〜青い石〜
サンは突然の事に何も考えらえらず、ティアと離れない様に、しがみ付くのがやっとだった。
ティアは落ちて行く中でサンの腰から退魔の剣を抜く。
最初にティア達が入ってきた扉がすぐそこまで迫っている。
ティアは剣の柄を力強く握り締めると、壁に向けて剣を勢いよく付き立てた。
金属が擦れ軋む勘高い音が響き渡る。徐々に速度は落ちていくものの、落下速度と二人の重さに耐え切れず、火花を散らしながら、壁を切り裂き落下して行く。
ティアの手や腕にもかなりの重圧が掛かり、振動で握力がそこなわれていくようだった。
「くそおおお、止まれえええ!」
ティアには珍しく激しい口調でそう叫ぶ。城の入り口にある大きな扉を囲っていた鉄に剣が当たると、空気を切り裂くような音が耳に刺さる。ティアの体を激しい痺れが襲った。剣から手が放れそうになるのを必死に堪えた。
剣がいきなり止まった事によって、柄が握られている部分が支点となり、体が振り子のように振られ、思い切り扉に向って二人の体が投げ出され、扉に叩き付けられる。
扉はその勢いに軋み、裂けるように破壊され、二人の体は外の路上に投げ出された。勢いはおさまらず、二人はバラバラの状態で路面を転がる。
「……つっ……いってえ。なんて無茶しやがる」
サンはゆっくりと立ち上がる。ティアは路上に転がった状態で呻き声を上げていた。
「よくも……許さん……生かしてはおかぬ」
憎悪に満ちた低い声が城の扉の方から聞こえてくる。
サンはゆっくりと扉の方を見る。そこにはB・ロージェが瞳からおびただしい血を流し立っていた。
B・ロージェは刺さったナイフに手を掛け引き抜く。刺さっていた部分からはシューシューと音をさせ、湯気が立ち上っていた。
「くっ……このナイフは……」
B・ロージェはナイフを見ながら、そう呟くと血が流れている右側の瞳を押さえる。傷口が溶けていくように大きくなっていく。
「そう、そのナイフは、聖なる青い石で、しかも私が念を刻みながら作ったナイフさ」
そう言って現れたのは、サンが匂い袋を買った店の女店主だった。
サンはなぜここに女店主が現れたのかまったくわからなかった。
「お前は、死んだはずではなかったのか」
「馬鹿にするなよ。これでも神使としては優秀な方でね、簡単には死なないさ。だが苦労したよ、お前にこの城を奪われてから今まで、自分の気をひた隠しにしながら生活するのに骨が折れた」
女店主は、皮肉めいた笑みを浮かべると、B・ロージェを睨み付けた。
「貴様……」
「お前も知っての通り、青い石には魔を消滅させる力がある。お前はもう終わりだよ。その傷口から徐々に溶けてお前は消滅する」
女店主の言葉に、B・ロージェは真っ赤な口元を歪めると、意味ありげに笑った。
B・ロージェは瞳の部分から手を放すと、何の躊躇もなく自分の長い爪を右の頬の辺りに突き刺す。一瞬赤い光が後ろへと突き抜けたかと思うと。右側の頬から上の顔が吹き飛んだ。
「な!?」
女店主は眼の前のB・ロージェの行動に驚愕する。
サンは二人のやり取りをただ見ている事しかできなかった。
「翡翠色の瞳……今度会うときは、命がないと思え」
B・ロージェはそう言うと、黒い影と化し空間の中に消えていってしまった。
「あそこまでやるとは思わなかったな」
女店主はそう言いながら、サンの方を向きニッコリと笑顔を浮かべる。
「いったい、あんたは何者なんだ?」
サンは微かな声でそう呟くように聞く。
「黙っていて悪かったね。あの妖魔に正体がばれるとまずかったもんでね。私はこの街の神使をしている。名前はリン。よろしくね」
リンはそう言いながら、倒れているティアに向って歩き出す。
「この子は賞金稼ぎさんの仲間だろう? いい度胸してるよ、まったく」
リンはそう言いながら、うつ伏せに倒れているティアを抱き起こした。そして胸に刻まれた刻印を目にする。
「これは……」
そう呟くとその後の言葉をまるで呑み込んでしまうかのように、口を噤んで眉間にしわを寄せた。
「うっ……ゲホッ……」
ティアは咳をしながら、弱々しく閉じていた瞳を開く。
「この色は……」
リンはティアの真紅の瞳を見て、驚愕する。その驚きようにサンは鼻で笑いながら、近付いてくる。
「驚いたかい。だがな今眼の前で見たとおり、こいつは妖魔側の人間じゃねえ。コイツはコイツでしかなくて俺の仲間だ」
サンは強い威圧的な瞳をして、リンに向ってそう言った。
そんなサンをリンは見つめ、優しく微笑んでいた。
「貴女が男だったら、私惚れているかもしれないわね」
「な!?」
サンの驚く表情を見て、リンは愉快そうに笑いながら口を開いた。
「そんなの気づくわよ。私にはその人の持つ気を色にして見ることができて、男か女かなんてすぐにわかるわ」
「あの店では、俺を男だと見てただろう?」
「ああ、演技よ演技、退魔の剣を所持してるなんて、もしも妖魔を倒せる人がいるとしたら、この人しかいないって思ったから。だからあのナイフを渡したのよ」
リンとサンのやり取りを見ていたティアは、クスクスと微かに笑う。そんなティアをサンは見つめて溜息をつきながら、笑顔を浮かべた。
「あ! そう言えば俺の剣!?」
サンは退魔の剣の事を思い出し、城の扉の方を向く。剣は扉の上に突き刺さったままになっていた。
サンは走り寄り、城の中へと入る。
「何だ、これは……」
サンは驚いた。そこには先程までとは全く違う空間が広がっていた。
確かに所々穴が開き崩れかかってはいるが、広い空間にいくつも扉があり、その奥には長い廊下、まさしく城の中の空間だった。
やはりあの螺旋階段は、妖魔の力によって作り出された、世界だったのだろう。
サンは床を蹴って跳躍すると、剣の柄を握り締め、壁を足場にし足に力を入れて思い切り剣を引き抜く。金属が擦れる、歯が浮くような音を響かせ剣は抜けた。
サンは剣の刃を調べる。さすがと言うべきなのだろうか、刃こぼれ一つしてなかった。
剣を鞘に収めると、サンはティアの元に歩いてくる。
ティアは上半身を起こし、疲れきった表情で路上に座り込んでいた。
サンはティアの眼の前に、膝を付きティアの顔を覗き込むと、真紅の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ティア、ありがとう」
「……サン、また傷だらけですね」
ティアはそう言うと、サンの頬を優しく撫で切なそうに微笑んだ。
「お前の方こそ、ボロボロじゃねえか」
サンはそう言いながら鼻で笑っていた。
リンはサンとティアの二人の間に流れる、見たこともない気の色を感じていた。
それはこの世のどの色にも存在しないような、言葉では表現しきれない、美しい温かい色だった。
「なるほどね……そういう事か」
リンは一人で納得するようにそう言葉を口にした。
「一人で何を納得している?」
サンはリンの方を見てそう聞いた。
「サンが旅を続けてる理由は賞金稼ぎよね。じゃあ、ティアの方は?」
リンはティアを見つめてそう聞く。
「私は……自分を見つけるためです。自分が何処で生まれ、そしてできることなら母に会ってみたい」
ティアは金色の睫毛を伏せ、静かにそう言った。
リンはそんなティアを優しい瞳で見つめる。
「それがどうかしたのかよ?」
サンはリンに突っかかるようにそう問いかける。
「貴方達の行く先には妖魔の罠が張ってあるって事よ。そしてティア、たぶんそれは貴方の出生の秘密と関わりがあると思う」
「リンさん、何か知ってるんですか?」
リンの言葉にティアは真紅の瞳を揺らし、そう聞いた。
「わかったわ、私の知ってる事を教えてあげる。でもとりあえず、今は貴方達の傷の手当がさきね。そして、地下牢に閉じ込められてる人達を、解放してあげないと」
リンはそう言うと、ティアの頭を優しく撫で、城の中へと走っていく。
サンとティアは顔を見合わせていた。
いったいリンは何を知っているというのだろうか。