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      〜水の精霊〜

 水の中から現れた女は、水の音もさせず、足音もさせずに岸へと上がり、シェルに微笑みかけると、サンとティアに近付いて行く。

 サンは一瞬、体を強張らせ身構えた。

 女はサンの眼の前に立つ。女の体が透け、向こう側の石の壁が見えていた。

「待ちかねた……封印の扉を開く鍵になりし者……時が迫っているのでな、少し挑発させてもらった。許せ」

 透明な女はそう言葉を紡ぐと、ティアの傍らにそっと膝を付く。

 時が迫ってる!? 挑発!? いったい何の事なのか、サンには皆目検討がつかなかった。

 静かにティアは瞳を開く。翡翠色の瞳は揺れ、サンを見つめていた。

 ティアはサンの手が胸の刻印を優しく包むように、触っている事に気付き微かに微笑み、愛おしそうにサンを見つめた。

「気がついたか?」

 サンはそう言って、自分がティアの胸を触っていたいた事に気付き、慌てて手を引っ込めると、顔を赤らめた。

「良かった。無事で」

 ティアの言葉に、サンは困ったような表情でティアから目を逸らす。

「……その言葉、そのままお前に返す。心配かけやがって」

 サンの言葉にティアは温かく微笑むと、ゆっくりと上半身を起こし、傍らに膝を付いている透明な女に目を向ける。

 その異質な姿にもティアは驚きもしなかった。

「貴女は?」

 ティアの優しい声に、女は目を伏せ両腕を開くと、静かな口調で言葉を紡ぎ出す。 

「我が名はアクア、この名をそなたに捧げ、我が主として認める……ティア様」

 アクアと名のった、眼の前の女はいったい何なのだろうか? サンは眼の前の光景についていけず困惑していた。

 そんなサンの様子に気付いたのか、アクアは目を開くとサンの方を向き、静かな表情で言葉を紡ぎ出す。

「封印の扉を開くための念を持つ者」

 アクアに見つめられながら言われたその言葉に、サンは怪訝な表情を浮かべる。

 扉を開くための念を持つ者……この言葉に心当たりがまったくなかった。

「いったい、どういう事だ?」

 サンの問いに、シェルが近づいてきて口を開いた。

「お初にお目にかかります……と言うのはおかしいですな。貴方様が赤子の時にわしは会っているのですから。我が主様、貴方様が来られる日をお待ちしていました。その美しい翡翠色の瞳……そのお顔といい、持ってる雰囲気といい、マヤ様にそっくりですね」

 シェルはティアの顔を覗き込みながら、優しい笑みを湛えてそう言った。

「私は此処で生まれたのですね?」

 ティアは翡翠色の瞳を悲しく揺らし、シェルの瞳を見つめる。ティアの中に不思議な感覚が広がっていた。何か温かくとても懐かしい感じだった。

「おい! ちゃんと説明しろ。時が迫ってるとか? 扉を開く鍵? 念? 何なんだそりゃあ……ああ、もう! 謎解きじゃねえんだからよ!」

 サンは話が把握できない事に苛立っていた。

 シェルは翡翠色の瞳を輝かせ、ティアの顔を真っ直ぐに見つめる。

「我が主様、真実を受け止める勇気がおありですか?」

 口調は静かだったが、そこには心の強さを感じた。

 サンは静かにティアの様子を見守った。

 ティアは胸の刻印の部分に手を当てると、力を入れて手を握り締める。目を閉じて深呼吸をすると静かに目を開いた。

 瞳には迷いの色はなかった。

「あります」

 ティアは静かにそう答えた。

 シェルはアクアの方を見ると、静かに頷く。アクアはそれに答えるように、静かに言葉を紡ぎ出した。

「この街の水は真実を映す、あの川を渡ってきたのなら、あの忌まわしい真実をもうすでに知っているはずだ」

 アクアの淡々とした言葉に、ティアは静かに頷いた。

「何が知りたい?」

「なぜ母が死ななければならなかったのか? 胸に刻まれた刻印の意味……貴方達は私を待っていたと言いましたが、今私が此処に存在している意味を知りたい」

「マヤが死んだ訳か……我は水の精霊、人間どもが持ち合わせている感情を理解はできぬが、あそこには強い恐怖が渦巻いていた。それは我が主である、そなたに対しての怖れであった」

「私が人間と妖魔の間の子供だから……闇の力を持っているから?」

 ティアの問いに、シェルの表情が曇る。

 アクアはその問いにも何の躊躇も無く言葉を続ける。

「それしかあるまいな。二十一年前のあの日、まだ名前すら無い赤子に差し向けられた殺気、異質なものに対しての恐怖、そこから生まれし憎悪。マヤはそんな人間の手からをそなたを守ろうとしたのだ。そしてそなたを抱いて逃げ川に流した。だがそこでマヤは人間の手に落ちてしまった」

 ティアの脳裏に浮かぶ夢のシーン。

「私を助けるために……」

 ティアはそう呟き手で口を押さえ、顔を伏せる。そんなティアを見ながら、サンは胸に痛みを感じていた。

「そなたを守るというのは、あの当時、我が主であったマヤの強い意思であった。マヤとの約束に従い、我はそなたを白い街まで運んだ。そしていつかこの地を踏むであろうそなたを、我が濁り無き眼で確かめ、そなたが我が主と認められる存在であれば、助けになって欲しいと……我はその意思に従った」

「母の意志……なぜ母は妖魔なんかと……」

「それは、そなたの母親であるマヤと父親である妖魔の契りの中でしかわからぬ。マヤがこの世にいない今、それを知るのはただ一人だけだ」

 アクアの言葉にティアの手が微かに震えていた。

「そなたが生まれる前から、マヤはそうなる事を予想していた。自らの命と引き換えに、そなたを助け、未来への希望を繋ぐ。そなたがこの地をまた訪れるその時が来た時、この世の真実が見えてくる。マヤはそう言っていた」

「……この世の真実が見えてくる」

 ティアはゆっくりと顔をあげると、震える手で胸を押さえた。

「私の胸の刻印は……」

「それはわしが説明しましょう」

 ティアの言葉に、シェルがそう言い、胸を押さえているティアの手を優しく握った。

「その刻印は、貴方様の力を制御する封印紋です。ティア様、貴方様は生まれた時、真紅の瞳を持って生まれた。それは闇の力を表すもの。マヤ様は貴方様の中にある闇の力が暴走しないように封印紋をその胸に刻んだのです」

 シェルはそう言うと、ティアの頬を優しく撫で、眼の前の翡翠色の瞳を見つめる。

「マヤ様は貴方様を愛されていました。我が子に過酷な運命を背負わせてしまった事を悔やんでもおいででした」

 シェルの瞳から涙が零れる。ティアはそれを見つめ、シェルの自分に対しての気持ちを感じ取っていた。

「ですが、その罪を背負うのは神の声を聞く事のできる、自分でしかないのだとも言っておられた」

 シェルの思いが強すぎて。自然とティアの中に思念が流れ込んでくる。長い長い時の中で、鮮明に残っているマヤの思い出と、いつか訪れるであろうマヤの子供に対する思い。

 愛おしさの中に悲しみが含まれていた。

 ティアの心は震える。シェルの気持ちとティアの気持ちが共鳴して、それは涙となって頬を伝った。

 シェルは、ティアの頬を伝う涙を優しく拭う。

「マヤ様の心は氷とともに封印された。貴方様以外の者に触れられぬように。マヤ様の真意を知る資格があるのはティア様、貴方だけなのです」

 シェルは涙を湛えた瞳で、ティアを見つめ。その小さな体でティアを抱きしめる。

 しばらくの間、誰も何も言葉を口にしなかった。

 沈黙の空間と、ティアのすすり泣く声だけが響いていた。四人の間をすり抜けるように風が吹いていく。


 沈黙を破るようにティアの震える声が響いた。

「母がなぜ、神使である身分でありながら妖魔を交わりを持ったのか……きっと、何か意味があるのでしょうね……私は生まれながらに妖魔とともに存在している」

 ティアは悲しみを帯びた口調でそう言った。シェルは抱きしめていた手を緩めると、ティアから体を離し、ティアを見つめる。

 ティアは刻印が刻まれている部分を握り締めて、眉間にしわ寄せ顔を伏せていた。

「ティア……」

 サンはそんなティアを包むように抱きしめる。

「今の世の中、妖魔と関わりを持たねえで生きていく方が難しい。お前も知ってる通り、俺にだって、妖魔はついてまわりやがる」

 サンの言葉に、ティアはサンの体を自分から離すと口を開く。

「私とサンとは違います……私は……この中に……自分自身の中に妖魔が存在している」

 ティアは揺れる瞳で、自分の胸を叩いてそう言った。自分の中の得体の知れない力に怯える、ティアがそこに存在していた。

 その言葉にはシェルの心が締め付けらるように痛んだ。

「……あのな、お前がその事で俺に害をなした事があるか? 助けられた記憶はあるが、被害を被った事はないはずだぞ。それでいいじゃねえか? もうそれ以上、自分の存在を否定するのはやめろ。それじゃあお前と一緒にいる事を選んだ、俺を否定する事にもなるんだぞ」

 サンは自分で言った言葉の重大さに気付き、顔を真っ赤にして顔を伏せた。

 ティアは揺れる瞳で無理矢理笑みを浮かべたが、それは長くはもたず、両手で顔を覆い、また泣き始めた。今まで自分の中に溜め込んできた何かを吐き出すように、悲しみと苦しみが織り交ざった泣き声だった。

 サンはそんなティアの姿を微笑みながら見つめ、優しく抱きしめる。

 体だけではなく、心さえも抱き合ってるような、そんな心地よさを二人は感じていた。

 刹那、退魔の剣が鳴き、水面に波紋を作る。美しい音が洞窟に響き渡っていた。

 サンは顔を上げ、その音を聞き不思議そうな顔をする。

「いったい、この音は何なんだ?」

 サンの問いに、アクアが静かな口調で話し始める。

「そなたが、封印の扉を開くための念を持った者である証だ」

 アクアはサンを見つめると微かに微笑み淡々とした口調でそう言った。

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