〜静かな朝〜
鬱蒼とした威圧感のある森が、みるみる大勢の人間に姿を変えていく。
「これは、どういう事だ? ローズが戻したのか?」
サンはそうローズに向けて問いかける。だがローズは首を横に振った。
「左手を失ってしまった私には、もうそんな力はありません」
覇気を感じさせない表情ではあったが、ローズの表情にほんの少しの優しさが感じられた。
「リッパーが自分の蒔いた種を自分で刈っていったんですよ」
ティアは横になったままで、弱々しい口調でそう言う。サンはティアの寝ているベッドの上に腰を下ろすと、ティアの顔を覗き込んだ。
「お前、アイツとどんな関係なんだよ」
「悪いんですが、話は後にしてもらえますか。起きたら話します。それに肩の治療もしますから……少し寝ます」
ティアはそう言うと静かに目を閉じてしまう。サンはティアの顔を突っついたり、体を揺り動かしたりしたが、起きる気配を感じなかった。
サンは溜息をつきながら、ティアの疲れきった顔を見つめ悲しく笑っていた。
「無茶しやがって」
そう微かに呟いた。
サンは窓際に佇むローズに視線を移して、ローズの老いた姿を見ながら口を開く。
「あんたはどうするんだ?」
サンの言葉にローズはサンの方を向くと、悲しい弱々しい笑みを浮かべ言葉を紡ぐ。
「私の中にあるわだかまりはまだ消えない。ですが、なんだか疲れてしまった……辛くて苦しくて悲しくて、リリーを手放してしまったあと、余計にその思いが強くなるばかりでした。とても長い時間でした。ティアが私の死を望んでないと言いましたね。なぜ、でしょう?」
ローズはティアに再生してもらった、左手を見つめながらそう聞いた。
「ティアの気持ちなんか、俺にはわかんねえ。俺が言えるのは、死んでも何の解決にもなりゃあしない。ましてや周りを消し去っても、それは罪を増やす事にもなるし、自分の心を痛めつけ、荒んでいくばかりだ。それよりも自分の大事なもんのために、それを大切にするために生きた方がいい」
サンはそう言いながらローズに笑いかける、窓から入ってくる風が真っ赤な髪の毛を揺らしていた。
「大切なもの……リリー……」
「あんたにとってリリーが大切なものなら、リリーのためじゃなく、自分のためにリリーの気持ちを大事にしな、押し付けがましい愛情ほど迷惑な物はない。人間、他人のためって言いながら、結局は相手の気持ちはわかんねえ。最低限、自分がやられて痛いって思うことはやらななきゃそれでいいんじゃねえのか」
「貴方もリリーに会った事があるんですよね? 私があんな姿に産んでしまったばかりに苦労していませんでしか?」
「ああ、あんな強くて綺麗な女性は久しぶりに見た。自分が異質な存在だって事を認めて、迫害を受けても負けない。本当に気持ちのいい女だった」
ローズはサンの言葉に顔を伏せ、小刻みに震え泣いていた。
自分が守らなければ。母親の思いが強すぎると、それは知らない内に自分を追い込み、精神を病んでしまう事がある。
頑張らなければいけない。その心がけは大事だろうが、時には肩の力を抜いて、息抜きをする事も大事である。
ローズは自分で自分を責め続けていたに違いない。
こんな姿に産んでしまった。目も無く、醜い姿。見た目に囚われ、心を見る事ができなかったのかもしれない。
ローズは静かに部屋を出て行く。もうこの街にいる事はできないだろう。老いた背中が弱々しく淋しい影を落としていた。
優しい月明かりが部屋に差し込み、床に投げ出されたままの剣が輝いていた。
サンは立ち上がると剣を拾い鞘に収める。そして静かにガラスの割れた窓を見つめた。
あんな感覚は初めてだった。ティアが炎に包まれているのを見た時、まるで剣が自分の体の一部のように重さも感じなかった。そしてあの輝き、あれはいったい何だったんだろう
サンはそう心の中で考えながら、夜に輝く月を静かに見ていた。
「サンさん!」
ライアンがそう言いながら部屋に駆け込んでくる。
サンはティアの傍らに腰をかけ、顔を上げライアンを見つめた。ライアンは部屋の中に入るなり、その場の惨状に驚き足を止めた。
床にはいくつもの血痕が残り、眼の前には肩を怪我したサンと、その後ろに蒼白な表情のティアが死んだように眠っていたのだから。
「これは……ティアさん、大丈夫ですか?」
ライアンは生きてる事を思わせない、ティアの顔色をみてそう心配そうに聞いた。
「安心しな。全部終った。ティアも疲れて寝てるだけだ」
「サンさん、肩の怪我大丈夫ですか? 今怪我の手当てをしますね」
ライアンはそう言って、部屋から走って出て行く。サンは大きく深呼吸をしながらライアンの後姿を見送っていた。
「血が足りねえ……肉が食いたい……」
サンはそんな事を口ずさむと、静かに体が横に傾いていき、ベッドの上に倒れこんだ。
背中にティアの体温を感じながら、サンはそのまま眠りについてしまった。
外からは沢山の喜びの声が湧き上がっているのが聞えていた。
ローズは姿を消してしまった。何処にいったのかそれは誰も知らなかった。ローズの姿と一緒に、あの窓際に置いてあった百合の花も一緒に無くなっていた。
きっと死を選ぶ事無く、生きる事を選んだに違いない。
微かに鳥の鳴き声が聞えていた。サンは頬に温かみを感じ目を開ける。目の前には優しく差し込んでいる日差し、眼の前の天井はバラの模様があしらってあった。
サンはティアのベッドで寝てしまった事を思い出し、慌てて上半身を起こすと部屋の中を見渡す。だがそこはあのティアの部屋とは別の部屋であった。
自分着ている装束も新しいものに変えられていて、肩の怪我には包帯が巻かれていた。
ドアをノックする音がする。
「どうぞ」
サンの声にドアは開き、ライアンが顔を出す。
「目が覚めましたか?」
そう言って、ライアンはサンに近付いてくる。
「お前がやってくれたのか?」
「いいえ、着替えと怪我の治療は僕の姉に頼みました。まさかサンさんが女性だったとは、気付きませんでした。装束を脱がす前に気付いてよかった」
ライアンは無邪気に笑うとそう言った。その言葉にサンの頬にほんの少し朱が差した様に見えた。
「ティアはどうしてる?」
「まだ寝ていますよ。一応火傷の方は薬を塗っておきましたけど。まだ目を覚ましません……サンさん、ローズの姿が何処にも見えないのですが、何処に消えたのでしょう」
ライアンがサンの顔を覗き込むようにしてそう言った。
「自分の居場所を探しに行ったんだろう……もうこの街には戻って来ないさ、きっと」
サンはそう言うと、微かに目を伏せた。
「今度もし戻ってきたら、笑顔で迎えようと思ってるんです」
ライアンのその言葉にサンは面食らった。酷い目にあったにも関わらず、いとも簡単にそんな言葉を口にできるライアンに対して、少し怒りを感じていた。
「確かに差別や迫害はいけない事だ、しないに越した事ない。だけどやられた事を根に持たずに、生きていくのは難しい事だ、人間の感情なんてそんな簡単なものじゃないぜ」
サンはライアンの瞳を真っ直ぐに見つめてそう言う。ライアンは少しの間、目を伏せ何かを考えているようだったが、ゆっくりとサンを見つめると口を開く。
「そうですね。でも頑張ります」
ライアンはそう言うと柔らかい笑みを浮かべて、サンの顔を覗き込んでくる。日差しを受けているせいなのか、笑顔が輝いて見えた。
「サンさんの事、好きになってもいいですか? ああ、でももうティアさんがいるから僕の入る隙なんてないかな」
ライアンはいきなりとんでもない事を言い出した。その言葉にサンは目を見開き驚いていた。頭の中が真っ白になり、言葉が何も見つからなかった。
「優しくて、頼りがいがあって、そんな男っぽい格好してるけど、可愛いし」
ライアンはそう言うと自分の顔をサンの顔に近づけてくる、サンは日焼けであまりわからないが、顔を真っ赤にして後ずさる。そんなサンの姿を見て、ライアンはまたニッコリを笑った。
「ほら、可愛い……ティアさんがいないければ、貰っちゃうのにな」
ライアンは何の悪意も感じさせない表情でそう言うと、人差し指を立てて微笑んでいた。どうもライアンはサンの事を好きなってしまったらしい。
「ティア、ティアって、さっきから、俺とティアはなんでもねえよ!」
サンはそう叫ぶと、どうしていいかわからず、照れもあるのか、それを必死に隠すように顔を伏せ、しまいには布団を頭までかぶってしまった。
ライアンはその傍らで、こんもりと盛り上がっている布団を見つめながら、楽しそうに微笑んでいた。