〜月の微笑〜
漆黒の髪の毛、真紅に変わる翡翠色の瞳、金色の睫毛。確かに異端だな。だが、こんなに色んな要素がごちゃ混ぜになってるにも関わらず、なぜか周りを魅了する美しさを持っている。そしてあの威厳に満ちた雰囲気。マーラが気に入るのもわからなくはないな。アイツは昔から変わった物が好きだった。
クラマはそんな事を思いながら、ベッドで寝ているティアを見ていた。
「……う……ん」
ティアは金色の睫毛を揺らし、静かに目を開ける。
「気が付いたか? まったく少し眠るって言って何日寝るつもりなんだ?」
クラマはそう言うと、ティアの顔を覗き込んだ。ティアの瞳は奥深い翡翠色をしていた。
「……何日寝てましたか?」
「まる二日だぞ。まったく……マリが飯作ってくれているから、ちゃんと食えよ。お前体重が軽すぎだぞ」
クラマのその言葉に、ティアはクスクスと笑う。
「つっ……」
突然、ティアは胸を押さえ顔を歪める。
「痛むのか?」
「ええ、まあ……こんな深手を負っても死ねないんですから。不気味ですよね」
ティアは天井を見つめ自分を蔑むように言い、失笑する。
クラマは眼の前の、華奢な青年の中に深い悲しみ、否、自分に対する怖れを見ていた。自分が普通の人間だと信じ生きてきて、突如自分の中に闇の力が存在する事を知った時、どんな痛みが走るのだろうか。
クラマはそんな事を考えながら、ティアの髪の毛を優しく掻き揚げると微笑んだ。
「何か意味があるんだろうよ」
「……意味……ですか」
クラマの言葉にティアはそう呟く。一瞬、脳裏にサンの顔が浮かぶ。なぜ浮かんだのがサンだったのかわからなかったが、ティアの心に心地のいい風が吹いていた。
「そうかもしれませんね……ところでサンはどうしてます?」
ティアはクラマを見つめて聞いた。クラマは溜息を一つする。
「もしかしたら、お前より重傷かもしれねえな。赤い街から帰ってきて以来、飯もろくに食わねえで、俺ん所の花畑に来ては花ばかり見つめてる」
クラマの言葉を聞き、ティアはベッドから起き上がろうとする。傷はまだ完治してはいない、かなりの痛みがともなうはずだ。
「まだ痛むんだろうが、おとなしくしてろ」
クラマはそう言い、ティアの肩に手をかける。ティアはそんなクラマの手に自分の手を添えると、凛とした瞳でクラマを見つめた。
「私にもよくわからないのですが、行ってあげないといけない……いえ、私がサンの所に行きたいんですよ」
ティアはそう言い微笑んだ。温かく優しい笑みだった。何の邪気も感じない生まれてまもない子供が浮かべる笑顔のようだった。
まったく、かなわないな。クラマは鼻で笑うとティアの肩から手を放す。
ティアはベッドからゆっくりと立ち上がる。目眩を感じ一瞬眼の前が暗くなりそうになるのを必死で堪えた。
ティアはゆっくり歩きながら部屋から出て行った。
クラマは静かにティアが階段を下りていく音を聞いていた。
消える寸前のヴァン・ルビーの瞳がサンの脳裏にやきついていた。死ぬ事を望んでいるような瞳をしていた。
「きたねえぞ……クソッ! 俺の中に鬱陶しい置き土産まで残しやがって」
サンは地面に座り込んで吐き捨てるように言うと、風に揺れる花を見ていた。
B・ロージェ……あの妖魔の言った事が本当なら、俺の親を殺した根源はアイツだ……くそったれ。
サンは舌打ちをすると、目を伏せ俯いた。
もう十年以上も昔の話になる……ヴァン・ルビーは親の仇を討っただけであった。だがあの時の、ヴァン・ルビーの姿はサンの中に恐怖として残っている。
銀色の髪の毛を振り乱し、真紅の瞳を光らせ人間を襲う様は、それまでサンが見ていたヴァン・ルビーのどの姿とも違って見えていた。
サンが幼い頃、母親が傷ついて倒れていたヴァン・ルビーを家に連れて帰ってきた。前々から神使としては異端視されていたサンの両親は、それを切っ掛けに異常なまでの迫害を受ける事になった。だがそんな事を気にする両親ではなく、ヴァン・ルビーの看病を続けた。
ヴァン・ルビーも吸血鬼でありながらサン達を襲うことは無かった。穏やかで気品に満ちたその雰囲気には好感が持てた。
もしかしたら、ヴァン・ルビーも闇の世界では異端だったのかもしれない。
サンはヴァン・ルビーの事が好きだった。だからあの日も花をプレゼントしようと花を摘みに出かけたのだった。
いとも簡単に人間達を殺していくヴァン・ルビーの姿を目にした時、深い恐怖とそして重い悲しみに心は押し潰されてしまった。
そしてサンは記憶を閉ざし、ヴァン・ルビーを憎む事で恐怖から逃れてきたのだった。だが、偽りの中で保っていた自分が崩れ、真実の中の真実を知り心が騒いでいた。
サンは自分の中に渦巻く整理しきれない気持ちに苛立ち、自分の奥底にある恐怖に怯える自分を認める事を拒絶していた。
サンは拳を握ると、地面に思い切り叩き付ける。痛みを感じる事でしか苛立ちを抑え、恐怖から逃れる事が出来なかった。心が締め付けられるように痛かった。
自分の親が人間に殺された事、ヴァン・ルビーが親の仇を討った事、そしてその全てがあのB・ロージェの策略だった事、サンの中で湧き上がる怒りは、全て偽りの記憶を作り上げてしまった自分に向けられていた。
拳が潰れ血が出ていた。
サンの視界に細く白い手が入ってくる、その手はサンの血だらけの拳を優しく包むように掴んだ。サンが顔を上げるとそこにはティアの姿があった。
「触るんじゃねえ!」
サンはティアの手を払い、目を伏せる。ティアはそんなサンを悲しみに揺れる瞳で見つめていた。
「何なんだよ! 俺なんか放っておけよ」
サン自身もこれが八つ当たりである事は十分にわかっていた。
「私は意外にわがままなので、サンにそう言われても傍にいたいんですよ」
ティアはそう言うと、サンの横に腰を下ろした。
サンは自分への怒りを抑える事ができず、ついつい思ってもみない事を口走ってしまう。
「鬱陶しいんだよ! てめえみたいに人間なのか妖魔なのかわかんねえようなヤツに傍にいられると迷惑なんだよ!」
サンはそう言ってしまった後に心が押し潰されるくらい深く後悔をした。横にいるティアの顔を見るのが怖くて顔をあげる事ができなかった。
少しの静寂の中、風の音だけが聞えていた。
「……綺麗な花ですね」
ティアの耳障りのいい声がサンの耳元をくすぐるように聞える。
二人の眼の前には白と桃色の花が風に揺られ、温かい日差しを浴びて柔らかい表情を見せていた。
サンはゆっくりと顔を上げ、隣にあるティアの顔を見る。ティアは漆黒の髪の毛を風に靡かせ、サンを責める事もせず、伏せ目がちにただ花を見つめていた。
ティアを深く傷つけてしまった。サンはそう思っていた。
サンは自分の言ってしまった言葉を戒めるように、唇を噛み締め、手を力一杯握り締めた。
「……悪い、今のは本気じゃねえから」
サンの言葉にティアはサンの方をゆっくりと向くと微笑んだ。
漆黒の髪の毛が舞う中で笑みを浮かべるその表情は、まるで闇夜に浮かぶ月の光のように優しく輝いていた。
「わかっていますよ。でも私も決して強い人間ではありません……悪いと思うなら、私を背負って帰ってもら……え……ます……」
ティアは優しくそう言ったかと思うと、サンに凭れかかる様に倒れてきた。
「どうした、ティア?」
サンがティアの顔を覗き込むと、胸を手で押さえ、その表情は眉間にしわを寄せ苦痛に歪んでいた。
「お前、まだ傷が治ってないのに……馬鹿だな」
サンはため息混じりにそう言い俯いた。頬を伝って涙が流れていた。サン自身どうして泣いているのかわからなかった。ティアに対しての後悔なのか、サンの中の怒りが生み出した悲しみなのか。色々な感情が噴出し、決して一つの色に混じり合う事のできない感情が、涙になったのかもしれない。
ものの数分だったと思うが、サンは声を出さずに泣いていた。
「まったく世話がやけるぜ」
サンは涙声でそう言うと、涙を拭いティアを背負い歩き始めた。
確かコイツの背負うのはこれで二回目だったよな。まったく俺はお前を背負うために生きてるんじゃないんだぞ。まあ今回は俺の方が悪かったから仕方がないか。
サンは心の中でそう呟き鼻で笑った。ほんの少し少女っぽさを覗かせていた。
ティアは静かに目を閉じ、サンの背中に凭れていた。
サンの中でほんの少し何かが吹っ切れたのか、あきらかに表情が違っていた。サンの心にも心地のいい風が吹いていた。