水色の街 〜記憶の断片〜
いつもならサンの少し後ろを歩いてくるティアが、今回の旅に関しては、サンの前を歩いていた。それだけ心が急いてるのかもしれない。
青い街を出てそろそろ四日が経とうとしている。
あの衝撃的な話を聞いてから、ティアは沈みっぱなしだった。無理矢理サンに向ける笑顔が痛い痛しく見えた。
傷もまだ癒えていないというのに、水色の街へ行くと言ってきかないティアに、サンは無駄だと思いつつも説得をした。だがティアは、頑として意思を曲げようとはしなかった。
まあ、気持ちはわからなくもない。
サンはティアの後姿を見ながら、そんな事を思い切ない表情を浮かべ溜息をつく。
ティアの中で、確信に足らない真実が渦巻き悶々としていた。それはサンにも痛いほど伝わってきていた。
ティアがふと足を止め空を仰ぐ。太陽の日差しが容赦なくティアとサンを照らし、チリチリと痛みを感じるほどだった。
足元は砂漠と化した大地。砂は足を必要以上に疲れさせる。
「ティア、どうかしたのか?」
サンはティアの傍らに立つと、目の前に視線を向けた。
漆黒の髪の毛と炎のような真っ赤な髪の毛を、風が揺らし通り過ぎて行く。
熱い日差しに似つかわしくない冷ややかな風だった。
サンとティアの眼の前に、氷に閉ざされた川が姿を現した。川は太陽の光を受け虹色に輝いていた。
「あれは……本当に凍り付いてやがる」
サンは目を見開き、眼の前の異様な光景を見つめる。
ティアは、翡翠色の瞳を揺らして、一歩踏み出すと歩き出した。
この灼熱地獄ともいえるような気温の中で、川が凍るなどとあるわけない。何かの力が作用しているに違いなかった。
川が氷に覆われている姿は、美しく幻想的であった。そうであるが故に得体の知れぬ怖れを感じてしまうのも事実である。
二人は川岸へと足を進める。川を覗き込むと川底まで、氷で覆われているのでないかと思えるほど厚い氷だった。
サンは剣を抜くと、刃先で氷を突っついてみる。何も起こらない事を確認すると、剣を思い切り氷に突き刺した。
金属がぶつかる甲高い音が響き渡る。
サンの手は痺れていた。退魔の剣でも氷に傷をつける事が出来なかったのだ。
「氷の上を渡っていきますか?」
ティアは優しい声でそう言った。ティアの中では、渡らないで済むなら渡らない方がいい。そんな怯えにも似た感覚があった。
「他に選択肢がねえだろう?」
サンもそう言いながら、ティアの中の怯えを感じ取っていた。
川はかなりの幅があった。氷が幾つも突起しているために歩き難い。渡りきるのにそれなりの時間がかかりそうだった。
ティアは両手を握り締めると、意を決したように氷の上に足を踏み入れる。サンもその後をついていくように歩いていった。
ティアは川を渡りだしてから、徐々にだが胸の辺りに圧迫感を感じていた。
何かとても嫌な感覚を覚え、それは徐々に強くなり、ティアを襲い始めた。
フラッシュバックのように断片的な映像が頭にちらつく。ティアは足を止め頭を押さえる。
ティア自身が自分に何が起こっているのかがわからなかった。
サンはティアの顔を覗き込む。ティアの額から冷や汗が流れ、苦しそうに目を閉じ、顔色が悪かった。
サンの瞳は心配の色濃く揺れていた。声をかけたい気持ちはあったが、胸が苦しくて言葉がうまく出てこなかった。ティアに肩を貸す事が精一杯だった。
ティアはサンに支えられるように、ゆっくりと足を進める。川の三分の二をやっと越えた辺りだった。
ティアの頭の中に広がる映像……揺れる黄色の髪、優しい翡翠色の瞳、憎悪に歪む沢山の顔、血に染まる、全てが血に染まる。川が血に染まっていく……
ティアの鼓動が速くなる。息をするのが苦しいくらいだった。
サンはティアの体がだんだん重くなっていくのを感じていた。ティアは体に力が入らなくなってきているのか、体調がかなり悪いようだった。
やっとの事で川を渡り切る。そこはまばらに樹木が生え。大きな岩がいくつも点在していた。
サンは川岸の木の根元にティアを座らせる。
ティアの顔色は悪く、唇までもが紫に変わりつつあった。木にもたれるように体重を預けると、うつろな瞳で氷に覆われた川をただ見つめていた。
サンは腰の袋から、リンに貰ったハンカチを取り出すと、冷や汗で濡れたティアの顔を拭く。
そんなサンの手をティアは握り締めた。ティアの手は微かに震えているようだった。
「どうした? 大丈夫か?」
サンはそう言いティアの顔を見つめる。ティアは力のない瞳を揺らしていた。
「……夢……夢です」
「夢!?……ああ、前に言っていたあの夢か?」
「血に染まった川に漂っている私……その血、誰のだと思います……」
ティアはそう言って、サンの瞳から視線を外して、今にも砕け壊れてしまいそうな瞳で、川の方を見つめた。
ティアの視線が意味するもの……サンは何かに気付いたような表情を浮かべ、川に視線を向ける。夢に出てくる川がこの川なのか……とすると血に染まった理由は、それは……サンはそこまで想像して止める。その先を考える事は苦痛のないものでもなかった。
断片的に頭に広がる映像。それをジグソーパズルのように組み合わせると、一つの事柄が浮かび上がってくる。
ティアは自分が幼い頃から見ていた夢にでてくる川が、この川だったのだと気付く。
そして血に染まる川。それはリンの話にも出てきたが、母親が殺された事と重なっていく。
夢、リンの話、ティアがここで生まれた事を裏付けているようだった。
ティアは葉と葉の間から降りそそぐ太陽の欠片を見つめながら、大きく深呼吸をする。
ほんの少しだが、ティアの様子も落ち着いてきてるようだった。唇の色も戻っている。
「……少しは落ち着いたか?」
サンの言葉にティアはサンの顔を見つめて、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「川を渡ってる間に見えたんです。二十一年前にこの川であった事が……本当に嫌になりますね。こんな弱い自分が……覚悟をしてきたはずなのに、それが何の役にもたっていない」
ティアは俯き、髪の毛を掻き揚げる。
「そう落ち込むな、強いだけの人間なんていやしねえよ……にしてもだ、お前は少しひ弱すぎだけどな」
サンはそう言うと、ティアの漆黒の髪の毛を優しく梳くように撫でた。
「この状況の中でそう言いますか?」
「こういう状況だから、言うんだろう」
サンの言葉にティアは溜息をつきながら、クスクスと笑った。そして思い出す。ここ最近、夢に出てくる、最後に手を差し伸べてくれる。手の主は……
ティアはゆっくりと眼の前のサンを見つめる。
サンはティアに向けて笑顔を浮かべていた。その笑顔は木漏れ日の光りを受けてキラキラと輝いていた。
ティアは前々から薄々気付いていた事を、再確認できた嬉しさに、自然と笑みが零れた。
「なんだか久しぶりに、お前の本当の笑顔を見たような気がする」
サンはそう言うと、切なそうにティアを見つめる。その雰囲気は優しく温かかった。
ティアはゆっくりと手を伸ばすと、サンの両肩を掴み自分の方に引き寄せ、優しく抱きしめた。
「ああもう、鬱陶しいな。放せよ」
サンはティアの腕の中で暴れていたが、ティアは放そうとはしなかった。
「サン、大好きですよ」
「何!? 甘い事抜かしてんじゃねえ!」
ティアの言葉に、サンは顔が熱くなるのを感じて、飛ぶようにティアから離れると、ティアに背を向けた。
背後からはティアのクスクスとした笑い声が聞えてくる。
「てめえ、俺で遊んでるだろう?」
サンのその言葉に、一瞬の間があり、緩やかな風が吹いたような気がした。
「……そうやって、いつでも私の前を歩いてくれますか? 私が道に迷わないように」
ティアはサンの後姿にそう言葉をかける。その言葉に、サンは後ろを振り向いた。
漆黒の髪の毛が優しく揺れ、翡翠色の瞳が湖面に広がる波紋のように揺れていた。
悲しく、切なく。そして一筋、頬を伝って涙が落ちる。
サンはゆっくりとティアに近付く。炎のように髪を靡かせ、凛とした茶色の瞳がティアを優しく見つめていた。
「立てるか?」
そう言ってサンはティアに手を差し出す。
ティアがその手を握ると、サンは自分の方へと引っ張りあげた。
「お前は俺の後ろじゃなく、隣にいろ。迷いそうになったら手を繋いでやる」
サンの言葉に、ティアは顔を伏せ、涙混じりに笑っていた。
貴女は私にとっての太陽……夜の闇にもいつかは陽が昇る。そうですよね。サン……
ティアはそう心の中で呟き。あの黄色い街での砂嵐の中、サンが手を繋いでくれたことを思い出していた。
「それじゃあ、お前の真実を探しに行くぞ」
「はい」
二人は石がむき出しになっているせいで足場の悪い道を歩きながら、街の中へと入っていた。