〜安堵〜
太陽が沈み、空間が闇に閉ざされる。
腐臭が漂う中で、サン、クラマ、マーラは野宿をせざるをえない状況にあった。
ティアの疲れきった死んだような寝顔を見て、無理矢理起こすわけにもいかず、とりあえず、ハナコが羽を休められる広めの場所を見つけると、そこで火を囲むことにした。
クラマは丁寧に結界を張る。いつもなら外敵から自分達を守るための結界だったが、今回のは少し種類が違い、自分達の存在を消すための結界だった。
だがそれも雑魚妖魔には通用するだろうが、力の強い妖魔には見破られてしまう事は予想がついた。
気休めにしかならないだろうが、張らないよりはましであろう。
「こいつは本当によく寝るヤツだな」
ティアの顔を覗き込みながら、クラマがそう皮肉っぽく言った。
薄い黄色の装束を身に纏ったティアが、地面の上に横たわっていた。
「せっかくティアに会うの楽しみにしてたのに……ねえ、サン、この綺麗な髪の毛切っちゃったんだね」
マーラはそう言いながら、ティアの漆黒の髪の毛を触っていた。
サンは少し悲しみを含んだ笑みを浮かべる。
「……う……ん」
ティアは微かな呻き声をあげながら、静かに目を開ける。
「どうだ? 具合は?」
クラマにそう聞かれて、ティアは金色の睫毛を伏せながら、上半身を起こす。
「ティア!」
マーラはそんなティアに抱きついていく。ティアは微かに微笑んでいた。
「あれ、ティアの目、色が違ってる……それに……雰囲気も少し変わったみたいだな」
マーラはそう言うと、ティアの瞳を見上げる。ティアはそんなマーラに優しく微笑むと、頭を優しく撫でる。
「お前はもともと匂いには敏感らしいから、あの川に落ちて気を失わずに岸まで泳ぎ着いた事、褒めてやるよ」
クラマはそう言って、器にもったお粥をティアに差し出す。ティアは弱々しく微笑み、それを受け取って、少しずつ口に運んだ。
サンは何も言わずにただティアを見ていた。怒ってるのかもしれないし、悲しんでいるのかもしれない。
ティアとサンの間には張り詰めた糸の様なものが見えるような気がした。少しでも刺激すれば何かが弾けてしまいそうだった。
「言いたい事があるなら、どうぞ」
先に口を開いたのはティアの方だった。ティアはサンの顔を見ずにただお粥をすすりながら、淡々とした口調でそう言った。
一気に緊張感が高まったような気がした。
「なぜ一人で出て行った?」
サンは鋭い視線をティアに向け、冷たい口調でそう言う。
ティアに抱きついていたマーラが、その場の雰囲気を感じ取ったのか、そっとティアの体から離れるとクラマの横にちょこんと座った。クラマは二人の様子を見ながら、鼻で笑う。
「言いたくありません」
ティアはきっぱりとそう言い、お粥を口に運ぶ。
「な!? いいかげんんいしろ!」
サンの憤慨する声にも、ティアはサンを見る事もなく、淡々とした雰囲気でお粥を食べる。
こんな時のティアの意思の強さを、サンは十分に知っていた。
「お前が何を言おうが、俺は勝手にお前について行くからな!」
サンはそう言うと、腕組をして横を向く。
ティアはお粥の器を地面の上に静かに置くと、ゆっくり顔を上げてサンの横顔を真っ直ぐに見つめる。
「どうしても、ついて来ると言うなら、条件があります」
ティアの言葉にサンはティアの顔を見る。ティアの瞳はサンを突き刺すように真っ直ぐ見ていた。
「言ってみろ」
「もしも私の力が暴走するような事があったら、退魔の剣で私を殺してください」
ティアのその言葉に、サンの表情が凍りつく。マーラは瞳を見開き驚いていた。クラマだけは目を伏せ静かにティアの言葉を聞いていた。
「なぜ、そんな事を言う? そんな確率があるのか?」
サンはティアに食いつくようにそう聞いた。
「それが約束できないなら、一緒に来ないで下さい」
ティアはサンの問いには答えずに、強くそう言うだけだった。
サンは立ち上がると、ティアの背中を向けて、真っ赤な髪の毛を掻き毟る。
「わかった。そうなった時には、俺が責任もって切ってやる……だけどお前は暴走なんかしない……絶対にな!」
サンはそう言って、両手を握り締めていた。サンはその場に座るとティアに背中を向けたまま振り向かなかった。
ティアはお粥の器をクラマに渡すと、また地面に横になる。そして真っ赤な炎のような髪の毛を揺れる瞳で見つめていた。
闇は全てを覆いつくす。月も星も見えない真っ黒い渓谷。耳元で不気味に川の流れる音が聞えていた。
ティアは川の音が気になり寝付けないのか一人起きていた。ハナコが首を持ち上げティアの方を見ている。
ティアは皆を起こさない様に、足音をさせないように歩きハナコの所に行く。
ハナコは金色の大きな瞳を開きティアの顔に鼻先を近づけてくる。ティアは優しく鼻の頭を撫でてやった。
「眠れないのか?」
ティアの背後からクラマの声がした。ティアはすでにクラマが近付いていた事を知ってたかのように、目を伏せ静かに笑う。
「黄色い街の皆さんは元気ですか?」
「ああ、みんな元気だ。ササラも本当は来たがってたんだが、できるだけ危険な目に遭う人数は少ない方がいいからな」
「すみません。呼び寄せてしまって」
ティアはそう言い、静かに振り向きクラマの方を向いた。
「翡翠色と真紅の瞳か、綺麗だな。光と闇の両方をその体に宿し者。光と闇の力をもって闇の扉を封印せん……か」
クラマはそう言葉を紡ぎ、ティアの瞳を真っ直ぐに見つめていた。
「やはり知っていたのですね」
「ああ」
クラマは懐かしそうに遠くを見つめていた。
「俺は、一時、水色の街に住んでいたんだ。お前ならマヤ様の残した言葉を読めたんだろうな」
「はい」
「じゃあ、全て知っているんだな?」
「ええ、まあ……ですが、一つだけ今でも引っかかってる事があるんです」
ティアはそう言うと、金色の睫毛を伏せた。
「何だ? 言って見ろ。俺が知ってることなら、何でも教えてやる」
クラマの言葉に、ティアは顔を上げ、ほんの少しだけ躊躇を見せるが、ゆっくりと口を開いた。
「母の残した言葉を見るための条件が、私が人を愛し、愛される事でした。そして壁に現れた予言。身を鍵とし扉を永遠に封印せん……それは……私の死を意味するのでしょう。選択肢の一つとして、闇の扉が開かれた時、その役目を放棄する事もできる。ですが、私が誰かを愛しているとしたら、その人を守るために命を投げ出す。それを計算したうえで」
「違うな。それは違う」
ティアの言葉を遮るように、クラマはティアの頭に手を押し当て強い口調でそう言った。
「マヤ様がお前を身ごもった時、嬉しそうにしていた。あの表情に嘘は無かった。それは俺が保障する……俺だけしか知らない事をお前に教えてやる。ただこれは俺よりの考えであって、お前の父親の真意はわからない。それだけは肝に銘じて聞いてくれ」
「どういう事です?」
「お前を出産する時に、頭の中に声が響いたそうだ。あの男の声がな……お前の父親の声だ。それをそのままあの壁に残した。妖魔であるお前の父親は全て知っていた。そりゃあそうだろうな、それだけ長く生きてるんだから。だがな、マヤ様は知らなかったんだ。お前を出産する時に、全てを知った……あるいは薄々気づいていた事を再認識した」
「では、父は母を騙していたのでしょうか?」
「さあ、それはどうだろうな、マヤ様が愛したヤツだから、妖魔だとか人間だとかは関係なく信じたい気持ちはあるが、お前の父親にしかわからない事だ」
クラマの言葉に、ティアは母からの自分へのメッセージを思い出す。
あの人に会いなさい。そしてその言葉に耳を傾け、濁りのない判断をするのです。
結局、闇の街に行かざるをえない状況下にあるという事ですね。ティアはそう思い苦笑した。
「……母はあの予言の役割を果たさせるために、私を産んだのではない……」
ティアは安堵した表情を浮かべ、微かに微笑んでいた。
「あたりめえだろう。そんな女だったら、俺が惚れたりしてねえよ」
クラマは白い歯を見せてニッコリと笑うと、ティアの頭をクシャクシャと撫でた。
「クラマ様が母を……」
ティアはクラマの顔を見てそう言う。クラマはティアをその逞しい腕で抱きしめた。
「俺は、お前の母親を助けてやる事ができなかった……だから、お前だけは絶対に俺の手で助ける。死ぬんじゃない。予言通りに事が運んだとしても、絶対に死ぬんじゃない」
クラマはそう言うと、ティアをより一層強く抱きしめた。
ティアはあらためて、クラマの温かさと愛情の深さを思い知ったのだった。
ハナコが首を持ち上げ、金色の瞳を輝かせる。
「これで話しは終わりだ。来るぞ、しかも大量だ。覚悟しとけ!」
「とりあえずは、わかりました。続きはまた今度」
クラマの言葉にティアはそう答え、結界の向こう側から現れるであろう影に対して身構えた。
ハナコもその異様な気配に、閉じていた翼を広げる。
結界に向って黒い影が飛んできた、勢いよくぶつかると結界に火花が散る。黒い影は次から次にぶつかり、そのたびに結界は弱くなっていく。
「サン、マーラ起きろ!!」
サンとマーラはクラマの声に眠い目を擦りながら起き上がって、クラマとティアの方を見て、自分達が置かれている現状を把握した。
サンは急いで立ち上がると柄に手を掛ける。マーラは愉快そうに微笑むと、可愛い舌で舌なめずりをした。
結界が、激しい火花を散らし、爆発するように飛び散り、一瞬にして消えてしまった。