〜真紅の瞳〜
雑魚の妖魔たちが人々を襲う。一人の人間を何匹もの妖魔で押し倒すと、容赦なく心臓を抉り取り貪る。
街には恐怖に戦き逃げ惑う人々の泣き叫ぶ声、空気を震わせて断末魔が響き渡っていた。
サンは地面を蹴り大男に向かって走り、力の限り踏み込み跳躍する。大男の首を狙って剣を振りかざしたその時、サンの眼の前を黒い風が刃物のように通り過ぎた。その刹那、風圧に飛ばされ、サンの体は木の葉が風に舞うように空を飛び、地面に叩きつけられた。
「うっ!」
サンは短い声を上げる。次の瞬間、着ていた装束の胸の部分が引き千切られるように裂け、肌が露になったかと思うと、血が噴出してきた。
「サン殿!」
リリーがそう叫びながら、サンに駆け寄る。サンは胸を押さえ苦痛に顔を歪めていた。
「……かまいたち」
リリーはサンの怪我の状態を見ながらそう呟くと、ゆっくり立ち上がり大男を睨む。その表情は怒りに満ちていた。
大男はそんなリリーの表情を見て、愉快そうに不気味なほど口を歪ませていた。
リリーは人差し指と中指の二本を立て、自分の額に指を当てると、その指をそのまま大男の顔目掛けて指さした。
リリーの指先から細い凝縮された閃光が、空気を合間を縫うように放出されたかと思うと、大男の額へと当たる。光は妖魔を貫通して夜の闇に突き刺さるように消える。
「グギァギギー……」
大男は金属を擦り合わせるような悲鳴を上げると、纏っていたマントを閉じ、その場に蹲った。
「やったか?」
リリーは動かなくなった眼の前の大男を凝視する。黒い大男の腹から出てきた雑魚妖魔たちの動きも静止画のように止まっていた。街の住人達も息を呑み淡い期待を抱きつつその光景を見守っていた。
リリー達の地面の底の方から地響きのような声が聞えてくる。
「ウマイ……ウマイ……オマエノココロ ウマイ」
黒い大男が蹲った状態で、そう言っていたのだ。その途端、動きを止めていた妖魔達が、人々を襲い始めた。リリーは雑魚妖魔の動きに一瞬気を取られた、その時、大男は顔を上げ、その大きな体からは想像もつかぬほどの俊敏さで、リリーに向って突進してくる。
リリーの一瞬の心の隙が、反応を遅らせ、大男の手がリリーに届こうとした、その瞬間、凄い勢いで大男の体は引き戻されるように、リリーの体から遠ざかっていった。見る見るうちに大男の体に地面から這い出た蔦が絡み付く。
「リリー! 怒りを含んだ力では妖魔には通じません。良くも悪くも貴女の心次第だと言ったはずです。貴女は誰のために戦うのですか! 憎悪を持って戦ってはいけません」
大男が蔦に絡まり空中でもがいてる向こう側で、ティアが地面に掌を広げ、リリーにそう叫んだ。
蔦を操り、大男の体を封じ込めたのはティアの力であった。
リリーの後ろにサンがよろめきながら立ち上がるのが見えた。
「リリー、こいつは俺の獲物だ」
サンはよろめきながらも力強い口調でそう言った。そこには揺るがない意志の強さを感じた。
「ですが、その体では……」
リリーはそう言いながらサンの顔を見つめ、それ以上言う事をやめた。サンの瞳の中に誰の言葉にも従わない光を感じたからだ。
「リリー、この妖魔の動きを封じ込めて下さい。あとの雑魚は私に任せて」
ティアの言葉に、リリーは頷くと一歩前へ出て、手を合わせる。
「我、神の意思の下、光の力にて、闇の動きを封じ込めん」
リリーはそう言葉を紡ぐと掌を開いた。掌の上には温かい優しい光の球が現れる。その光の球にリリーは息を吹きかけた。すると光りは花びらの様に吹き荒れ、妖魔の体の周りを包み始める。妖魔の体は金縛りのように動かなくなった。
ティアは地面から手を放す、すると今まで妖魔の体に絡みついていた蔦が消えてなくなった。
「サン殿、今です!」
ティアの声と共に、サンは地面を蹴り剣を振りかざしなら跳躍する。妖魔の顔が眼の前まで迫った時、妖魔はサンを冷たい目で睨み、息を吹く。それは黒い針と姿を変え、サンの体を狙う。だが寸前の所で身をよじりかわした。黒い針はサンの横腹をかすめ、装束だけを裂いて飛んでいった。
サンは妖魔の首目掛けて思い切り剣を振り落とす。何の衝撃も無く首は落ち、黒い煙となって一瞬にして妖魔の体が消えていく。妖魔が跡形も無く姿を消したその後には、真っ黒い闇色の宝石が一つ落ちていた。
雑魚妖魔どもが空中を縦横無尽に飛びながら人々を襲う。その光景を視界の中に映しながら、ティアは言葉を紡いだ。
「我の意思を光の刃とし、闇を切り裂き葬る」
ティアは静かな淡々とした声でそう言い、空に向け手を伸ばす。すると月の光のような優しい光が地上に雨のように無数に降り注ぐ。
優しい光の印象とは正反対に、光が妖魔を突き刺すと妖魔は一瞬にして蒸発してしまう程の威力だった。
雨のように降り注ぐ光が街全体を覆ったかと思うと、次の瞬間、弾けるように消え、一瞬にしてまた夜の闇の静けさに戻る。
月明かりの下に、漆黒の長い髪の毛を風に揺らし、ティアは立っていた。
「ティア、終ったんだな」
サンの声にティアが振り向いた。その刹那、サンはティアの瞳の色に驚く、あの美しい翡翠色の瞳はなく、血のような真紅の瞳が揺れていた。
サンはこの時になって、この街の住人達がなぜティアを怖がるのかを理解した。
真紅の瞳が意味するのも、それは魔の象徴であり、翡翠色の瞳とは相反するものだった。
ティアは悲しい真紅に染まるその瞳で、弱々しく微笑み、サンに近付くと自分が身に纏っていた装束の上を脱ぎ、サンの体にかける。
先ほどの妖魔との戦いで、サンの着ていた装束がボロボロに裂かれ、その合間から小さいな膨らみのある胸が見えていたのである。
サンは少年ではなく少女だったのだ。
ティアの瞳の色に、サンは言葉を失い身動き一つ出来なかった。
「サン、これは貴女のものよ」
リリーが闇色の宝石を手に、サンに近付いてくる。サンは何の反応もせず見てはいけないものを見たような表情を浮かべていた。
サンのその驚愕の表情を見るなり、リリーはティアの顔を覗き込んで微笑んだ。それはリリーの優しさでありティアに対しての心配の気持ちを表してもいた。
ティアは悲しい切ない表情を浮かべ、静かに目を伏せた。
「ティア、大丈夫? 顔色が悪いわ。私が不甲斐ないばかりに無理をさせてしまってごめんなさいね」
「……私は大丈夫ですから」
ティアはそう弱々しく微笑むと、サンとリリーに背を向けてゆっくりと歩みを進める。
「ティ、ティア!」
サンが、背中を向けたティアに声をかける。ティアはその声に後ろ向きのまま足を止めた。
「これ、ありがとう」
サンは、ティアが自分の露になった胸を隠そうと、貸してくれた装束に対して礼を言ったのだった。
「サン……貴女は優しいですね。ありがとう」
ティアはそう言うと、振り向かずにそのまま歩いていく。その後ろ姿は悲しい影を背負っていた。
「何をするの!」
その声に驚き、声のする方をサン、ティア、リリーの三人は振り向いた。その光景を目にした時、終っていたと思っていた妖魔との戦いが、終ってない事に気付いたのだった。
この街の結界が消え、皆が逃げ惑っている中で、唯一足を止めティアを見つめていた子供。
その子供が短剣を手に母親である女に、襲いかかろうとしていたのだった。