〜存在価値〜
城の地下牢には領主も含め、十人の人々が閉じ込められていた。
殆どが他の人間とは異質な能力を持つ者だった。その中にはあの街外れに住んでいた、妖魔に利用された女性の夫も含まれていた。
皆、多少なりとも衰弱はしていたが、命に変わる程の者はいなかった。
サンとティアはリンの家で傷の手当を受けた。
リンはサンをティアのいない別室に連れて行くと、装束を脱がせる。
肌のあちこち裂け、血が流れていた。リンはその体を見て悲しく瞳を揺らす。
「女の子なのに、こんなに傷を作ちゃって。消毒液を頭からぶっ掛けたい気分だわ、サン、もっと自分を大事にしないと」
リンはそんな過激な事を言いながら、丁寧に傷の消毒する。サンは悲しく笑みを浮かべていた。
「なあリン、ティアの出生の話って何なんだ?」
サンの言葉にリンは、クスリと笑いサンの顔を覗き込む。
「サンはティアの事が大好きなのね……そうね、貴女達は絶対に離れちゃいけないって思うわ」
リンの言葉にサンは顔を真っ赤にする。
「あら、サンって可愛いのね」
「リン、話を逸らすな!」
サンは真っ赤な顔をリンから逸らしながらそう言った。
リンは真顔になり、ゆっくりと口を開く。
「あのね、ティアの事かどうかは定かじゃないの。だけど、気になる事が二つ。ティアの胸に刻まれた刻印と、瞳の色」
「それがどうかしたのか?」
「まあね。後でちゃんとティアの前で話すから」
リンの言葉にサンは少し苛立つように顔を伏せる。
「真実は真実としてそこにある。それから目を逸らしてはいけないような気がするのよ。それにね、ティアは貴女が傍にいれば、よりいっそう強くなれると思うわ」
リンは光りを受けると金色にも見える、栗色の髪の毛を掻き揚げながらそう言った。
サンはティアの事が心配だった。知らなくて済む事なら、知らない方がいい事もあるかもしれない。サンの中にはそんな思いもあった。
「さあ、できあがり。私の調合した薬は天下一品よ。すぐに治るわ。私の装束貸して上げるわね。たまには女物の装束身につけてみなさいよ。絶対に似合うから」
リンはそう言うと、ウィンクして箪笥の中から、薄い桃色の装束を出してきて、サンに着せる。
「うん、可愛い」
リンはそう自分で納得すると、サンの手を引いて、ティアのいる部屋へと歩いていく。
ドアを開いて部屋に入ると、ティアは窓の外を見つめていた。
ティアはドアが開く音に反応して、振り向いた。
サンの姿が目に入る。桃色の装束を身に纏ったサンは、ティアと目を合わせるのが恥ずかしいのか、少し俯き加減に顔を伏せていた。
それは可憐な桃色の花のように可愛らしかった。
ティアは胸に心地いい鼓動を感じる。心とともに体が温かくなっていくの感じていた。
「サン、よく似合っていますよ」
ティアはそう言って、優しい笑みを浮かべていた。サンはそんなティアの言葉にはにかんだような笑みを浮かべ、頭をかいていた。
「ティア、今度は貴方の番ね。そこに座って」
リンはそう言いながら、薬箱を眼の前の机の上に置く。
ティアもサンも椅子に腰掛けた。ほんの少し空気が緊張をしているようだった。
ティアは上の装束を脱ぐ。まだ胸の刻印は消えてはいなかった。
リンは傷の手当をしながら、張り詰めた空気の中で、静かに言葉を紡ぎ出した。
「これはね、ティアの事なのかどうか、私にはわからないの。ただ、私の知ってる話と貴方の胸の刻印、そしてその真紅の瞳が、その話に重なるの」
「リンさん、私は大丈夫ですよ。今のリンさんの言葉を心に留めて、話を聞きますから」
真っ直ぐに見つめてくるリンの瞳に答えるように、ティアは優しく微笑みそう言った。
「今からちょうど二十年くらい前の話、この街から歩いて三、四日くらいの所に大きな川があって、その川の向こうに水色の街という街がある。そこは生命の根源を司る街として、神使自体も他の所とは違い、唯一神との対話を許された神使がいた」
リンの栗色の髪の毛が微かに揺れる。ティアはゆらりと揺れる髪の毛を静かに見つめていた。
「なぜそうなったのか、それは私にもわからない。その神使は妖魔との交わりを持った、やがて子供が生まれ、その子供は不吉な存在として抹殺されようした。だけど母親である神使は、どうにか子供だけは助けようとして……人間達に殺された」
リンの話を聞いていたティアは、机の上にあった手を力一杯に握り締めていた。
「神使の名はマヤ様、美しく輝く金色の髪の毛に、幻想的な翡翠色の瞳をしていたって。マヤ様が亡くなった後、水色の街は氷で覆われてしまった。マヤ様の力が途絶えたからなのか、妖魔の怒りをかったのか、それはわからない」
リンはそう言うと静かに目を伏せた。
「……それで、この瞳と胸の刻印は」
ティアの問いに、リンは机の上に握られているティアの手に、優しく手を添えると言葉を続ける。
「マヤ様の紋章が、その胸の刻印と同じ物……そして交わりを持ったという妖魔は漆黒の髪の毛に真紅の瞳をしていたと……」
リンのその言葉にティアはいきなり立ち上がる。嫌な予感が体中を駆け巡っていた。
サンは心配そうに瞳を揺らしティアを見つめていた。
ティアはゆっくりと漆黒の髪の毛を掻き揚げながら溜息をつく。
「漆黒の髪の毛、金色の睫毛、真紅に変わる翡翠色の瞳、胸の刻印……そうですか。自分でもわかってはいたんですが、薄々気付いては……でも言葉として聞くと、やはり……」
ティアは言葉とも溜息ともつかぬような、か細い声でそう言う。
「母は私を守るために……」
「ティア、この話はあくまで話だ、実際にどうかはわからない。この話の子供がティアとは限らない」
サンの言葉に、ティアは顔を伏せ漆黒の髪の毛の向こう側の唇が震えていた。
「……しょう……水色の街へ行きましょう」
ティアは言葉を搾り出すようにそう言う。力一杯に握られ右手からは血が出ていた。
リンはそれに気付くと、ティアの手を開く。B・ロージェとの戦い時に、退魔の剣であんな大技をしたために、掌はボロボロだった。
「行ってどうするんだ? 余計に辛くなるんじゃないのか?」
サンの言葉にティアは少しの間、唇を噛み締めて無言だったが、やがてゆっくりと口を開く。
「……怖い、怖いですよ。真実を知ってどうなるのか。私にもわからない。なぜ私は生まれきたのでしょう。母の命を犠牲にしてまで、存在していていいのでしょうか」
漆黒の髪の毛の向こうに、涙の雫が落ちて、机の上に点をつけた。
ティアは自分の掌を治療しているリンの手を払うと、拳を握り締めて思い切り机にたたきつける。
「きっと、私は何かを知りたいわけじゃない。自分の存在価値を見つけたいだけなのかもしれない」
「皆、そんなもんじゃないの。もがいてもがいて悪あがきしてさ、どうにかこうにか目標見つけて生きてんのよ、きっと」
リンはゆっくりと立ち上がりながらそう言うと、ティアの頭を撫でる。
「ティア、人間なんてさ人の事はよく見えるのに、自分の事となると道に迷うもんよ。その時の為に仲間がいるんじゃないの。ねえサン」
リンはサンの方を向いてそう力強く言った。リンの言葉にサンは鼻で笑う。
「自分の存在価値がどうのってな、少なくとも俺はお前がいないと困る。それだけじゃ不満なのか?」
サンはそう言いながら、ティアの顎に手を掛け、伏せられていた顔を上げる。真紅の瞳一杯に涙を湛え今にも零れ落ちそうだった。
「水色の街に行きたいなら、一緒に行ってやる。だが一つだけ約束しろ。どんな真実があっても、それは全て過去だ、今現在お前は俺と一緒にいて旅をしてる。だから二度と自分が必要かどうかなんて口にするな。俺にとってお前は必要な人間なんだから!」
サンは真っ赤な髪の毛を揺らして、ティアに瞳の奥底にまで入り込むような視線でそう言った。
ティアは一瞬目を見開き、そしてつぎの瞬間、満面の笑みを浮かべる。瞳に湛えていた涙が一気に流れ落ちた。
傷の手当が終った後、リンが二人に部屋を提供してくれた。
ティアは窓の傍に腰を掛け、ずっと外を見つめていた。サンはそんなティアをベッドの上に座り見つめていた。
あんな満面の笑みを浮かべたとしても、やはり眼の前に突きつけられた現実は残酷にティアを傷つけたのだろう。
夕食時もティアだけは部屋から出てこなかった。
夜の深い青空に、白い色を放ちながら月が輝いている。
ティアは空を見上げ月を静かに見つめていた。そんなティアの背後から手が伸びてきて、ティアの体を包むように抱きしめる。ティアは一瞬驚きその腕に自分の手を添える。
「サン……」
背中に感じる温もり、浅黒いしなやか腕。後ろを向かなくてもサンだという事がわかった。
「……少しの間このままでいてくれ、お前の存在を感じていたいんだ」
サンの優しい声が、ティアの耳元で聞こえる。ティアは静かに目を閉じ、サンから伝わってくる優しさを体で感じていた。
柔らかい月の光が二人を包みこみ、悲しみも苦しみもゆっくりと溶かしていくようだった。
何のために生まれてきたのか? 今こうして存在していていいのか?
そんな疑問をもったりしませんか?
生まれてから今まで、何度となくそんな疑問にぶつかり
足を止めては後ろを振り向いたり、ずっこけて転んだり
そんな風に生きてきた作者であります。