表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/77

       〜水の洗礼〜 

 それは凄まじい光景だった。

 この街は街の名前の如く、水に恵まれた街だったはずである。ところが今は水という水は凍りつき、この状態では作物や植物は生きていけるはずもなく。草木は枯れはててしまっていた。

 かろうじて生命力の強い雑草だけが、建物の残骸の合間から生えていた。

 サンとティアは街の中を歩いてた。人の気配がしない。虫一匹存在してないようだった。

 街の中に寒々とした風が吹く。

 二人の眼の前に、噴水が見えてきた。今では水が出ていない噴水。

 たぶん、ここが街の中心部なのであろう。

 サンは自分の周囲を見渡す。建物は朽ちはて、もはや建物の形をとどめてはいなかった。

 ティアは噴水を取り囲んでいる、コンクリートに腰を下ろすと溜息をついた。

「リンが言っていた通り、この街にはもう人が住んでいないのかもしれないな。ティアはここで休んでろ。俺は近くを見てくる。すぐに戻るからここにいろよ」

 サンは何の気配も感じない事に、違和感を感じながらそう言った。

「わかりました」

 ティアの言葉に、サンはティアに背を向けて歩き出し、建物の残骸の陰へと姿を消していった。

 ティアは、噴水の凍ってしまった水を手で触れる。すると指に冷たい感触とは別の何かを感じた。ティアの指が触れた所から氷が解けて行く。

 ティアはその光景を息を呑み見つめていた。今の今まで流れていなかった水が流れ出す。

「いったい、これは……」

 ティアは立ち上がり、水を湛えた噴水を覗き込んだ。水面には自分の姿が映っていた。


 サンは周りに注意を払いながら、ゆっくりと歩く。

 人間が住まなくなった街といっても。少しは何かの気配を感じるものだ、だがこの街には何の気配も感じない。

 おかしい……サンはそう思いながら足を進ませる。

 足元は所々が凍りつき、気をつけないと滑って転んでしまいそうだった。

 何処を歩いてもあるのは建物の残骸と、伸び放題に伸びた雑草だけ。

 サンは溜息をつきながら、建物の残骸に腰をかける。足元にある水溜りは凍っていて、まるで鏡のようにサンの姿を映していた。

 サンは不自然なほどに青い空を見上げる。

 あの川を渡った時のティアの様子では、絶対にこの街には何かがあると思ったが、期待はずれだったか……

 サンはそう思いながら、目を伏せ真っ赤な髪の毛を掻き揚げる。

 刹那、雫が落ちるような音がした。

 サンは咄嗟に顔を上げ、周りに鋭い視線を向けながら、様子を伺う。

 空耳!? いや、今、確かに水の音がした。サンは耳を澄ませ、微かな音も聞き逃さないようにする。

 音にだけ集中しすぎて、他への集中力が散漫になっていた。

 サンは足元にヒンヤリとした感触を感じ、自分の足元を見つめた。

「何!?」

 そんな言葉がサンの口から聞えたかと思うと、サンの姿は一瞬にして消えてしまった。

 後には、先程まで凍っていたはずの水溜りが、ユラユラと波紋を広げていた。

 

 ティアは噴水の水を優しくすくうと、その水を水の中に落とす。水は波紋をつくり広がっていく。

 ユラユラと揺れる、水面がおとなしくなったかと思うと、そこにはサンの姿が映った。

「サン!?」 

 ティアはその光景に息を呑み、咄嗟に水の中に手を入れる。だがそれはただの水で、ティアが手を入れた事で、水は揺れ、サンの姿を消してしまう。

 ティアは咄嗟に水から手を抜き、水面を凝視しながらおとなしくなるを待つ。

 水面が静かになる。 

 サンの姿が映った。サンはまるでティアの眼の前の水の中で溺れているように見えた。

「サン!」

 ティアが叫んでも、サンに聞えている様子はなかった。

 どういう事だ!? ティアは頭の中がパニックになりそうになるのを必死に堪え、唇を噛み締めた。必死にどうするべきなのか、方法を考える。

 眼の前でサンの苦しむ姿を見てしまったティアにとって、冷静を保つのは難しい事だった。

 新しい感情が生まれた事によって、今まで難なくできていた事が、できなくなてしまう事がある、つくづくティアは思い知っていた。

 ティアは漆黒の髪の毛を掻き揚げ、深呼吸をすると静かに目を閉じた。胸に手をあて呼吸を整える。

 サン……サン……心の中で念じるように、サンの気を辿っていく。

 水の音がする……一瞬の恐怖と苦しい感覚。ティアは眉間にしわを寄せる。ティアの頭の中に一つの映像が浮かび上がった。

 薄暗い洞窟。そこには水が豊富にあり。どこからともなく差し込んでくる日差しが、水面に反射して輝いていた。

 ティアは静かに目を開く。噴水の水面にはもうサンの姿は映っていなかった。

「……洞窟ですか。あの場所はどこにあるのでしょう」

 ティアは溜息混じりにそう呟きながら、周りを見渡し、できるだけ高い場所を探す。

 すると遠くの方に高い塔のようなものが見えた。ティアはその塔らしきものに向かって、全速力で走り出した。

 

 薄暗い空間にサンは全身ずぶ濡れの状態で横たわっていた。 

 生きているようではあったが、気を失っているようだ。

 微かな足音とともに、サンの傍へと近付いてくる影があった。白髪を腰の辺まで伸ばし、翡翠色の瞳を持った老婆であった。

 生成り色の装束を身に纏い、首には真っ赤な勾玉の首飾りをしていた。

 表情は険しいが。纏っている空気は気品に満ちているものだった。

「水が騒ぎ出したと思ったら、退魔の剣の持ち主か……わしの待ち人ではなかったか」

 老婆は深く溜息をつくと、そう呟いた。

「う……ん……」

 サンは呻き声とともに、ゆっくりと目を開ける。ぼやけた空間は薄暗く。眼の前に赤い石がユラユラと揺れているのが見える。

 徐々に眼の前の光景がはっきりしてくる。その石は勾玉だった。

「目が覚めたか?」

 サンはその声に驚き、勾玉の持ち主を見上げる。そこにはティアと同じ翡翠色の瞳をした、老婆が自分の顔を覗き込んでいた。

 サンは慌てて上半身を起こすと、剣に手をかけた。

 老婆は厳しい瞳でサンを見つめていた。

「退魔の剣の持ち主殿、貴女はなぜこのような場所に来たのです。ここには退魔の剣を必要とするような妖魔は存在しませんよ」

 老婆は顔色一つ変えず、そうサンに言う。

 サンは警戒しながらゆっくりと立ち上がると、薄暗い空間を見渡した。

 街の中の水は全てが凍り付いていたというのに、この洞窟にある池は美しく澄んだ水を湛えていた。そしてこの眼の前の老婆の瞳の色。

 サンははっきりとした答えを見つけられずにいた、何かが掴めそうで掴めない。そんな感覚に陥っていた。次の瞬間、衝撃が走る。

 サンの視界に入ったもの。それは石の壁に刻まれた紋章。

 ティアの胸にある刻印とまったく同じ物だった。

 サンはその紋章を見た途端、走るように紋章に近付く。

「これは……」

 サンの様子に、老婆は訝しげな表情でサンの顔を覗き込んで口を開いた。

「この紋章に見覚えがあるのか?」

 老婆はサンの顔を下から見上げるようにそう言った。

「それを答える前に、一つ聞かせろ」

 サンは紋章を指でなぞりながら、そう言う。

「何でしょうか」

「お前はいったい、何者だ!?」

 サンは自分よりもかなり背の小さい老婆を、上から睨みながらそう聞いた。

 老婆はサンの瞳を睨みつける。それは年老いた者の瞳ではなかった。力強くサンでさえ威圧感を感じるほどだった。

「……名のるのは簡単な事、だが、それが本当だと証明はできない。お互いに……です」

 老婆は意味ありげに含み笑いを浮かべる。

 サンは感じていた。この老婆は全てを信用していない。眼の前にいる俺が退魔の剣を所持していたとしても、それがこの老婆にとって味方である証明にはならないだろう。

 第一にこの眼の前の老婆が、生成り色の装束を着て、翡翠色の瞳だからといって、神使とはかぎらない。それと同じだ。

 言葉は心の全てを語るわけではない。

 サンはそう考えながら、飛ぶように後ろに下がると、柄に手を掛け、いつでも剣を抜けるように構える。

「この場所で剣など無意味ですよ」

 老婆はそう言うと、静かに目を閉じ両手を広げる。

「聖なる水よ、命を宿し、悪しき心を消し去れ」

 老婆が静かに言葉を紡ぐと、池の水が揺れ始め渦を巻き水柱が立つ。それはまるで触手のようにサンに襲い掛かってきた。

 サンは剣を抜き、水柱に向って剣を振り落とす。

 剣と水柱が衝突した瞬間、この世にこんな音があるのかと思われるくらい、美しい心地のいい音が響き渡り、洞窟に反響して、音は空に向って響いていく。

 水柱は、一気に砕け、飛び散った。雫の一つ一つが虹色に染まっていた。

「何なんだ、これは……」

 サンは眼の前の光景に驚いていた。

 虹色の雫はサンに優しく降り注いでくる。雫が退魔の剣に落ち弾けると、剣が震え甲高い音を響かせた。洞窟に響き渡っている美しい音に、共鳴しているかのようだった。

 老婆は、先程までの険しい顔とは違う、柔らかい表情を浮かべ、サンをただ見つめていた。 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ