〜危険の足音〜
小さな建物から大きな建物までもが、狭い場所に押し込められるように犇めき合うように建っている。
普通に歩いていても、人とぶつからない様に歩くのが大変なほどだった。
「凄い賑わいだな」
サンはアランの手を引きながら、街の中を歩いていて行く。
「今日は一年に一回のお祭りなんだよ。夜には花火も上がるし、ねえサン、一緒に見て行こう。母さんからおこずかいももらって来てるしさ。ゆっくりしていこう」
アランは綺麗な青い瞳を輝かせてサンにそう懇願する。サンは苦笑いしながら頷いた。
「アラン、少しだけ俺に付き合ってくれ。買いたい物があるんだ」
サンは膝を付き、アランの目の高さに目線を合わせるとそう言った。アランはニッコリと笑って大きく頷いた。
犇めき合う街並みの中に、可愛らしい花模様があしらわれた看板が目に入ってくる。
サンはその店の前で足を止める。不釣合いと言ってはおかしいが、サンがこんな可愛らしい店に入るのは珍しい事だった。
ドアを開くと軋む音がして、入って真正面には店主らしき女性が立っていた。
「ねえサン、僕さ退屈だから、外で待っていてもいい?」
アランはサンの手を引っ張りながらそう言う。
確かにアランくらい年齢の子が、興味を持つような物を売ってる店ではなかった。
「わかった。すぐに終るから店の前で待ってるんだぞ」
「うん、わかった」
アランはそう言うと、店から出て行った。
サンは店の中を見渡して、目当ての物を見つけたのか、そこへ向かって歩いていく。
サンが手に取った物、それは匂い袋であった。
匂い袋には女性の身だしなみを目的とする他に、魔を寄せ付けないようにする目的の物もあった。
サンは色々な匂いの中から一つの匂いを選び、カウンターへと持っていく。
女主人は優しい笑顔を浮かべサンに話しかけてきた。
「この匂い袋を選ぶという事は、貴方、賞金稼ぎをしているのね?」
サンは驚き、女の顔を見つめた。
「この街には色々な人間が入ってきて、そしてこの店にも色々なお客が来る。この匂いは魔除けの匂い。そんな事くらいわかって当たり前よ」
女店主は栗色の髪を自慢げにはらいながらそう言って、カウンターの下から小さな紙袋を取り出した。
「これは私からのプレゼント。ここ最近この街に悪い噂があるのよ。夢が人間を殺すってね」
サンはその言葉に、昨日自分が見せられた夢を思い出す。
「その正体をつきとめて、解決したら賞金が出るって。だから賞金稼ぎさん、頑張ってね」
女店主はそう言って、サンにウィンクをした。サンは完全に男として見られているらしい。
サンはお金を払うと、女店主から手渡された小さな紙袋と匂い袋を、腰にぶら下げている布袋に入れドアに向って歩く。
妖魔退治を目的にこの街に来たわけなかった。だがこれも俺の性ってやつかな。どうも妖魔が付いてまわりやがる。ったく、誰かの筋書きの上を歩かされているようで、なんだか嫌な感じだな。サンはそんな事を思いながら外に出た。
外ではアランが眼の前で行われている大道芸に夢中になっていた。サンはそんなアランの横に寄り添うように膝を付く。
サンの姿にアランは気付いた。
「もう用事終ったの?」
「ああ、俺の用は終った。あとはゆっくりして行こう」
サンのその言葉にアランは嬉しそうに微笑んでいた。
雨上がりで太陽がそう高くはない時間帯、寒々とした風が吹いていた。
ティアは青い街に向かって歩いていた。
リッパーはサンにいったい何を言ったのだろうか。サンは正義感が強くて責任感もある。だからこそ自分のした事に対して、必要以上に責任を感じてしまう可能性がある。
ティアはそんな事を考えながら、乾き始めた地面を歩いていた。
すると眼の前に一軒の家が視界に入る、外では一人の女性が洗濯物を干していた。
金色の髪の毛を風に揺らし、瞳は穏かな光りを湛え青く輝いていた。
「あの、すみません。ここを十八くらいの赤い髪の少女が通りませんでしたか?」
ティアは大事な事を忘れていた。そうサンはどう見ても少女には見えないと言う事を。
女性は少し考えるような仕草を見せると口を開いた。
「赤い髪をした少女は見ませんでしたけど……」
女性はそう言い言葉をそこで止めてしまう、ティアはその女性の雰囲気に違和感を感じていた。
何かを隠している。ティアはそう直感する。
「女性は見なかった……何か心当たりがあるようですが……」
ティアはそう言いながら、女性の青い瞳を覗き込んだ。女性は咄嗟に目を逸らしてしまう。
「十八くらいの少年ぽさのある少女ですよ。見ましたよね?」
ティアの中ではそれはもはや確信を意味していた。途端に女性の表情が曇る。瞬間的にティアは心に嫌な何かが吹くのを感じた。
その時だった、ティアの頬を撫でるように緩やかな風が吹いた。
「……これは」
風の中にほんの少しだが邪悪な気を感じた。
「妖魔……ここに妖魔がいましたね? どういう事なんですか! 教えて下さい!」
ティアは女性の両肩を掴むと、激しい口調でそう問いただす。
女性は何かの事情があって言えないのか、口を固く結び開こうとはしなかった。
「仕方がありませんね」
ティアは静かにそう言うと、女性を抱きしめるようにして、自分の額を女性の額に押し付けた。女性はティアの腕を振りほどこうと必死だったが、ティアの力の方が強く振りほどく事ができなかった。
女性の中に残る思念を読み取っていた。普段、ティアは自分から進んで思念を読むような事はしない。だがティアの勘が急を要すると判断し、今回の行動は何よりサンの事が心配で、大切に思ってる事を証明していた。
ティアの頭の中に流れ込んでくる。恐怖、恐怖、恐怖、悲しみ、そして騙した事への後悔。
「妖魔に脅されているんですか? 悲しみ……そう何か大切なもの、存在を人質にされている。だからサンに嘘をついて」
ティアの口から漏れてくる言葉に、女性は目を見開き、怯えを含んだ瞳からは涙が溢れ出していた。
ティアは悲しい瞳をすると、ゆっくりと手をほどき女性から離れた。
「……ごめんなさい」
女性は顔を手で覆い、その場に泣き崩れた。
「主人が、主人が人質になっていて……言いなりにならざるをえなかたんです」
女性は泣き声の混じった声で、言葉を整理しながら紡いでいく。
「夢魔が私の息子になりすまし、あの少年の安心を誘い、一緒に青い街に入れる事が条件でした……そうしない主人を殺すと……」
「では、サンは夢魔と一緒にいるんですか?」
女性は泣き顔を上げると力なく頷いた。
「わかりました。もう泣かないで下さい」
ティアは膝を付きそう言うと、笑みを浮かべて女性の涙を拭う。光り輝く翡翠色の瞳は優しさに満ちていた。
漆黒の黒髪だというのに、こんな天使のような雰囲気を感じるなんて。女性はそう思いながらティアの翡翠色の瞳を見つめていた。
「貴女のご主人をもし見つける事が出来たら、かならず助け出しますから」
ティアはそう言って立ち上がると、掌を力強く握り締めた。
嫌な風が心の中にとめどなく吹いていた。
昨日のサンが夢にとり憑かれた事といい、今回の事といい、サンを執拗に狙っている。
何か途轍もない嫌な作為を感じる。夢魔だけの仕業にしては手が込みすぎている。後ろにもっと強大な存在があるはずだ……
ティアはそこまで考えて、一つの名前を思い出す。
B・ロージェ……ティアはその存在に確信に近いものを感じていた。
「青い街の領主には気をつけて下さい。あれはもはや人間ではありません」
女性はそう言い、ゆっくりと立ち上がると、自分の懐から小さな袋を取り出した。匂い袋だった。
「せめてものお詫びに、貴方の上にいつも幸運がありますように」
女性は穏かな青い瞳を揺らして、ティアに匂い袋を差し出した。
「ありがとうございます」
ティアはニッコリと笑うと、それを受け取り懐に中にそっと入れた。
サンを傷つける者は誰であろうと許さない。ティアは凛とした瞳を青い街に向けると、勢いよく走り出す。
サンに危険が迫っている。ティアの中に抱きたくもない確信が広がっていた。