〜炎の理由〜
「ライアン、貴方も立ってないで座りませんか」
ティアはライアンに向かって優しく微笑みかける。ライアンはその笑顔に引き寄せられるように、ティアの向かい側に座る。
「ライアン、貴方、ローズさんから私の事聞いてますか?」
「長は貴方の事、昔からの知り合いで、自分にとってとても大事な人だと言っていました」
ライアンの言葉にティアは髪の毛を掻き揚げ溜息をつき口を開いた。
「大事な人……ですか。だから森で私達を見た時、睨んだんですか? 今の貴方とは全然雰囲気が違いましたよ」
ティアはライアンを見つめ優しく微笑む。ライアンは悲しそうに目を伏せティアから目を背けてしまった。
ライアンにも何か事情があるに違いない。ローズに逆らえない何かがあるのだろう。
「ティア、どういう事だよ!? あの女の手を燃やしたって、何か事情があるんだろう?」
サンは何も理由無く、ティアがそんな事をする訳がないと、そう信じていた。
ティアは優しく微笑むと、ゆっくりと口を開いた。
「ローズさんがリリーを連れて、主様を訪れた時でした。リリーは十八才、私は五才でした。リリーの体には装束を着ていてもわかるような、体中に内出血の痕がありました。あの赤黒い痣があるにも関わらず、それは確実に故意的につけられたものだとわかりました。日常的に虐待を受けていたのだと思います。後々、主様が悔やんでおられました。赤子の時に預かっておけばよかったと」
「リリーが、母親に虐待されていたって言うのか?」
「はい、ですが証拠があるわけではありません。ただ今でもはっきり憶えているのは、リリーの母親を見る目は怯えていた。私は無意識的にリリーの手を握ろうとした。ですがリリーはそれを拒絶するように私の手を払った。当然です。日常的に虐待をされていれば、人に触られる事への恐怖は常人の比ではないでしょうから」
ティアはそこまで話すと目を伏せ、漆黒の髪の毛を掻き揚げながら頭を抱え、ため息混じりに言葉を紡ぐ。
「先程、ローズさんがライアンに手を上げたでしょう? それと同じ事が起きたんです。ローズさんがリリーに手を上げた。私は咄嗟にローズさんの手にしがみ付きました……その時……ローズさんの思念が頭の中に響いた」
ティアは一瞬口を噤んだ。思い浮かぶ記憶にティアは何を見ているのか、今にも砕けてしまいそうなほど悲しく瞳を揺らしゆっくりと顔を上げた。
「……許さない……許さない……殺してやる……ローズさんの心は憎悪と悲しみに満ちていました。私は幼すぎた。頭の中に広がる思念に恐怖を感じ、感情が力に形を変えローズさんを襲ってしまった。私がふがいないばかりに、私の手がローズさんの手を燃やしてしまった」
ティアはそう言うと、深く深く溜息をつく。体の中の空気が全て無くなるではないかと思うほどの溜息だった。
「……だから、あの女に悪いと思ったのか? だからされるがまま此処まで来たってのか!?……ったく、お前はよ!」
サンはティアを怒鳴りつけ、平手を振り上げた。だがそれをライアンがサンの手を掴んで止めた。
縮れた金色の前髪の向こうには、切なさに震える瞳があった。ライアンはサンを真っ直ぐに見つめていた。
「僕達の家族を助けてくれますか?」
ライアンはそう言葉を口にした。
「どういう事だ?」
サンはそう聞くと、ティアを叩こうとしていた手を引っ込めて、ティアを一瞥してソファーに座る。
ライアンもソファーに座り、悲しみ揺れる瞳を伏せ、静かな口調で話し始めた。
「元はといえば言えば僕達が悪いんです。あの人をのけ者にしてしまった。僕達は緑の街の住人でした。もちろんローズも……ローズが異様な娘を持ってる事は知っていた。それを面白おかしく言う人も多かったし、だからローズがこの街から消えてしまった時も、皆それほど気にもしなかった」
「だけど、ローズは戻ってきたんだな?」
ライアンの言葉にサンは鋭い目をしてそう言った。
「はい。ローズが戻ってきた時、不思議だったんです。何年も経つのにぜんぜん年を取っていなかったから。でもそれもすぐに理由がわかりました」
「妖魔に心を売ったんですね。今日の泉での件はローズさんがやったものですか?」
ティアは両手の指を組み、それを額に当てながらそう言った。
「あれは僕がローズの命令でやりました。僕も少しなら術を使えます。申し訳ありませんでした。あの時はローズの大事な友人だと思ったので、つい……」
ティアとライアンの会話の中に出てきた、泉の件の話はサンにはよくわからず、サンの中で微かな違和感として疑問として残った。
「ローズの力は凄まじかった。きっと迫害した僕達緑の街の住人を恨んでいたのでしょう。僕達の親も含めて街の住人の殆どが、この森の木にされてしまいました」
ライアンのその言葉を聞いた時、サンはローズの顔を何処で見たのかやっと思い出したのだった。
「……思い出したぞ。あの女、賞金首だ。金額にしたら安いからいちいち憶えてなかったけど、確かにそうだ」
「ですが、ローズさん自体が妖魔になったのではなく、妖魔の力を借りていると言った方が、いえ違いますね。きっと妖魔がローズさんの心を利用しているのでしょう」
「賞金首だし、殺っちまえば、木になったヤツらも元に戻るんじゃねか?」
サンのその言葉に、ティアは顔を上げ、サンの顔を鋭い視線で睨みつける。そんなティアの視線を感じて、サンは冷やかに笑った。
「ティア、俺は賞金稼ぎだぜ。賞金がかかるって事は、それなりに人間にとって悪影響を及ぼすって事だろう? 害になる物を排除して何が悪いんだ?」
サンの言葉にティアは何も言い返せなかった。言い返せない自分が腹立たしく感じ、唇を噛み締めた。
「ライアン、あの女は俺に任せろ」
サンの言葉にティアは怒りを感じ立ち上がった。
「ライアン、私にも部屋が用意してあるのでしょう? 部屋は何処ですか」
「おいおい、まだこの屋敷いるつもりか? 殺されても文句言えねえぞ」
「私の部屋、教えてください」
ティアはサンの言葉を無視して、怒りを帯びた瞳でライアンに強い口調でそう言った。
「この廊下を行った、突き当りの部屋に用意してあります」
先程ローズが消えていった廊下とは別の廊下を、ライアンは指差すとそう言った。ティアは何も言わず、サンに背中を向けると一人その部屋へと向って歩いて行った。
「いいんですか?」
ライアンのその言葉にサンは苛立ちを隠せない様子で、食べる事に八つ当たりするように、口いっぱいに料理を頬張っていた。
あの頑固な偽善者め! 危なくなっても助けねえぞ! 人間てのは時として妖魔よりもたちが悪くなる。そんな事、お前の方がよく知ってるだろうが! サンはそう憤慨しながら、ティアの歩いていく足音を聞いていた。
ティアは薄暗い廊下を歩き、ドアを開き部屋に入るとドアを静かに閉め、その場にドアを背もたれにするように座り込んだ。
サン、貴女の言う事ももっともだと思います。ですが、妖魔と契約したとしても、可能性がゼロでは無いなら、ローズさんが自分の意思で木に変わってしまった人を元に戻したほうがいい……そう思うことは私の身勝手な偽善でしょうか……。
ティアはそんな事を思いながら、顔を上げ何を見るわけでもなく、ただ空中を見ていた。翡翠色の瞳には天井にあしらったバラの飾り模様が映っていた。
ローズは薄暗い部屋に一人立っていた。窓際には比較的大きな鉢に、薄っすらと差し込む日差しを受け、白百合の花が咲いていた。
「この手……炎に包まれた熱さは今でも忘れない。リリーと別れなければならなくなったのも、全てあの子せい……絶対に許さない」
ローズは掌に爪の痕が残るほど拳を強く握り締め、思い切り壁にたたき付ける。痛みで少しは怒りが和らいだような気がしていた。
ローズ自身が、この怒りが何処から来るものなのか、はっきりとわかっていなかった。
ローズの中で、自分自身が自分の罪から逃げるために記憶を歪め、責任転嫁をしてしまっているのかもしれない。
自分よがりの愛情は時として、相手に刃となって突き刺さる。刺した本人は自分のした事に恐怖を感じながらも、歪んだ愛だと認めず、それを愛情だと押し通し正当化する。
お互いに傷つき血が流れる事から目を背け、気付かない振りをしてしまう。
自分が犯した罪を素直に認める勇気が無く、罪を他になすりつけ、自分を正当化しようとする。弱い人間がそこには存在していた。
「手を貸そうか?」
冷やかな声が、部屋の隅の影から聞えてくる。窓から差し込んできた日差しの中に姿を現したのは、真紅の髪の毛に真紅の瞳を持つ小さな少年だった。
少年は無邪気に笑顔を浮かべてローズに近付いて行く。
「いいえ、あの子はこの私がやるわ」
ローズは殺気に満ちた瞳で、扉の向こう側、大広間にいるティアに向けてそう言った。
「まあ、いいけど。だけどあの子、僕の好みなんだよね。汚く殺さないでね」
真紅の瞳の少年は鼻で笑いそう言った。それは子悪魔といった表現が一番しっくりくるのではないだろうか。
これから先に起こる事を、まるで誕生日を待ちわびる子供のように瞳を輝かせていた。その姿がなおの事不気味さに拍車をかけ、異様な雰囲気を漂わせていた。