赤い街 〜紅の騎士〜
街は何事も無かったように賑わいを見せ、人々の声が飛び交い活気に溢れていた。
カラン亡き後、カランの存在に関する記憶、そして亡き者が蘇り、偽りの時間を過ごした記憶は、街の住人から消え失せていた。
本当にこれでよかったのか……ティアは無意識に自分自身が行った行為に疑問を感じてた。
街の住人の記憶を故意的に消したわけではなった。ティアの心の中でもうこれ以上、誰も傷つけたくないという気持ちが力に作用し、記憶を消し去る結果になってしまったらしい。
「……どっちにしろ、これからも俺達人間は、悲しい事や嬉しい事を記憶し思い出にしていく。それに押し潰されるかどうかは本人次第だ」
ティアが立ってる後ろ側から、男らしい低い声が聞こえてきた。ティアが驚いて振り返ると、そこにはクラマが朗らかな笑顔を浮かべて立っていた。
さすが神使、と言うべきだろうか、気配に敏感なティアがクラマの気配にまったく気付かなかったのだから。
ティアは買い物籠に葱と人参、大根などを入れ、長い漆黒の髪の毛を風に揺らしながら、翡翠色の瞳でクラマを見上げていた。
身長は二メートル近くはあるだろう。筋肉質の体から漂う凛々しく力強い雰囲気は、とても五十年以上の年月を生きてきているようには見えなかった。
サンとティアの二人がこの街に滞在してから、一週間が経とうとしていた。
「またこき使われているのか?」
クラマは皮肉めいた言葉を言うと、ティアの顔を覗き込むようにして笑う。
「……違います。私が手伝いたいだけですから」
ティアはまるで天使のような表情でクラマに微笑を投げかける。クラマはその笑みを眩しそうに見つめゆっくりと空を仰いだ。遠い昔を思い出すかのように雲を見つめフッと鼻で笑い目を伏せた。
「悪いんだけどな、ちょっと付き合って欲しいんだ。ユリカに会ってもらえんだろうか?」
クラマはティアに気を使っているのか、申し訳なさそうにそうに聞くと、ティアは何の躊躇も無く頷いた。
「私も伝えたい事があったので会いたかったのです」
ティアはそう言うと、悲しい笑みを浮かべていた。ティアの脳裏に蘇る記憶、カランが深い闇に落ちていく中で、送られてきた強い思念。
ティアは金色の睫毛を静かに伏せ、自分ではどうする事もできなかった事に苛立ちを感じ手を握り締めていた。
太陽の眩い光が、畑に育った野菜に降り注ぎ、生きる力を感じさせていた。
サン、ササラ、マーラの三人は唯一この街で作物の育つ土のある場所に来ていた。
「サン! 剣を振り回すのは得意なくせに、畑仕事は苦手なのかよ!」
マーラに怒鳴られながら、サンは畑に育った野菜の収穫をしていた。ほうれん草にトマト、鮮やかな緑色をしたアスパラも顔を出していた。
「だ、だ、だ、大嫌いなんだよ!」
「何が!?」
「ミミズが!」
サンは青ざめた顔で、身動き一つせずに硬直したように突っ立っていた。ササラはそんなサンの足元にミミズを見つけて、クスクス笑いながらミミズを掴む。
「貴方も可愛そうね。一生懸命生きてるだけなのにね」
そうミミズに対して言いながら、ミミズをサンから離れた場所へと優しく放してやった。サンは胸を撫で下ろし溜息をつく。
それを見ていたマーラがキラキラ輝く満面の笑みを浮かべると、土の中からミミズを探し出し、両手に握り締めサンに近付いて行く。
ササラはマーラの魂胆に気付き、マーラを睨みつけると大きな声で嫌味を含めてからかうように言葉を紡いだ。
「マーラ、いいかげんにしなさい! そんなにサンが好きなの!?」
ササラのその言葉にマーラは足を止め、口をパクパクと動かしながら、両手に握っていたミミズを地面に落とした。
色黒のマーラの顔が一気に赤くなるのが見て取れる。
「な、な、な、な、何だ!? ばかじゃねえの!!」
マーラはササラに向って慌ててそう言うと、耳まで赤くして背中を向けた。少しクセのある黒髪がフワリと風に靡いていた。
嘘だろう? ティアじゃなかったのかよ……サンは頬がほんのり熱くなるを感じていた。
マーラがティアではなく自分に対して、好意を持ってくれている事にサンは驚いたが、相手はまだまだ子供である。二人のやり取りに微笑ましさを感じていた。
風の音に混じって、ひづめの音が近付いてくるのが聞えてくる。
ササラとマーラは音のする方に神経を集中して耳を済ませ、サンの心の中では何か得体の知れない嫌な感じが広がっていた。
「ササラ、逃げろ! 紅の騎士の神使狩りだ!」
マーラはそう叫んだかと思うと走りだし、ササラの手を握る。そこへ空気を鳴らしながら矢が飛んできて、マーラの肩を捕らえ深々と刺さると、マーラの手とササラの手は離れ、マーラはその場に転がるように倒れた。
「マーラ!」
サンは叫びながら、傍らに置いていた剣を手に取り鞘から抜く。
ひづめの音は更に近付き、五頭の馬が畑の中に走りこんできた。五頭のうち一頭にだけ赤黒く光る甲冑に身を包んだ騎士が乗っており、威圧的な雰囲気を漂わせていた。
騎士達はササラを追いかけるように走る。ササラは恐怖に顔を強張らせ必死に逃げていた。
空気を裂くように鋭い音がし、ムチが伸びてくるとササラの足に巻きついた。
「あっ!」
短い声とともにササラの体が後ろに引っ張られるようにして体重をもっていかれると、ササラは前のめりに転んだ。と同時に素早い力で馬に乗っている紅の騎士はムチを引っ張り上げる。ササラの小さな体は紅の騎士の手元に引き寄せられてしまった。
サンは剣を手に握り走る、地面を思い切り蹴り上げ跳躍すると、騎士に向かって剣を振りあげ、一気に振り落とした。
紅の騎士の肩の部分に剣があたり甲高い音が響く。甲冑をへこませる事はできたが、切断する事は不可能だった。
この退魔の剣でも切断できないなんて、なんて硬い鎧なんだ……サンは一瞬そう思った。
衝撃で跳ね返ったサンは地面を転がりながら衝撃を逃すと、もう一度走る。その時だった。後ろ側から何かが飛んでくる音がし、それに気付いたサンは身をかがめながら後ろから飛んできた物体をやり過ごした。それはロープの先に石を結びつけた簡単な武器であった。
サンは身をかがめながら、紅の騎士に向かって風のように走っていく。今度は左側から矢が飛んでくる。それを軽やかな俊敏さでかわすと、矢を放った騎士を睨みつけ、その騎士に向かってサンが飛んだ、精神を剣に集中して思い切り振り下ろす。騎士はサンの俊敏な動きをかわす事ができず、咄嗟に右手で自分の体を守ろうとしたその時、サンの剣が騎士の右手を凄まじい音と共に切断した。
「ぎゃああああ」
騎士は右手を落とされ、激痛に凄まじい絶叫を上げると馬から落ち地面をのた打ち回った。
サンは飛ばされるように地面に落ちる、一瞬、草に足をとられスキができてしまう。それを見逃す相手ではなかった。
サンの首にムチが飛んできて巻きついた。ムチはサンの首を容赦なく締め付ける。サンは紅の騎士を睨みつけながら必死にムチを外そうとするが、何かの力が作用しているのか、びくともしなかった。
サンの意識は薄れ、眼の前が暗闇に閉ざされていってしまった。
紅の騎士はサンが失神するのを確認すると、ムチを首から外す。まるでムチ自体が自分の意思を持っているかのようだった。
騎士達はのた打ち回っている自分達の味方を馬の上から見ていた。
「……殺れ」
紅の騎士が、眼の前で悲鳴を上げてのた打ち回っている騎士に対してそう言うと、他の騎士が馬から下り、サンの手に握られていた剣を取り上げたかと思うと、のた打ち回っている騎士の首元に向けて思い切り剣を突き刺したのだった。おびただしい血とともに騎士は絶命した。
サンはうつ伏せに倒れていた。騎士はサンの体を足で転がし、仰向けにする。
肌蹴た朱色の装束の胸元から小さな胸のふくらみを感じ取る事ができた。
「……こいつ女か……こいつも連れて行こう」
紅の騎士はそう言うと、甲冑の中から微かに鼻で笑う音が聞えた。
サンとササラの二人を連れ去り騎士たちは姿を消した。無情にもひづめの音が遠く離れていくのが聞えていた。
「……くっ……うう」
マーラは肩に刺さっている矢に手をかけると歯を食いしばる。
「くっ! うっあああああ」
マーラの絶叫が空気を揺らして響き渡る。肩に突き刺さっていた矢を力ずくで抜いたのだった。薄っすらと気が遠くなるのを感じ、マーラは唇を噛み締め、必死に意識を保とうとしていた。唇には血が滲んでいた。
紅の騎士……紅の城の城主のヤロウ、憶えてろよ……マーラは心の中でそう呟きながら、肩を手で押さえ、ゆっくりと立ち上がると街の中心部に向って歩みを進めた。
サンとササラが収穫したトマトはいたる所に転がり、無残にも潰れ散乱していた。