が握られていた、リッパーに向けて放たれた矢であった。
「何処のどいつだ?」
リッパーは冷ややかな声でそう言い、周りを見渡す。死んだように静かだった木々達が騒いでるような気がした。
茶色の葉が、色鮮やかに緑に変色していく。リッパーはその光景を目を見開き見つめていた。
木々の間から緑色の活き活きとした蔓が蛇のように伸びてきて、リッパーの足に絡みつく。リッパーは瞳を見開き、真紅に輝かせる、すると蔓は途端に黒い影となって消滅していまう。
「そこか!」
リッパーはそう叫ぶと、右の掌を向け、黒い影の球体を掌に作るとそれを放った。
影の球体は、緑に変色したは葉影に飛んでいく。それと同時に一つの影が地面に降り立った。
ちぢれた金色の前髪の向こう側に、鋭い視線でリッパーの睨む瞳が輝いていた。
「お前は、確か緑の街の……神使見習いだったな……ライアンとかって言ったか」
「よく憶えてたな。サンを離せ!」
リッパーは自分の事を睨むライアンの表情を愉快そうに見ると、静かにライアンに近付いて行く。
ライアンは眼の前の妖魔の雰囲気に途轍もない巨大な力の雰囲気を感じ取り、思わず後ずさってしまった。
「大した力も無いのに、俺に歯向かおうってのか? 命知らずだな」
リッパーはそう言って、ライアンの額に手を伸ばす。ライアンはリッパーの伸びてきた手を掴むと静かな口調で言葉を紡ぐ。
「我が内なる光を、大地の息吹になりて、闇を貫け」
リッパーの手を掴んでいたライアンの掌から、蔓が伸びだしリッパーの手を貫いた。
「へえ、面白い力を使う」
リッパーはそう言うと、真紅の瞳を光らせる、その瞬間、リッパーの掌が炎に包まれ、蔓は焼け落ち、その炎はライアンの体に引火し、あっと言う間にライアンの体を包み込んでしまった。
ライアンは地面に転げ回り、必死に炎を消そうとするがなかなか消えない。
「緑の中に眠る自然の息吹を、水となりて炎を消し去らん」
ライアンが苦しそうな口調でそう叫ぶと、緑に変わってしまった木々の葉から、水が落ちてくる。落ちてきた水がライアンの体に当たると、一瞬にしてライアンの体を包み込み、炎を消し去った。
ライアンはよろめきながら立ち上がり、リッパーを睨みつけていた。
「……ふ〜ん、なかなかやるじゃん。でも此処までだ、俺も忙しいから。ティアに会ったら伝えておけ、サンはこのダーク・リッパーが預かった。返して欲しければ、闇の城へ来いとな」
リッパーはそう言い残すと、自分の体を黒い影で覆い、影と共に空間へと消えていってしまった。
「ダーク・リッパー」
ライアンはそう呟き、その場に膝を付く。ちぢれた金色の髪の毛が焼け焦げ、余計にちぢれてしまっていた。
「サン……」
ライアンは、そう呟き、拳を地面に思い切り叩きつけた。
この世で一番大切だと思っている存在を助ける事ができなかった。その屈辱がライアンの心を容赦なく締め付けていた。
風の無いこの闇の街で、唯一ライアンの周りにだけ、風が吹いていた。
異様な匂いが鼻についた。ティアは静かに目を覚まし、周りに漂う匂いに胃が上がって来るような感覚に襲われ、口を手で押さえる。
自分自身に染み付いてる匂いなのか……ティア自身もこの街全体を取り巻く不快な匂いに麻痺してきてるのか、その匂いが何処から漂ってくるものなのか、わからなくなっていた。
周りは真っ暗な闇に覆われていた。上を見るとかなり上に小さく淀んだ赤い空が見える。
どうも深い穴に落ちてしまったらしい。
落ちた場所が柔らかかったために、怪我をせずにすんだのだった。
ティアは手触りだけで、周りの状況を把握しようと静かに周囲を触る。
これは布? それからこれは……ぬるっとした感触にティアの体に寒気が走る。
手を恐る恐る鼻の所に持ってくると匂いを嗅ぐ。それは予想通り血の匂いだった。
胸が痛くなるほどの緊張に襲われ、周りに神経を張り巡らせながら、ゆっくりと立ち上がる。
足元は柔らかく、足場が悪い。その感触から想像してしまう物は、できればそうあって欲しくない物だった。
だが、おそらく予想通り、ティアの足元にある物は、人間の屍である確率が高いだろう。
頭上から何かの音、否、声が聞こえてくる。金属と金属が触れ合うような声。
今まで空気の流れを全く感じなかった中、頭上から空気の流れを感じ、ティアはゆっくり上を見上げた。淀んだ赤に微かに映る影が落ちてくるのが見える。
妖魔だ! ティアはそう直感する。
落ちてきた影はティアの眼の前に立ち、気配を漂わせていた。
暗闇が恐怖を増幅させるようだった。ティアは口を手で押さえ、できるだけ自分の気配を消す。だがそれは無駄な努力であろう。
眼の前の妖魔は匂いで、生きている人間が傍にいる事を察知し、暗闇の中でもティアの位置を確実に把握する。
妖魔はいきなりティアにぶつかってくると、沢山の人間の屍の上であろう場所にティアの体を押し倒し、確実に喉元を狙ってくる。ティアは寸前でかわし、妖魔の爪は皮膚だけを切り裂いた。
ティアは妖魔の額に掌を当てる。一気に精神を集中し光を放つ、妖魔は奇声をあげ蒸発するように一瞬にして消えてなくなった。
溜息をつく暇も無く、上から新たな気配を感じ、ティアは咄嗟に立ち上がる。
自分の足の下に何があるか等と、悠長な事を考えてる暇など無かった。
今度は一体ではない、数え切れないほどの数の気配がこの穴を覗き込んでいるのがわかった。