〜大きな鳥〜
通称紅の騎士、甲冑を脱いだその姿は、この世の者とは思えぬほどの美しさを持っていた。
髪の毛は長くプラチナのように銀色に輝き、漆黒の闇を思わせる瞳は氷のように冷たい雰囲気を漂わせていた。
玉座にうな垂れながら座り、右手にはワイングラスを持ち、赤い液体を口に含み冷やかに笑みを浮かべるその姿は、周りのものを全て凍りつかせるのではないかと思うほどの、冷たい美しさを放っていた。
何が神の使いの神使だ!? あいつらは何をした……自分自身の力を驕り、妖魔をただ排除するだけ、それが何の意味を持つって言うんだ。
人間達は自分達が一番偉いと思ってるんだろうな。妖魔を生み出したのは人間達自身なのに、ただ妖魔を忌み嫌い警戒し、恐怖に怯える。そして殺戮は殺戮を生んで、悲しみ、怒り、憎悪の感情は妖魔にとって最高の餌となる。
馬鹿な人間ども……
紅の騎士こと紅の城城主、ヴァン・ルビーはそんな事を思いながら、グラスの中の赤い液体を飲み干すと、思い切りグラスを床に叩き付けた。
グラスの破片が悲しい光を放ちながら、赤い絨毯の上に飛び散っていた。
「城主様、先ほどの娘を連れてまいりました」
侍女らしき女がそう言いながらヴァン・ルビーの元にサンを連れて来る。サンの姿は少年のような姿とは異なり、綺麗な桃色の装束を身に纏い、化粧も施されていた。
今までない可愛い少女らしさを感じさせていた。
ヴァン・ルビーはゆっくりと立ち上がると、サンに近づき瞳を覗き込んで微かに微笑んだ。
傍にいる侍女をヴァン・ルビーは、漆黒の瞳で見つめる。
「ありがとう。お前は私によく仕えてくれる。後でご褒美をあげるよ」
ヴァン・ルビーはそう言うと、侍女の頬をその細い指でなぞり、漆黒の瞳を輝かせる。すると侍女は何かに魅了されるかのように、うっとりとヴァン・ルビーを見つめ頬を赤らめた。
「さがっていいよ」
侍女は一礼するとその場を後にした。
「さあ、どうしようか……ここで侍女として働く? それとも俺の女になる?」
ヴァン・ルビーは愉快そうに笑みを浮かべて、サンに向ってそう聞くが、サンは何の反応も示さなかった。どうも暗示をかけられ意識を閉じ込められているらしい。
ヴァン・ルビーは細く白い指でサンの顔を上げると、サンの唇に自分の唇を近づける。唇が触れようとした刹那、サンの平手がヴァン・ルビーの頬に飛んだ。
「な……に!? 意識が戻っただと!?」
ヴァン・ルビーは、サンの瞳を見る。するとサンの瞳は未だ意識を戻した状態ではなかった。
なぜだ!? 暗示にかかった状態で俺を引っ叩いたって言うのか? 精神の奥底の方までは暗示をかける事ができなかったって事か。なんて精神力だ……ふ〜ん、久しぶりに面白い女と出会えた。気に入ったぜ。
ヴァン・ルビーはそう思いながら。愉快そうに声を立てて笑っていた。
サンの手を取り、ヴァン・ルビーは自室にサンを連れて行くと、自分のベッドに座らせた。
「俺はお前みたいな、ただの人形になりえない女が好きだ。久しぶりに楽しませてもらえそうだな」
窓の無い部屋でヴァン・ルビーはそう言い、銀色の髪の毛を掻き揚げると皮肉っぽい笑みを浮かべていた。
ヴァン・ルビーはサンを一瞬見ると、部屋から静かに出ていく。部屋の中は鬱陶しいくらいの静寂に包まれ、その中でサンは人形のようにただ座っていた。
マリの家を出た時よりも太陽の位置が少し傾いていた。
クラマの家は街外れに位置し、家の周りは花に囲まれていた。
目の前に現れたのは大きな鳥、ではなく金色の瞳を持つ、深い海の色を思わせる鱗が張り巡らされたドラゴンであった。
ティアは眼の前のドラゴンに驚きを見せていた。通常、ドラゴンは闇の配下であり、神使が飼っている等聞いた事がなかったのである。
クラマ様らしい……ティアは密かにそう思っていた。
「気をつけろよ、コイツ、俺とマーラにしかなつかないからな」
クラマはそう言うと、ティアとドラゴンのやり取りを面白そうに見ていた。
「名前は何と言うんです?」
「オスなんだけどな、なぜかマーラがハナコってつけたんだ」
クラマはマーラを背中から下ろすと、ドラゴンにつける鞍を取りに行く。マーラはやっと立てるようになったのか、ティアの傍まで歩くとティアの装束を握り締めた。
「ハナコが小さい時、死にそうになっていたのを俺が拾ってきたんだ。1年くらいでこんなに大きくなっちゃった」
「そうですか。マーラは優しいですね」
ティアはそう言うと笑顔を浮かべてマーラの頭を撫でる。マーラはティアに頭を撫でられるのが好きだった。なんともいえぬ心地よさを感じていたのである。
その時だった、ハナコがいきなりティアに顔を近づけたかと思うと、鼻先でティアの体を吹っ飛ばす、ティアの華奢な体は簡単に吹っ飛び地面に転がった。
マーラはそんなティアの姿を見て、愉快そうに笑っていた。心の中でこうなる事を予想しつつ、期待をしていたのかもしれない。
「つっ……痛い歓迎ですね」
ティアはそう言い、ハナコを睨みつけてゆっくりと立ち上がる。そしてまた懲りもせずにドラゴンに近付いて行く。ティアの普段の雰囲気から想像できないが、意外にも負けず嫌いな顔を持っているのかもしれない。
ティアはハナコの前に来ると静かな瞳をしていた、ハナコの金色の瞳の中まで見透かすような視線で見つめる。
ハナコはまたティアに顔を近づける。危ない! と思った瞬間、ハナコは青紫色の長い舌でティアの顔を舐めたのだった。
それはティアにとって嬉しい事ではあったが、ざらざらした舌で舐められるのは、正直気持ちの良いものではなかった。思わずティアは苦笑していた。
「やっぱりティアはすげえな。こんな短時間でハナコと仲良くなるんだから」
マーラはそう言いながら無邪気に笑顔を見せ、ティアの装束に纏わり付いていた。
「さあ、そろそろ出かけるぞ」
クラマはハナコに鞍をつけると、マーラを抱き上げハナコに乗せる。
ティアは軽く地面を足で叩くように蹴ると、跳躍して背中に乗った。
クラマが最後に背中に乗り手綱を握る。
「ハナコ、急ぎの用なんでな、よろしく頼むぞ。さあ、出発だ!」
ハナコは大きな翼を羽ばたかせると、その巨体を宙に浮かせて飛ぶ。一気に地面から離れ、疾風の如くもの凄い速さで風を切りながら飛んでいった。
上空から先程、マーラ達三人が襲われた畑が見えてきた。何かが光っている。
「あ! あれ、サンの剣だ」
マーラの言葉を聞き、クラマはハナコに地上に降りるように言うと、ハナコは巨体の重さを感じさせずに地上に降り立った。
サンの剣は灰色の甲冑の首元に突き立っていた。
クラマが剣を抜き甲冑の頭をゆっくりと取ると、大量の灰が零れ落ちる。風が灰を飛ばしながら運んでいった。
「これは……」
ティアは風にと飛ばされていく灰を見ながら呟く。
「退魔の剣で灰になるって事は……まさか、吸血鬼」
クラマの言葉が合図になったように、三人はサンの剣を持つと急いでハナコに乗った。
「ハナコ、急げ!」
クラマの声とともにハナコは飛び立つ。
あの騎士が吸血鬼と化していたのなら、その親はおそらく紅の騎士……急がねば、サンもササラも餌食になってしまう。
三人は同じ事を思い、心は急いていた。
ハナコは空気を切り裂くように風を唸らせ、少し色あせた青空を赤い街へと向かい飛んでいった。
薄暗い部屋で、ヴァン・ルビーは侍女を抱きしめていた。
額に口づけをし、ゆっくりと顔の輪郭を唇でなぞり、首筋へと動いていく。
侍女は頬を赤らめ至福の時に陶酔しているようだった。
ヴァン・ルビーは口を開け、侍女の首筋に鋭い牙を突き刺した。
「きゃああああ」
侍女は悲鳴に近い快楽の声を上げる。
血が滴り落ち、冷たい床に赤い点をつけていた。
ヴァン・ルビーの漆黒の瞳は真紅に輝き、心臓の躍動する音が響いて聞えるようだった。
床に重みのある音を響かせて、侍女が倒れる。
足元に倒れた侍女は失神していた。ヴァン・ルビーは冷やかな瞳で侍女を見つめながら、鼻で笑い目を伏せた。その美しい横顔には悲しい影が差しているように見えた。