〜思念の行方〜
ティアは胎児のように体をかがめ、床に転がっていた。
意識を失ってる間に、他の場所へと動かされたらしく、先程の場所より狭い空間にいた。
意識がゆっくりと目覚める中で、体を動かそうとしたが、まだ少し痺れが残っていて思うように体を動かせなかった。
ティアはゆっくりと瞼を開く。薄暗い空間にランプが一つだけ灯っていた。
ゆっくりと周りを見渡すと、暗闇の中に人間の影を一つ見つける。
「お目覚めか?」
ジェドの声だった。
ジェドはゆっくりと立ち上がり、ティアの傍に近付き膝を付くと、ティアの漆黒の髪の毛を鷲掴みにして、引っ張り上げた。
ティアは苦痛に顔を歪ませ、引っ張られるまま上半身を起こした。
「クロードはお前の事をずいぶん怖れていたな。そんなにすげえ能力を持ってるのか? その秘密はもしかしてその真紅の瞳か? 俺達の瞳とは訳が違うんだろう」
ジェドはそう言いながら、ティアの顎に手を掛け持ち上げると、まじまじと真紅の瞳を見つめる。ジェドの仕草一つ一つから、ジェドが自分に反感を持っているのだとティアは気付く。
「ふん、こんな女みてえなヤツを怖がるなんて、クロードも情けねえヤツだ」
「……貴方も神を信じてるのですか?」
ティアはそう言って、ジェドを睨みつける。
「この地に生まれた者は、あの山の神と共にある。お前は神がいないと言ったな? そういうヤツには必ず制裁が下る」
ジェドはティアの顔を刺すように睨みつけ、言葉を続ける。
「スペルみたいな異端な存在が、何年かに一人だけ生まれる。この地を守る為だけに生まれ事を許された存在。それは遥かなる昔に神との間にかわされた契約だ」
「馬鹿なことを……この世に生まれてきた命を区別する等と」
ティアは怒りを露にし瞳を輝かせると、ジェドの股間目掛けて膝を入れる。だがそれはジェドの足によって防がれてしまった。
刹那、嫌いだ! 大っ嫌いだ! そんな言葉がジェドの頭の中に響き渡る。その言葉がジェドの中の抑えていた感情を、開放するかのように一気に爆発する。
ジェドの分厚い掌が、ティアの頬に飛び、反動でティアは吹っ飛ばされ、勢いよく床に叩きつけられ転がった。
何処かからか飛んできた強い思念が、ジェドの中で響いていたのをティアも気付いていた。
ジェドは床に転がるティアの上に乗ると、体が動かないように床に押さえつける。
赤い瞳は理性を失い、狂気に近かった。
「お前が嫌いだ……大嫌いだ……」
うわ言の様にそう呟きながら、ジェドはティアの装束に手を掛けると、乱暴に引き千切る。
ティアの華奢でしなやかな上半身が露になった。
「何を……」
ティアは刺さるような危機感を感じ、必死に抵抗をする。だがジェドの方が体も大きく、重さでは勝ち目が無かった。
ティアの体に体重をかけるように、ジェドの顔がティアに近付いて行く。
「や……やめ……やめろおおお」
ティアの声が扉を通り抜け、廊下を通って響き渡る。
刹那、ティアの体は光に包まれる。目を開けていられないほどの光だった。光は扉の隙間からも漏れ出していた。
ティアの叫び声を聞き、クロードとユーラが部屋に駆け込んでくる。
そこには眩い光に包まれ座り込むティアと、目を押さえ転がりまわるジェドの姿があった。
ティアはクロードとユーラの姿を見て、安心したような表情を浮かべる。すると光は消え、部屋の中は元の薄暗い空間へと戻っていった。
眼の前で転がりまわるジェドを見て、ティアは自分のしてしまった事に気付き、今にも泣きそうな表情を浮かべると両手で顔を覆う。
ティアの装束が、無残にも引き千切られ、体のあちこちに擦り傷や痣があるの見て、クロードはジェドがティアに何をしようとしたのかを悟った。
「ティア殿、申し訳ない」
クロードは怒りを抑えるように言葉を漏らした。
「……ジェドさんのせいじゃ……ないと思います」
ティアはそう言いながら、あの時に感じた強い思念の事を考えていた。
ジェドの中にティアに対する反感はあった。だがこの男が男色家だとは考え難い。ジェドの感情に作用した思念。
そうあれは、たぶんスペルのもの……ティアは痛みに顔を歪めながら立ち上がる。
ユーラはジェドの目の容態を見ていた。特に外傷は見られなかったが、目を開けられないようだった。
「……ユーラさん、後は私が」
ティアはそう言うと、ジェドの傍らに膝を付き、ジェドの瞼の上に手をかざす。
掌は光に包まれ、ジェドの目を癒していった。
クロードとユーラがそんなティアの力をただ見つめていた。不思議と驚く事はなった。
ティアの持ってる雰囲気から、予想がついていたのかもしれない。
「ジェドさん、ゆっくり目を開けてみてください」
ジェドは優しいティアの声に導かれるように、ゆっくりと目を開ける。
痛みも無く、元通りに何もかもが見えていた。
ジェドは上半身を起こし、何が起こったのかわからいという表情を浮かべていた。
「ティア殿……こんな目に遭わせるつもりでは無かったのですが、申し訳ありません」
クロードはティアに謝罪し頭を下げる。
「お前、どうしたんだ? そうか、やはり神の制裁が下ったんだ。やはり神はいるではないか」
ジェドはまるで何も無かったかのように、ティアをあざ笑うようにそう言った。
「神などいないのですよ。何度言ったらわかるのです」
いつもの静かな物言いとは違い、ティアは冷たい威圧的な口調で、ジェドを睨む。
「ティア殿。ここの者達は神を存在はあるものとして、この地に長く生きているのです。信じる信じないは個人の自由ですが、個人的な考えを押し付けるような事は止めて貰えませぬか?」
クロードは静かな低い声でそう言った。
「……そうですね。確かにクロード様の言う通りです。ですが、生贄の話は聞き流す事はできません。絶対にあってはならないことです」
ティアはそう言うと、破れ裂けてしまった装束の端を握り締め、胸元に持ってくる。
「ですが、今までそうやって山の怒りは納まってきているのです」
クロードの言葉に、ティアは不快感を露にする。
生贄でこの大地の怒りが納まる等と、まるでそれでは妖魔と同じではないか……。
魔は教訓を述べる神なり……もしかすると妖魔が神の名を借りて。ティアは何かを思いついたのか、瞳を凛と輝かせる。
「クロード様、生贄無しで山の怒りを沈める事ができたら、それに越した事はないですよね?」
「それは……」
クロードの煮え切らない言葉に、宗教色の強い風習によって洗脳された怖ろしさをティアは思い知った。
「何言いやがる。お前がどんなに凄い力を持ってるか知らねえが、逆に神様を怒らせるはめになったらどうするんだ!?」
ジェドが目の色を変えて、ティアに激しく言ってくる。
「絶対に沈めてみせます」
ティアの持ち合わせる雰囲気が威厳に満ち、何者にも有無を言わせない空気を漂わせていた。
この方なら本当に沈めるかもしれん。クロードはティアの雰囲気に魅了されるようにそう心の中で思っていた。
「とりあえず、何か着る物を貸して頂けるとありがたいのですが」
ティアの言葉に、クロードはユーラに代わりの装束を持ってくるように言う。
「お、俺は、納得してないからな」
「納得は求めません。ただ黙って見ていてください」
ティアは左右の色が異なる瞳で、ジェドを真っ直ぐに見つめそう言った。ジェドはもう何も言えなかった。
ティアは静かに目を伏せ、深呼吸をする。胸に痛みが走る。
肋骨が折れているかもしれない。ティアは密かにそう思いながら鼻で笑った。
「サンとスペルを探さないと……」
ティアは目を伏せ、静かにそう呟いた。
スペルはサンの胸に抱きついたまま動かなかった。
「なあスペル、お前のその力って生まれつきか?」
サンの静かな声に、スペルは首を横に振る。
「じゃあ、いつからなんだ?」
「神様に会ってからだよ。神様が僕に力がある事を教えてくれたんだ」
「今までにその力を使った事は?」
「今回が初めてさ」
スペルの言葉にサンは違和感を感じていた。何かが違う。スペルは強く念じて言葉にするとそれが力となって相手を襲うと言った。それなら今までにだって力が暴走していてもおかしくない。だが今回が初めてだという事は……
ティアを狙ってる者が、スペルの中に眠っていた力を引き出したって事か?
黒髪の神様……
サンの心の中を嫌な風が吹いていく。
「神様って綺麗だって言ったな?」
「うん、すごく綺麗なんだ、長くて綺麗な黒い髪の毛に、真っ赤な唇、だけどこっち側のこの辺だけに銀色の仮面をつけてた」
スペルはそう言いながら、自分の顔の右側上部を指差していた。
その言葉にサンの心臓が大きく高鳴る。
「……B・ロージェ」
嫌な名前だった、無理矢理搾り出すように、サンの口から漏れ出した名前。
サンは眉間にしわを寄せ、唇を噛み締めていた。
サンの上に乗っていたスペルがいきなり起き上がる。壁の向こう側で微かに音がした。
「サン? どこです?」
壁の向こう側からティアの声が聞こえてくる。サンは咄嗟にスペルの顔を見る。
スペルの紫色の瞳が、怯えを含んだ怒りに揺れていた。