青い街 〜夢の襲撃〜
雷鳴が轟き、空間を裂く様に青白い閃光が走っていた。
激しい雨がサンとティアを足止めし、青い街へと入る事を拒むかのように降っていた。
「よく降りますね」
「ああ、そうだな」
洞窟の中で炎を目の前にして、ティアとサンは溜息混じりににそう呟くように言う。
ティアの象牙色の肌を炎が照らし、頬をほんの少し赤く染めていた。ティアは洞窟の外に視線を向け、怯えを含んだ悲しい瞳をすると激しく降る雨を見つめていた。
サンはそんなティアの様子に、違和感を感じティアを見つめながら口を開く。
「ティア、どうかしたのか?」
サンの問いに、ティアはサンの方を向き、いつもの柔らかい笑みを浮かべると静かに口を開いた。
「夢を……夢を思い出したんです」
「夢?」
「はい、幼かった頃からたびたび見る夢です。ここの所、またよく見る様になりました」
ティアは眼の前の炎を見つめながらそう話をする。サンはティアの話を聞き、ティアを見つめながら優しく微笑んでいた。
そんなサンの様子にティアは気付き、不思議そうな表情を浮かべると優しい雰囲気を漂わせながら首を傾げサンを見つめる。
「……今日はちゃんと話してくれるんだな。お前、俺を心配させまいといつも隠すから……夢ってどんな夢だ?」
サンの言葉に、ティアは一瞬何かに気付くような表情を浮かべると、またすぐに柔らかく微笑み口を開いた。
自分自身がサンに対してそんな隠し事をしている実感は無かったが、ついつい奥底の自分を見せる事に恐怖を感じていたのかもしれない。ティアはそんな事を思っていた。
「私の体が水面に浮いていて、川を漂っていると、いつのまにか川は血に染まり、私はその血の川に呑み込まれてしまう……そこでいつも目が覚めるんです。ただ最近はそれに続きがあって、私が必死にもがいていると誰かの手が伸びてきて私を助けてくれるんですよ……そんな夢です」
そう言ったティアをサンは真っ直ぐに見つめていた。
ティアが見る夢である、何も意味が無いわけがない。そうサンは思っていた。
「ちゃんと眠れているか? このぶんだと今日もここから動けない……野宿だな」
サンはそう言いながら、外の空間を覆うように降る雨を見つめていた。
太陽も隠れてしまった夜の闇の中に、雨の音に雷鳴が混じり、時々青白い閃光が辺りを一瞬明るく照らし怪しく光っていた。
サンの中に得体の知れない嫌な感じが広がっていた。
いつのまにかサンもティアも眠ってしまったのか、消えてしまいそうな炎だけが静かな空間に揺れていた。
「う……ん……」
サンは固い地面の上で寝がいりうちながらゆっくりと目を開け、上半身を起こした。
炎の向こう側にいるはずのティアの姿が見たらなかった。
「……アイツ、一人で何処へ行きやがった」
サンの中に嫌な予感が走り、立ち上がると辺りを見渡しながら、洞窟の奥へとゆっくり足を進めて行く。
「ティア!」
叫んでみるが、サンの声が反響するだけで何の反応も無かった。
刹那、サンは足元に違和感を感じ、自分の足元を見る。すると地面が波打ちまるで泥沼のようにぬかるんでいた。
サンはもがくが、抵抗のかいも無く泥沼と化した地面はサンの体をまるで食べるように動いていく。ついにはサンの姿を呑み込んでしまった。
サンの体はズブズブと視界の悪い液体の中を沈んでいくと、眩い光の中に落とされるように体を放り出された。地面らしき底に落ちたが痛みを感じはしなかった。
いきなり視界が開け、眼の前に見た事のある景色が浮かび上がった。
ここにあるはずのない光景。懐かしい景色だった。
「……なんなんだ、これは」
サンの眼の前には、自分が生まれ育った土地の景色が広がっていた。
咄嗟に何かの幻術か何かだ! とサンは思ったが、その幻術を破る術をサンは持ち合わせてはいなかった。
必死に意識を保とうとするが、どんどん幻の中へと引きずり込まれて行く、自分を止める事ができなかったのだった。
見慣れた風景、思い出したくもない日の思い出。
「これは、あの日の光景」
サンの口から微かに漏れ出した言葉が意味する光景が、今まさに眼の前に現れようとしていた。
いつも柔らかい表情を浮かべていた母親。優しくて力強い父親。大好きな空間だった。その空間の中でいつまでも暮らしていたいと願っていた。だがあの日、それは脆くも崩れ去った。
サンと同じ色の瞳を優しく揺らして立っている母親。真っ赤な炎のような髪の毛を揺らしながら、力強い雰囲気を漂わせて母親の傍らに立っている父親。
それはサンが何度となくこうなって欲しいと願って止まない光景だった。
「お母さん、お父さん」
サンはそう言いながら、ゆっくりと両親に向って足を進めて行く。
こんな事があるはずがない、生きているわけがない。それはサンにもわかっていた。だがこれが夢でも幻でも、一瞬でもいい、また三人で一緒に同じ時間を過ごしたい。それはサンの叶う事の無い切なる願いだった。
そんなサンの気持ちに入り込んでくるように、母親も父親もサンに優しい笑みを浮かべていたのだった。
刹那、サンと両親の間に突風が吹き、それと同時にサンの体に血の雨が降ってきた。生暖かい感触とともに錆臭い血の匂いがした。
サンの心の中に嫌な予感が響いた瞬間、母親と父親が血だらけの姿で地面に転がっているのがサンの視界に入ってきた。
心に裂けるような衝撃が走った。
あの時と同じだ……サンは空虚の中に吹きすさぶ悲しい風を感じながら涙を流した。
両親の後ろには、卑しい笑みを浮かべて剣を持つ影が一つ揺れていた。
そうあの日、あの時、両親を失う原因を作りだした人間の姿。
サンの中で怒りと悲しみが爆発する。咄嗟に剣を抜くと、地面を蹴り走り出し、飛び掛るように剣を振るった。だが、いとも簡単に剣をかわされてしまう。
「クソやろう!」
サンはそう叫び、軽く跳躍すると一気に剣を振り落とした。剣はその影の肩をかすめて切り裂き、血を飛び散らせる。まるで赤い花びらのようだった。
「母と父の敵!」
サンは息する間の与えずに剣を振るう。剣が寸前でかわされ皮膚を裂くだけで、致命傷を与える事ができなった。サンは舌打ちをする。
「サン!」
顔のない影がそう叫ぶ。
「俺の名前を気安く呼ぶんじゃねえ!」
サンの瞳は怒りに支配されていた。
「サン!」
ティアはそう叫びながら、眼の前の怒りに満ちたサンの振るう剣を必死にかわしていた。装束はあちこち切り裂かれ、切り裂かれた皮膚からは血が滲み出していた。
「……夢にとり憑かれている」
ティアはそう呟き唇を噛み締めると、サンの剣をかわしながら後ろに飛ぶように後ずさり、思い切り背中を固い岩肌にぶつけ、短いうめき声を上げた。
もう後が無い。どうしたらいい。ティアは必死に考えながらサンの怒りに満ちた瞳を真っ直ぐに見つめていた。
サンの瞳が光り、素早い動きでティアに向って突進し、懐に駆け込んでくる。ティアの胸元に光が走った。
「まったく。お人よしにもほどがある。こんなじゃじゃ馬、殺してしまえばいいのに」
子供っぽい声の中に残酷な響きを含んだ言葉が聞えてきた。
声の主はダーク・リッパーであった。リッパーはティアの眼の前で、サンの剣を素手で受け止めニヤリと笑っていた。
「……リッパー」
ティアは眼の前にいきなり現れたリッパーを驚いた表情で見つめていた。
「シャイニン、コイツ殺してもいい?」
リッパーはティアを昔の名前で呼ぶと、剣を握っている手から血を流しながら、サンを睨みつけそう言う。ティアは悲しく微笑むと無言でリッパーを見つめた。
リッパーはティアから伝わってくる空気に何かを感じたのか、溜息をつくと剣を握り締め動かないようにし、サンの額に人差し指を押し付けた。
「おやすみ」
リッパーが冷やかな声でそう言うと、サンは剣から手を離し崩れるようにその場に倒れこんだ。
「サン!」
ティアはサンの傍へ近付き、座り込むと優しく頬を撫でる。サンは何事もなかったかの様に安らかな顔で寝息をたてていた。
「よかった……リッパー、助けてくれたのですね。ありがとう」
ティアは柔らかい笑みを浮かべてそう言うと、リッパーの真っ赤な瞳を優しい翡翠色の瞳で見つめていた。
「よかった、ありがとうじゃねえよ……ったく、おかげでこの俺が怪我しちまった……ッチ、こいつの剣、退魔の剣だったな。さすがの俺でもすぐに傷が塞がらない」
リッパーはそう言うと、サンの剣を地面に放り投げ、血の流れている自分の手を舐める。
ティアはゆっくりと立ち上がる、そして傷だらけの体をよろめかせながらリッパーに近付くと、血の流れている手を静かに握り締めた。
「な、何だよ」
リッパーはほんの少し頬を赤らめながら、ティアの伏せられた長い金色の睫毛を見つめていた。
「借りなど返す必要も無いのに」
ティアはそう言うと、手に気を集め光でリッパーの傷を包み込んだ。
「今のお前は……昔とは違うんだな……」
リッパーは少し切なそうにティアの顔を見つめながら、優しさを含んだ笑顔を浮かべ言葉を続けた。
「お前への借りは大きすぎてどんな事をしても返せない。俺の命を助けてくれた事もそうだが、俺の事を妖魔としてだけの枠に囚われずに、一つの命として見てくれた事が嬉しかった……何なんだろうな、男に転生した事が残念だ」
リッパーはその子供っぽい容姿には不釣合いな言葉を紡ぎ、優しく微笑んでいた。
鈍感なティアでも、リッパーのその言葉にどんな意味が含まれているのかを、珍しく気付いたのかリッパーを見つめ苦笑いをしていた。
リッパーの傷を包んでいた光が、ティアの掌に戻っていく。
ティアは大きく溜息をつくと、その場に力なく座り込んでしまった。それもそのはずである、ティアの体にはサンに襲われた時にできた傷が無数にあったのだから。
ティアはそのまま地面に倒れるように横になると静かに目を閉じ眠りに落ちてしまった。
リッパーはそんなティアの姿を見つめながら愛おしそうに微笑むと、ティアの頭を持ち上げ頭の下に自分の足を入れ膝枕をする。
「本当に男で残念だ……」
リッパーはそう呟くとティアの髪の毛を優しく梳くように撫で、切ない笑みを浮かべていた。
雨の音が弱まり、遠くの空にほんの少し雲に切れ間ができていた。