〜形無き凶器〜
クロードとジェドは山頂から吹いてくる冷ややかな風に驚いていた。
空気自体も冷やされ、浄化され澄んでいる様に感じていた。
山頂まで上ってきて、そこに広がる光景に、クロードとジェドは驚いていた。
真っ白な中に、横たわるサンとティアの姿。そしておびただしい血痕。
ここで行われた出来事の凄まじさが、見なくてもわかるよう気がした。
「サン!」
ジェドはサンの体を揺する。すると微かに呻き声を上げた。
「ティア殿! ティア殿!!」
クロードはティアを抱くようにして揺するが、何の反応も無く、固く目は閉じられ、蒼白な顔色は、まるでこのまま目を覚まさないではないかと不安になるほどだった。
「これは……コイツの仕業だってのか……ずいぶんと冷たい気だな。まるで……」
ジェドは周りを見渡しながらそう言い、最後の言葉を呑み、ティアの顔を見つめる。
ここ一帯に立ち込めている雰囲気にジェドは何かを感じた。そうあの時のスペルとの一件の時に感じたものと同じだった。
「このような力、見た事がない……以前聞いた事がある。神使と妖魔の間に生まれた混血の子供がいると……ただの噂だけじゃないのかもしれぬな」
クロードはそう呟くと、ティアの顔を悲しい瞳で見つめていた。
「この血は、どう考えてもコイツ等の血だよな? これは神がやったのか? 俺達が信じている神が……」
ジェドはサンを抱くようにしてそう言った。刹那、サンの手に握られていた漆黒の石が地面に落ち転がった。
「これは……」
ジェドがその石を拾い指で摘んでクロードに見せる。
「この山の神の正体は、どうやら妖魔だったようじゃな」
クロードとジェドはティアの顔を見つめながら静かに溜息をついた。
なんとも後味の悪い結果に、ジェドは頭を抱え、クロードは白い髭を撫でていた。
そんな二人の頭上から優しい月の光りが差し込み、包み込んでいた。
ジェドは無言のまま立ち上がるとティアを背負い、サンを肩に担ぐように抱きかかえた。
ティアの華奢な体とサンの小さな体を再認識して、言いようのない悲しみに襲われる。
この小さな体でよくこんな事をやるもんだ。ジェドはそう心の中で呟いていた。
ティアとサンを抱えたジェドとクロードは、銀色に光る山道を下りていった。
クロードとジェドの影が薄暗い空間にユラユラと揺れていた。
「クロード、本当に神はいないのだろうか?」
ジェドは酒をチビチビと飲みながら、蝋燭の弱々しい光の中でそう呟いた。
「お前にしては珍しい事を聞くのだな? さあ、どうなのだろうな。これまで私達が信じてきたものが偽りであったとは思わないが、もしかすると狭い視野でしか物事を見てなかったのかもしれん」
クロードはジェドの少し赤くなった顔を見ながらそう言った。
「ティアは本当にあの山の怒りを沈めた。爆発寸前の山をあんな風に凍りつかせるなんて……とんでもねえ力の持ち主だ。それにあれだけの怪我を負いながらも生きていやがる」
「そうだな。ティア殿の力……あれはこの世の中に存在する神使では敵わぬ力だな。だがティア殿はその強大な力の使い方を間違えてはおらぬ。山の怒りも沈め、スペルの命も救ったのだから」
クロードはそう言うと蝋燭の揺れる炎を静かに見つめる。
「だが……俺達はずっとそうやって生きてきた。何かを助けるためには何かを犠牲にしなければいけない場合もある……今回はたまたまだ」
ジェドはそう言い、手に持っていた酒を一気に飲み干した。
まるでそれは、そう自分に言い聞かせているようだった。
「ジェド、お前の言う事も間違えではなかろう。だが、私達は一つ忘れていた事がある。先祖が行ってきた風習をあたりまえだと信じすぎ、諦めてしまっていたのかもしれぬ……ティア殿もサン殿も決して諦めはしなかった」
「じゃあ、俺たちがしてきた事は何だったんだ?」
「沢山の命を助けるために、一つの命を犠牲にする……それは是か非か、難しいのう」
クロードはそう言うと固く口を噤んだ。
「俺たちの信じてる神とは何なんだろうな」
「神も妖魔も紙一重ではないだろうか……私達はこの世に起こる自然現象、この身に起こる災いを神の怒りとして認知していきた」
クロードの言葉にジェドは静かに頷く。
「私達人間に脅威を及ぼす。それだけ見れば神も妖魔も変わりはない。沢山の人間の命を奪っていく。私達とてスペルの命の重さを何とも思っていなかったのだから、同じようなものかもしれん」
クロードはそう言って、目を伏せると机の上で手を握り締めた。
ジェドはコップに酒を並々と注ぐと、一気にそれを飲み干した。
「では神はやはりいないのか?」
「……私はそうは思わぬ。神を信じてさえいれば、そこに神は存在すると思っている。ただ今回の事で思い知ったのは、神は教訓をお与えにはなるが、誰も救いはしない。救うのは私達人間自身だと言う事。だからこそ選択を誤ってはいけないのだと思う。この年になってこんな事に気付くなんて情けない」
「神は我等に何を言いたいのだろう……」
二人は揺れる炎の下、何も言わず黙り込んだままだった。
サンはゆっくりと目を開く。掌に温かな感触を感じて、自分の手を見ると、スペルの手が自分の手をしっかりと握っていた。
スペルは無邪気な寝顔でサンの寝ているベッドにもたれ掛っていた。
どのくらい寝ていたのだろうか……怪我をしたはずの横腹には痛みは感じない。肩の方はまだ動かすと痛みが走っていた。
B・ロージェは死んだ……本当に死んだのか? そんな疑問を抱いてしまうほど、最後に見たB・ロージェの笑みは嫌なものだった。
あの後俺は気を失い、何もわからなくなってしまったが、ティアはどうなったのだろう。
そうか、横腹はティアが治していくれたんだな。だが肩は……
サンはそこまで考えて、その後ティアにも何かがあった事を悟る。一瞬その考えに体が反応して起き上がろうとしたが、肩に激痛が走り、呻き声とともにまたベッドへと体が沈んでしまう。
スペルが眠りから覚めたのか、眠そうに目を擦りながらゆっくりと顔を上げ、サンの顔を見つめた。
「あっ、お姉ちゃん……目が覚めたんだね」
スペルはそう言うと、サンから目を逸らし元気のない顔で目を伏せてしまう。
「どうした?」
サンはそんなスペルの様子が気になり、優しくそう聞いた。
「……うん。僕、あのティアさんに酷い事……クロードとジェドに聞いたんだ。僕の為に山の怒りを沈めてくれたんだって。そのせいで凄い怪我までしちゃって……」
スペルはそう言いながら、紫色の瞳を震わせていた。
そんなスペルの頭をサンは優しく撫でる。
「……そう思うなら、言葉は大事に使う事だな。言葉一つで人を傷つける事もあれば、人を助ける事もできる。言葉ってのは大きな力を持ってる。俺もたまに使い方を間違えて後悔する事があるから、人の事言えねえけどな」
サンはそう言って、明るい笑顔を浮かべながらスペルを見つめる。
「うん、もうあんな事言わない。あの時……あの言葉を口にした時、なんだかよくわからないけど……もの凄く怖かった。心臓が凄く早く動いて、頭が痛くなって、苦しくて痛くて……それだけは凄く憶えてるんだ」
スペルの言葉を聞いてサンは安心していた。
きっと、この子は死という言葉をもう簡単に口にはしないだろう。
死という言葉、あるいはそれを匂わすような言葉を口にし、自分の発した言葉が目の前で現実になる怖さをこの子は身を持って知ったのだから。
言葉は使い方を誤れば、形無き凶器となってしまう。
「俺は、どのくらい寝てたんだ?」
「今日で二日目かな……起きないから心配しちゃった」
スペルはそう言うとまた表情を曇らせる。
「ねえ、お姉ちゃん、ティアさん大丈夫だよね? 今日の朝、ユーラに聞いたらまだ眠ったままだって言ってた。ジェドに担がれてここに運ばれてきた時、凄い怪我でビックリしたんだ。どしようって思って、怖くて……」
スペルは微かに震えているようだった。
この小さな体で無意識に責任を感じているのだろう。サンは思った。
「大丈夫だから。アイツはそう簡単に死なねえよ。ティアが目を覚ましたら、一緒に謝りにいこうな!」
サンの言葉に、スペルは紫の瞳を揺らしながら静かに頷いた。
そう言いながらも、サンはティアの事を心配していた。
光と闇の力のバランスがうまくとれない。そう言っていたティアの言葉も引っかかっていた。
闇の街……か。サンは心の中で密かに呟いた。