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     〜切られた糸〜

 頭が重かった。額の辺りに重い圧迫感を感じながらも、ゆっくりとサンは目を開く。

 眼の前には炎が揺れ、その向こう側には真っ赤な瞳がサンの方を睨むように見つめていた。

 サンはその瞳の赤に驚き、目を見開くと勢いよく上半身を起こして、一気に緊張の高まった中で真っ赤な瞳の正体を探った。

「……お前は」

 目覚めから間もないのもあるのか、弱々しい声でサンはそう呟き、見覚えのある真っ赤な瞳の持ち主に鋭い視線を向ける。

「俺の事、憶えているようだな」

 リッパーは鼻で笑いながら、サンの茶色の瞳を凝視しながら言葉を紡ぐ。

「ダーク・リッパー」

「気安くその名を口にするな、人間でその名を口にできるのはシャイニンだけだ」

 サンの言葉にリッパーは不機嫌そうにそう言い、視線を自分の膝へと落とす。膝の上にはティアの顔があり、穏やかな寝顔を浮かべていた。

 サンもリッパーの視線に誘われるようにティアの姿が視界に入る。装束のいたるところが切れており、傷は薄くなりつつも装束には血が滲んでいた。

「お前、ティアに何をした?」

 サンは眼の前に燃えている炎の熱さを気にする風でもなく、眼の前のリッパーに飛び掛りそうな勢いでそう聞いた。

 そんなサンをリッパーは蔑むような目線で睨み鼻で笑った。

「何をしただって? シャイニンがこんな傷を負ったのはお前のせいだろう。シャイニンさえいなけりゃあ、俺がお前を殺してるところだ。夢魔になんかとり憑かれやがって」

 リッパーは瞳を冷やかに輝かせながらそう言った。サンはその言葉に自分が見ていた夢を思い出す。

 そうだった。幻だと気付いていたにも関わらず、その中に自分の身を置く事を自分が選んでしまった。夢の中に出てきた、両親を殺した影を必死に切ろうとした。

 それは現実の世界では眼の前のティアだったに違いない。

 サンは自分の掌を見つめる。ほんの少しだが血で汚れていた。

「俺がティアを……」

 サンの手は震えていた。自分が一番失いたくないと思っている存在を、自分のこの手で消滅させようとしてしまった現実に気付き、心が粉々に砕かれてしまったような衝撃に襲われる。

 いくら夢魔の力のせいだと言っても、自らの手でティアに刃を向けた現実は消えはしない。

 ティア自身が気にしなくても、サンの記憶には後悔と罪の意識が根強く残ってしまうだろう。

 リッパーは眼の前の、サンの落胆振りを、愉快そうに眺めていた。

「お前さ、シャイニンに害を及ぼすなら、今すぐ消えてくれる」

 リッパーはサンに向ってほんの少し愉快そうに怒りの言葉を投げかける。リッパーにとってはティア以外の人間の事など興味の端にも引っかかりはしなかった。

 サンは悲しみに押し潰されてしまいそうな雰囲気を漂わせながら、ゆっくりと立ち上がると地面に落ちている剣を拾い上げ静かに鞘に収めた。

 リッパーの言葉に従う自分が許せなかったが、ティアに対してまともに顔を合わせる事も今のサンには難しかった。

 サンはティアの方を振り向く事も無く、洞窟の外へと出て行ってしまった。

 外は雨も上がり、東の空が柔らかいオレンジ色にほんのり色づいていた。

 リッパーはティアの漆黒色の髪の毛を優しく撫でながら、外の薄明るい空間の中に消えていくサンの姿を見ながらニヤリと笑みを浮かべていた。


 サンはゆっくりとした重い足取りで、雨上がりの中を青い街へと向う。

 どうにもならないほどの心の重さに、押し潰されそうになるのを必死に堪えていた。

 地面は水分を含みぬかるんでいる。

 サンは夢に落ちる寸前の足の感触を思い出し立ち止まる。自分の両手をまざまざと見つめると、その場に座り込むように崩れ落ちた。何が何だかわからないほどに、深い悲しみだけがサンの心を覆っていた。

 涙が頬を伝って流れて落ちた。

「……どうして……こんな……ティアを……」

 自分自身がティアを傷つけてしまった事、それによってティアの隣に自分の置き場所を無くしてしまった事、そして何より自分からティアの存在を取り上げてしまった事。心から大事な物を削ぎとられ、形が変わっていくのを感じて凄まじい痛みが心に走る。

 何をどうしていいのか、自分が何を成すべきなのか、自分の存在する意味を見失いつつあった。

 サンは泥だらけになった手で顔を覆いその場で嗚咽を上げる。苦しい泣き声だった。

「お兄ちゃん、どうかしたの?」

 サンの背後から水溜りを足で踏む音とともに、可愛らしい少年の声が聞こえてきた。

 サンは自分の鳴き声でその声に気づかなかった。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 少年はそう言いながら、サンの肩に手をかける。

 サンはやっとそこで少年の気配に気付き、ゆっくりと顔を上げると後ろを振り返った。

 そこには穏やかな湖のような青い瞳の少年が立っていた。

 サンの顔は泥と涙で汚れ見られたものではなかった、少年は心配そうな顔でサンの顔を覗き込んでいた。

 見た所、六、七才といった感じだろうか。

「お兄ちゃん、お腹でも痛いの?」

 穏やかな青い瞳を揺らして、覗き込んでくる少年の姿に、サンは無理矢理笑顔を作り微笑んだ。

「大丈夫だ。ありがとう」

 サンは涙と泥だらけの顔を袖で拭いながらそう言った。

「お兄ちゃん、泥だらけだよ。うちにおいでよ。ね!」

 少年は無邪気に微笑むと、泥だらけのサンの手を握り引っ張る。サンは少年のその穏やかな瞳に吸い寄せられるように立ち上がると、引っ張られるまま少年についていった。

 この時のサンにはそれを拒む理由も、強がるだけの精神力も持っていなかったのかもしれない。 

 ぬかるんだあぜ道を歩いていくと、青い街の入り口が見えてくる。

 青い街はこの世界の中でも数少ない裕福な町であった。

 深みのある青い石、人魚の涙。その石を手にした者は、自分の望みを叶える事ができるという、伝説の青い石が採取できる街であった。

 その青い石の恩恵を受け街は潤い活気に溢れていたのだった。

 少年に手を引かれて連れて来られたのは、赤い屋根に石造りの小さな家だった。

 少年の家は街外れということもあるのだろうが、活気に溢れている街中とは雰囲気が少し違い、静かな優しい雰囲気に包まれた空間の中に建っていた。

 周りには家らしい建物も見当たらなかった。

「母さん、ただいま」

 少年は家のドアを開きながらそう言い、家の中に入って行く。家の中には金色の髪の毛に少年と同じ色の瞳を持つ女性が、少年を見つめて優しく微笑んでいた。

「アラン、おかえり」

 優しい声で少年の名前を呼んだ女性の笑顔は、サンに自分の母親を思い出させた。

 胸に痛みを感じ、サンは胸元を手で押さえた。

「アラン、そちらの方は?」

「すいません。ご子息の招待に甘えてしまいまして」

 サンはそう言って、真っ赤な髪の毛を照れたように掻いた。

「まあ、アランがわがままを言ったんじゃありませんか?」

「違うもん。お兄ちゃんがお腹が痛いって言うから助けてやったんだよ」

 アランは口を尖らせて母親にそう言う。サンは苦笑いをしながらアランの母親を見ていた。

「せっかくですから。ご迷惑じゃなければ、どうぞゆっくりしていって下さい。奥にシャワー室がありますから、お使いになってください」

 アランの母親はそう言うと。奥の部屋からワインレッドの装束とタオルを持ってくる。

「女物しか無いのですが、よければ使ってください。その間にその泥だらけの装束を洗いますから」

 アランの母親は笑顔でそう言った。

「母さん、お兄ちゃんは男だよ。女物なんて」

「い、いや……アラン、いいんだ。とりあえず俺の装束を洗わせてもらって乾くまでの間、貸して貰うよ」

 サンはそう言いながらも正直複雑だった。何年もの間男としてい生きてきた。だがティアと知り合い、確実に他の者に抱いた事のない感情を持ち始めてからは、女を捨てた事を、少なからずとも後悔している自分が存在している事に気付いていたからだ。

 サンは装束とタオルを受け取ると、シャワー室に入って行く。

 脱いだ装束を籠に入れ、剣はシャワー室の中にまで持ち込んだ。これはいつもの習慣だった。いつ何時、敵の襲撃があるかわからない。言わば剣は自分の体の一部と言っても過言ではなかった。

 シャワーの雫の中で泥を落とす。

 これからどうしたらいい……ティアが目を覚ましたら、アイツの事だから俺が勝手にいなくなった事怒るんだろうな。

 サンはそんな事を考えながら、自分の体を手でなぞるように汚れを落とす。

 強いつもりでいた……いや違うな、強いと自己暗示をかけていただけかもしれない。今回は自分の弱さを思い知らされた。

 サンは濡れた顔をタオルで覆うと深く深く溜息を一つついた。

「くそったれ……胸くそが悪くなる……俺らしくないよな」

 サンはそう微かな声で呟いた。

 タオルで体を拭くと、装束を身に纏い剣を手にして居間の方へと戻っていく。

 アランがサンの姿を見て一瞬、可愛らしく驚く。

「あれ……お兄ちゃんが女に見える」

 アランの言葉にサンは苦笑いをして、タオルを頭からかぶると顔が見えないように隠した。

 母親がサンの眼の前にホッとミルクを差し出して、向かい側に座ると優しい笑みを浮かべた。

 温かい空間がそこにはあった。サンにとって遠い昔にしか経験した事のない、雰囲気がここには漂っていた。

 サンは温かいミルクを一口飲む。

 アランが笑顔を浮かべると母親もそれに答えるように笑顔を浮かべる。

 そんな温かい光景をサンはただ見つめて、目を静かに伏せ苦笑いを浮かべていた。

 今の俺には縁遠い光景だな……だからこそ、その大切さが痛いほどにわかる。

 サンはそんな事を思いながら、顔を静かに上げ、外に靡いている自分の装束を見ていた。

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