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     〜口付け〜 

「何!? 人間ごときが……神使でもない人間にこれだけの力があるはずがない」

 夢魔は微かな声でそう呟くように言うと、悔しそうに舌打ちをする。

 辺り一面を包んでいた白色の光が消えると、人々は怯えに近い驚きを見せ、その場から逃げるように立ち去っていく。

 ティアは額の汗を拭い、溜息とともに目を開いた。瞳は真紅に輝いていた。

 人々が蜘蛛の子を散らすように、散り散りに去った後、路上にポツンと立ち尽くす影をティアは見つける。

「……サン……サン!」

 ティアはそう言って、サンに駆け寄っていく。サンの瞳には輝きが見られず、意識だけがどこか他へといってしまっているようだった。

 夢魔の笑い声が響き渡る。

「さあ、ショータイムの始まりだ。僕の夢から逃れる事ができるかな?」


 淀んだ赤い空間の中に黒い影が揺れ始める。それは徐々に異形の形を取り、見るに耐えない醜い姿で、サンに襲い掛かってきた。

 色、形、匂い。全てにおいて現実味がった。

 血走った大きな瞳を一つだけ持ち、手足は触手の様にクネクネと動き回り、人間の動きよりも数段早く獲物を捕らえる。

 サンの手足に触手が巻き付き自由を奪い、赤い池の中にサンは上向きに倒れ込む、血走った大きな瞳がサンの眼の前に現われ、その大きな瞳から涙がサンの顔に向けて流れ落ちてくる。

 サンは咄嗟に顔をずらし涙の雫をかわしたが、雫が肩をかすめる。

 激しい熱さとともに激痛が肩に走る。

「きゃああああ」

 サンは激痛に耐えかね、悲鳴を上げた。それは酸の涙だった。

 

 サンは地面に転がり、苦痛に歪んだ顔で悲鳴を上げていた。

「サン……」

 ティアは唇を噛み締め、自分の唇を噛み切る。口元から血が流れ落ちた。

 その血を一指し指でなぞると、ティアは夢魔に向けて指を指す。

「我が血よ、刃を化し夢魔を射ぬけ」

 ティアがそう言うと、指先についた血が鋭い針と化し、空気を切り裂くように夢魔に向って飛んでいく。

 夢魔は突然の事に反応が一瞬遅れ、真紅の針は夢魔の足に突き刺さる。夢魔は痛さのあまり地面に倒れ込むと、苦痛に歪めた顔で真紅の針を体から引き抜いた。

「くそっ! 僕がいなければ夢を壊す事はできない。永遠に夢の中を彷徨うがいい」

 夢魔はそう言うと、自分の周りの空間を歪ませ、笑い声ととのに、空気の中に吸い込まれるように消えていってしまう。

 ティアは唇を噛み締め、苦しそうに顔を歪めているサンを見つめる。

「……夢とは人間の脳が見せるもの……一か八かやってみるしかなさそうですね。何か現実とつながる物があれば……あ! これがあった」

 ティアはそう呟くと、懐にしまい込んでいた匂い袋を取り出す。

「現実との橋渡しになればいいんですが、匂いを辿れれば戻りやすい」

 ティアはサンを優しく腕の中に抱く。だがサンは夢の中で必死に化け物と戦っているせいなのか、ティアの腕の中で暴れていた。

 ティアはサンの体を動かないように力強く抱きしめると、匂い袋の中に入っていた粉を空中に蒔く。

「風よ香り運び、我等を包め」

 ティアの言葉に反応するように、ティアとサンの周りに渦を巻きながら優しい風が吹き、匂いの粉を巻き上げた。

 ティアはサンの額に自分の額を当てる。ティアの作り出したイメージをサンの中に送り込む事で、そのイメージを使ってサンを夢地獄から救い出そうと考えたのだった。


「……サン、サン!」

 遠くの方からサンの名前を呼ぶ声が徐々に近付いてくる。

 サンの体の自由を奪っていた触手を持つ化け物が、サンの眼の前で真っ二つに割れ消えていった。化け物が消えた後、そこに立っていたのは優しく微笑むティアの姿だった。

 ティアはサンに手を差し出す。サンはその手に縋るように手を伸ばす。ティアはサンの手をしっかりと握り締めると、サンの体を引っ張り上げるように立たせた。

「サン、貴方の中の現実を思い浮かべてください。今確実に現実に存在する物なら、何でもいいです」

 ティアは柔らかい表情でサンにそう語りかけた。

 サンは静かに目を閉じ、自分の中の現実を思い浮かべる。

 漆黒の黒髪、翡翠色の瞳、柔らかく温かい天使のような笑顔。ティアの笑顔。

 いい香り……サンは匂いに吸い寄せられるように歩いていく。

 サンの歩く前方に光が現れる。それは徐々に大きくなりサンの体を優しく包み込んだ。

 

 サンの瞳に光が戻ってきた。

 ぼやけていてよく見えないが、眼の前に人の顔がある。金色の睫毛……額に感じる圧迫感。

 サンは自分の額にくっついているのが、ティアだという事にやっと気付く。刹那、サンがティアの頬を引っ叩き、音が響き渡った。

 引っ叩いてしまった後に、ティアに助けられた事を思い出し、俯いて肩を落とす。

「……すまない」

 か細い声でサンはそう言い、自分の周りに広がる光景に違和感を感じた。

 サンが夢に落ちる直前にこの場所で起きた惨劇、その全てが幻であった。男の遺体もおびただしい血の海も何も無く、所々に青い石が砕けた残骸が残っているだけだった。

 あの全てがもう夢の始まりだったんだな。サンはそんな事を思いながら、自分の不甲斐なさを感じ。溜息をついた。

「戻ってきてくれて、良かった」 

 ティアは叩かれた方の頬を触りながら、そう苦笑いして言い、サンに手を伸ばすと優しく包み込むようにサンを抱きしめた。

 サンとティアの周りには、まだいい香りが舞っていた。

「な、何だよ。放せ……」

 サンの言葉は拒絶を意味していたが、いつもの威勢の良さはどこかへ飛んでいってしまっているらしく、少女らしい顔を覗かせ、ティアの腕の中で頬を赤く染めていた。

「本当に良かった。言ったはずですよ。私は貴女を失いたくないと」

 ティアはそう言うとより一層強くサンを抱きしめる。

「だけど、俺はお前を……」

 サンの言おうとした言葉に、ティアはサンから体を離し、唇に人差し指を当て遮った。

「リッパーが何を言ったのか、知りませんが、サン……どんな傷よりも、貴女を失う事の方が、私には痛い事なのですよ」

 ティアはそう言いながら、真紅の瞳を揺らし、サンの瞳を真っ直ぐに見つめた。

「ティア、俺だってお前を失いたくない……お前を傷つけたくはない。だがもしも、もしもまた同じような事があったら、その時は迷わず俺を殺せ」

 サンの言葉にティアは瞳を悲しみに染め、少しの間をおいて弱々しく微笑むと口を開いた。

「約束はできませんが、心に留めておきますよ」

 ティアの言葉にサンは悲しく目を伏せ鼻で笑う。

 サンを殺す事等ティアにできるはずがない。だがもしも立場が逆だったら、ティアも同じ事をサンに望むかもしれない。そのわがままな優しさがわかるからこそ、ティアはあえてサンの言葉を否定しなかったのだった。

 お互いになんて残酷な事を相手に望むのかとも思う。だがそれでも相手の事を大切に思う気持ちには違いなかった。

 ティアはサンの頬を優しく触り、サンの瞳を見つめ、ゆっくりとした流れの中で、ティアの唇がサンの額へと近づく。柔らかく温かい感触をサンは額に感じる。優しい口付けだった。

「な!?」

 サンは慌ててティアから離れる。サンの顔は隠しようがないくらいに、真っ赤になっていた。

「ば、馬鹿やろう! 何しやがる!」

 サンは自分の額を押さえながら、慌てふためき激しい口調でそう言った。そんなサンをティアは見つめ楽しそうに微笑んでいる。

「なぜでしょう……ただなんとなく、そうしたかったんです」

 ティアは悪びれもせずに、温かい雰囲気を漂わせながらそう言った。

 サンはティアのそんな笑顔に心臓が苦しくなるほどの鼓動を感じていた。自分でも否定できないほどに、ティアに対して何者にも変えがたい感情が生まれ、体中に広がるのを感じていた。

 サンは自分の感情をティアに悟られるを拒むように、ティアから目線を逸らし横を向く。

 刹那、上の方で何かが割れる音がした! 咄嗟にサンは自分の頭上を見上げた。その時にはすでにティアがサンの体を庇うように、体当たりしながらサンの体を抱きしめ飛んでいた。

 二人は路上に抱き合った状態で転がる。

 寸前までサンが立っていた場所には、大きな青い石の結晶が突き刺さっていた。

「ようこそ、我が城へ。それはささやかながら私からの招待状だ」

 城の上の方から聞き覚えのある声が響いてくる。

「B・ロージェ……」

 サンはその名前を口にしたかと思うと、すぐさま立ち上がり城に向かって走り出す。だがそんなサンの腕をティアは握り締めて止めた。

「何しやがる!」 

 サンは激しい口調でそう言うと、ティアの方を振り向き睨みつける。ティアは瞳を悲しく揺らしてサンを見つめていた。

「冷静になりなさい。怒りは判断を誤らせます」

 ティアはサンの両腕を掴み、真っ直ぐにサンの瞳を射抜くように見つめるとそう言った。

 サンはティアの真紅に光る瞳から視線を外すと、失笑した。

「ああ、そうだな。お前の言うとおりだ……」

 サンはそう言って、顔を上げる。その表情は何の迷いも無く、自分の行く末をしっかりと見据えているような瞳だった。

「ティア、行くぞ」

 サンは赤い髪の毛を揺らしながらそう言い、ティアの瞳を真っ直ぐに見つめる。

「はい」

 ティアはそう返事をして、温かい笑みを浮かべた。

 二人はともに城の扉を開き中へと足を踏み入れたのだった。

 

 

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