〜心の目〜
「リリー、私を探しに来たのですか?」
少年の後ろで地面に横たわっていた、翡翠色の瞳の持ち主がか細い声でそう言葉を発する。
リリーと呼ばれた少女は、その声を聞き瞬時に反応し、自分の両腕を掴んでいる少年の手からすり抜けるように、横たわったその者に走り寄って行く。
「ティア、大変なの! 主様が……主様が……」
少女は幼さの残る姿とは正反対な、艶やかな大人っぽい女性の声でそう涙混じりに叫んだ。
どうやらこのリリーと言う少女と、翡翠色の瞳を持ったティアと呼ばれた者は知り合いらしい。少年はそれに気付くと、二人へと近付いて行く。
「気がついたかい?」
少年はティアの顔を覗き込むとそう聞いた。
「こんな所まで運んで頂いたのですね、何とお礼を言っていいか」
ティアは辺りの雰囲気を確認しながらそう言った。
少年の足元にいたリリーは顔を見上げると、いきなり立ち上がり、少年の足にしがみついた。
「賞金稼ぎのサン殿、どうか我等をお助け下さい」
リリーの口からいきなり飛び出した言葉に少年は目を見開いて驚いた。
それもそのはず、この少女と鉢合わせてから数分、少年自身の身の上を明かした憶えが無かったからだ。それにも関わらず、この不思議な少女は、少年が賞金稼ぎをしていて名をサンだと言う事まで見事に言い当ててしまったのだ。
「驚かしてしまいましたね。リリーには目が無い代わりに、全てではありませんが、近くにいる者の中身を見ることの出来る心の目があるのです」
ティアのその言葉に、サンは納得したように改めてリリーの顔を見つめる。目の無い少女の口だけが微笑んでいた。だがそれを見て、何人が悪意のない優しい微笑である事に気付くだろうか。目の無い、赤黒いアザのある顔に浮かべられる微笑は異様、そう言わざるをえない雰囲気を漂わせていた。
サンは少女のような温かい優しい微笑を浮かべると、リリーの頭を優しく撫でた。
「どうも俺が狙っている妖魔とも関係があるようだ、その依頼、受ける事にしよう」
サンがそう言葉を口にすると、リリーは嬉しそうに口角をめい一杯に上げ微笑んだ。そこから伝わってくる温かさをサンは体全身で感じていた。
サンには特にこれといった特徴的な潜在能力は無かったが、第六感と言うべき目には見えない雰囲気や予感を感じる力が備わっていた。
「それで、主様がどうかしたのかい?」
サンのその言葉に、リリーはティアの方に急いで向き直り口を開いた。
「もう最後かと思われます」
リリーの口調は優しい雰囲気を持ちながらも淡々としていた。その言葉にティアは今までサンに背負われて進んできた、霧に覆われた道を振り返る。
するとさっきまでの一寸先が見えない程立ち込めていた霧が薄くなり、道や向こうの木々までもが見え始めたのである。
「……結界が消えてしまう、急がないと」
ティアは上半身を起こしそう言うと、まだ熱の残る体を持ち上げ立とうとする。だが自分の体が鉛のように重く感じ、すぐ地面に膝を付いてしまった。
サンはティアの腕の付け根に自分の腕を入れると、ティアの体を持ち上げるようにして立たせ、今度はティアの腕を自分の肩に回す。
ティアは身長こそ高いが、華奢な体のため思ったり重くはなかった。
「さあ、案内しろ。主様の所に行くんだろう?」
サンはそう言いながら溌剌とした笑顔を浮かべると、ティアの体重を半分持ち上げるようにして歩み始めた。
どんどん色薄くなって行く霧の中をサンとティア、そしてリリーの三人は街の中心部へと入っていった。
薄くなりつつも周りを囲んでいた霧がいきなり晴れ、視界が開かれた。
サンの眼の前には、街並みと言うよりはひなびた佇まいの村といった感じの雰囲気が広がっていた。
暴風が吹けばすぐに飛んでしまいそうな、藁葺き屋根の小さな家がいくつも点在し、家の周りでは小さな子供達が遊び、大人達もそんな子供達を見守りながら仕事をしている、そんなのどかな風景が目に入ってきた。
だが直ぐに雰囲気の異様さに気付く。サンとティア、それにリリーが近付くと、子供達は動きを止め家の陰に身を潜め、三人を怯える瞳で見つめていた。大人達も仕事の手を止め、三人を睨むように冷やかな視線を送っていた。
ティアとリリーの二人はその異様さに慣れているのか、何の反応も示さなかったが、サンだけはその子供達と大人達の反応に憤りを感じていた。
「気になりますか?」
ティアの耳障りのいい声が聞こえる。サンはその言葉に何も言わずに、ただ鼻で笑うだけだった。
「みんな私の事を怖がっているのですよ」
ティアのその言葉はサンの予想を裏切った。ティアは、私、と言った。サンの予想ではリリーの存在に怯えているのだと思っていたのだ。
「確かに私の事を気持ち悪いと、毛嫌いし罵声をあびせる子供達は多いけれど、怖がりはしない。まあ二人とも嫌われているのには変わりないけど」
後ろを歩いていたリリーが、サンの思っている事を読み取ったのか、そう言い冷やかに鼻で笑うのが聞えた。
差別や偏見、自分達と異質な姿形をした者に対して忌み嫌い排除しようとする、人間たちの醜い習性が存在した。
「今にわかります」
ティアは悲しい笑みを浮かべ弱々しくそう言い、足を止めた。眼の前には周りの家と比べてひときわ大きい藁葺き屋根の家があった。
「この街の神使である主様の命が途絶えた時、結界が消えてしまいます。次の神使を立てるまでの間、この街を守って欲しいのです」
そう言いながらティアは家の中に入って行く。サンもそれに続くように中に入ると、中には老人が一人、布団に横たわっていた。その姿には神使としての力強さはもう無かった。
老人はティアに気付いたのか、弱々しい表情を浮かべ、ティアの方に手を差し出した。ティアはその手をしっかりと握り締める。
「ティアよ……わかっておるな。タイミングを間違えるでないぞ」
「はい」
老人は弱々しい表情の中にも凛とした瞳を輝かせてそう言った。ティアは老人の手を布団に戻すと後ろのサンへと振り向き口を開いた。
「サン殿、結界が緩みはじめている事に妖魔達は気付いています。現にここ何日か、力の強い妖魔が入り込んでいました。結界が消えたと同時に沢山の妖魔が雪崩れ込んでくる事でしょう……」
ティアのその言葉に、ティアがなぜあの場所で倒れていたのか察しがついた。弱くなっていたとはいえ結界の中に入ってこれるという事は、かなり強力な妖魔だったはずである。ティアはその妖魔と戦ったに違いない、だがこの華奢な体で戦うと言う事は、潜在能力がかなり長けていなければならないだろう。
潜在能力だけで戦う。それは自分の体と精神を武器にすると言う事である。あの場所でティアが倒れていたのは力を使いすぎたという証でもあった。
だが腑に落ちない事がある。ティアがそれだけの力を持っていたとしても、街の住人達がティアを怖れる理由がわからなかった。自分達を妖魔から助ける存在を感謝こそすれ、怖れるとはどういう事なのだろうか。
サンはそう思いながらも、その事には触れず、生意気な雰囲気の笑顔を浮かべると口を開いた。
「このサン様に任せろ! 妖魔を一匹残らず始末してやる!」
自信のみなぎる声でそう言った。