〜花びら〜
大きな光の球が地面に落ちたかと思うと、一瞬にして光は弾け飛び、光が消え失せた後には、淀んだ赤い空の下、クラマが佇んでいた。
「皆とバラバラになっちまったな」
クラマはそう呟きながら、歩みを進める。
どうも近くにはあの赤い水が流れいるようだった。あの頭に突き刺さるような、気持ちの悪い腐臭が辺り一面に漂っていた。
「しかし、この匂いは何んだ!?」
クラマはそう言いながら、鬱蒼とした茶色い木々が手を伸ばした下を歩いていく。ゴロゴロと石が転がっていて、足場が悪かった。
徐々に匂いが強くなっていくよう気がした。辺りを見ながら歩みを進めると、地面に落ちている何かを見つけ、クラマはそれに近付き、正体を目の当たりにして一歩後ずさる。
それは、人間の心臓だった。
嫌な予感がクラマの中を走りぬける。
木々の合間から見えた光景に、クラマは驚愕した。
大量の人間の死体が山のように積み重なっており、その山に何体もの妖魔が群がり、貪り食っていたのである。
クラマは一瞬声を出しそうになったのを、必死に止め、顔を顰めていた。
妖魔達に気を取られていたクラマは、足元の石に気付かず、石に足をとられ地面に転んだ。
肉を裂く音や骨を噛み砕く気色の悪い音の中に、クラマの転ぶ音がいきなり混ざり込んできて、妖魔達の耳を刺激する。視線は一斉にクラマの方に向けられた。
人間の形を持たない、獣でもない異形の物が奇声を発し、一斉にクラマ目掛けて突っ込んでくる。クラマは咄嗟に立ち上がり、走り出した。走りながら、この場をどうしのぐかを考える。
いったい、何体の妖魔がクラマを追いかけているのであろうか。かなりの数である事は間違いなかった。
さすがのクラマも走りながら気を放つのは不可能だ。だが止まれば途端に妖魔達の餌食になってしまう。今はとにかく逃げるしかなかった。
走っているクラマの頬に何かが当たる。白い小さな何かだった。
はらはらと上から落ちてくる白い物は、走るクラマに次から次に降ってくる。そしてクラマを追いかける妖魔達にも降り注いでいた。
クラマは頬についたその白い物を手で掴み取り見てみた。
「……花びら?」
クラマはそう呟きながら、後ろを振り返る。するとクラマを追いかけてきていた妖魔達が、まるで乾いた泥人形のように脆く崩れていく。
「大丈夫ですか?」
クラマは自分の頭上から降ってきたその言葉に、上を見上げた。すると緩やかな風が舞い、翼を羽ばたかせながら、一人の女性が微笑みを浮かべクラマの前に降り立つ。
クラマはその姿の美しさに言葉を失った。
「私の名はリリーと申します。白い街の神使をしています。貴方も神使だとお見受けいたしましたが」
そう、この女性の正体はリリーだったのだ。リリーはそう言うと、体が眩いほどの優しい光に包まれ、翼は体に吸い込まれるように消え、痣として形を変える。
クラマはその光景に少し驚いたが、女性に妖気を感じない事、そして自分を助けてくれた事に危険が無いと判断して、ゆっくりと口を開いた。
「俺は黄色い街の神使をしているクラマと言う者だ。貴女はティアに呼ばれたのか?」
「ええ、ティアと私は兄妹みたいなものですから。ティアが助けを求めるなら、どんな事をしてでも力になりたいと思っています。そう言う貴方もですか?」
リリーは優しい笑みを浮かべてそうクラマに聞く。
「ああ……では、ティアの身の上に起ころうとしている事も、知っているんだな?」
「はい、全てアクアと言う水色の街からの使者に聞きました。私に何ができるかわかりませんが、ティアがやろうとしている事を邪魔しようとする者を、排除する事くらいはできるだろうと思います」
リリーは凛とした瞳をして、芯の通った声で言った。
「しかし、よくこの街に入れたな?」
クラマの言葉に、リリーはほん少し愉快そうに笑い口を開く。
「私には、人間も妖魔も関係なく近付く者の心が読めるので、少し先に起こる出来事くらになら、察知できますから」
「なるほど、それは頼もしいな」
クラマはそう言い、ふと何かに気付くような顔をする。
「まさか……俺の心も」
「はい、ですが必要のない事には使いませんので、安心してください」
覗き込んできたクラマの顔の見ながら、リリーはそう言って微笑んだ。
「ところでティアとは一緒ではないのですか?」
「ああ、途中ではぐれちまった……急いで探さないと」
クラマはそう言うと手を握り締め、悔しそうにその手を静かに見つめた。
「では急ぎましょう」
リリーの言葉にクラマは頷くと、気持ちの悪い匂いの中を歩き出した。
二人は淀んだ赤い空の下に広がる、異様な空間を歩き、茶色の森の中へと消えていく。
ゆっくりと目を開ける。木々の間からのぞく空は淀んだ赤い色をしていた。青い街で夢魔に見せられた幻の空間を思い出す。
サンはゆっくりと上半身を起こそうとして、足に激痛が走るのを感じた。
「つっ!」
落ちる時に太ももを何に引っかけたのか、皮膚が裂け血が出ていた。
「くそっ……」
サンはそう言い舌打ちをする。自分の着ている装束の裾を歯で噛み、切り裂くと、傷の部分に巻きつけてきつく縛り付けた。
「くっ……いってえ。ここは何処だ? こんな所で皆を探さなきゃいけないなんて……ああ、皆を探す事はないのか、ティアを探せばとりあえず皆そこに集まるな」
サンはそう呟くと、ゆっくり立ち上がり、傷ついた左足で何度か地面を踏みつける。痛みは走るが歩くのに支障は無さそうだった。
サンは溜息をひとつつくと、上空を見上げる。
この淀んだ赤い色は、きっと川のあの赤い色が透けて見えているのだろう。とサンは思っていた。
サンは左足を少し引きずりながら歩く。未だにあの気持ちの悪い匂いが漂ってはいたが、我慢できる程度だった。
「ようこそ、我が街へ。歓迎したくねえけど、仕方がないから面倒みてやるよ」
どこからともなくそんな声が聞こえてくる。
今の今まで気配を感じなかった。サンの緊張は一気に高まり、張り詰めた糸のような雰囲気が漂う。視線に神経を集中して周りを見渡した。
「違う違う、ここだよ」
その声と同時に、サンは背後に気配を感じ、次の瞬間、サンの眼の前が真っ暗になった。
「だあれだ!?」
サンの眼の前は何者かの手によって塞がれていた。
聞き覚えのある声だった。サンは必死に誰の声だったかを思い出そうとするが、思い出せそうで思い出せない歯痒さに、苛立ちを感じる。
「悲しいな、憶えてないのかよ……恋のライバルを忘れるなんて」
ライバル!? サンはその言葉から連想して、一人だけなんとなく思い当たる相手を見つける。ティアの事をシャイニンと呼び、ティアに対して深い愛情を持っていた相手。
「ダーク・リッパー」
サンの口から出てきた名前を聞くと、リッパーはサンから手を離し、サンの頭を軽く平手で叩いた。
「呼び捨てにするなって言っただろう」
そう言ったリッパーの方をサンは振り返った。
リッパーは不愉快そうな表情を浮かべ、サンの眼の前に立っている。
サンは目を逸らして、鼻で笑った。
「久しぶりだな」
リッパーはそう言いながら、自分から目を逸らして横を向いているサンの顔を覗き込んだ。
サンは何も言わず、そんなリッパーの顔を睨みつめる。
「ふうん、お前少し雰囲気変わったな……いい女になった」
リッパーはそう言うと、ティアとサンの間に何かがあった事を悟り、少し淋しそうに笑った。
「そうだティアを探してるんだけど知らないか?」
ほんの少しだが、リッパーの瞳が輝いたように見えた。
サンはその輝きに嫌な雰囲気を感じる。リッパーがティアの事をシャイニンと呼ばない事にも違和感を感じていた。前のように純粋にティアの事を思っているリッパーとは少し違って見えたのである。
「ティアを探してどうするんだ?」
サンは鋭い目線でリッパーを見つめそう聞いた。
リッパーは目を伏せ悲しく微笑む。そしてゆっくり顔を上げるとサンを冷たい刺すような瞳で睨み、口元を歪め嫌な笑みを浮かべた。
「翡翠色の瞳を貰うのさ」
リッパーは淡々とした、何の感情も感じない冷たい口調でそう言った。