〜罪深き心〜
微かだが何かが空気に触れる音が聞えたと思った矢先、カランの首に透明な糸が巻きつき、後ろへ引っ張られるようにして、カランの体が倒れた。
カランの倒れた向こう側に立っていたのはササラだった。
ササラは気を失っている、自分の双子の弟を見るなり、息を思い切り吸い込んだ。
「こら! いつまで寝てる、起きろ!」
ササラの声は岩を反響して、何倍にも膨れ上がるようにマーラに届く。マーラは何かで勢いよく殴られたように目を覚まし、辺りを見渡してササラと目が合った瞬間慌てて立ち上がった。
妖魔の手がティアに届く瞬間、その手をティアは掴む。そして今まで見たことのないような殺気に満ちた目をする。
「……その瞳、あの方に似ているな」
ティアの瞳を見つめながら、妖魔は微かにそう呟き、もう一本の手でティアの首を掴み、岩の壁に叩きつけるように押し付け、持ち上げた。
ティアの体は地面から浮き上がり、苦しさに顔を歪める。
サンの視界にティアのその姿が入る。心の奥の方から何かが沸きあがるのを感じた。それは怒りなのか悲しみなのか、どんな感覚なのか口に言い表す事のできない感覚だった。
ただ、はっきりしてるのは、ティアを失いたくない、否、失ってはいけない。そんな気持ちがサンの心の中を支配していた。
「……く……そ……たっれ〜!」
サンは地下の奥底の方から這い上がってくるような声を上げたかと思うと、激痛が走る中、自分にかかっていた暗示を無理矢理破り、剣を振りかざして妖魔に走りこんでいく。
妖魔はティアから手を離すとフワリと軽く跳躍して、サンの剣を交わした。
「ほう、これは驚いた。暗示を破るとは、面白い話を持ち帰れそうだ……また会おうぞ。それまで生きておれよ」
妖魔はそう言って、空間の中に姿を消してしまった。妖魔が消えたと同時に地面の下から湧き上がってくるような地響きがし始める。
作られた幻想の空間で闇の入り口を開けてしまったために、空間事態が歪み始めていたのだろう。
「ティア、大丈夫か?」
「……大丈夫です……サン、この方達の魂を浄化してあげてください。この方々の本来の魂が悲痛に叫んでいるんです。助けてあげてください」
ティアの頭の中に沢山の悲鳴がこだましていた。テイアはサンの装束を握り締めて、真紅の瞳を揺らし眼の前の悲しき蘇り人を指さし言葉を紡ぐ。
深く悲しい色をしていた。ティアはこの者達の中に何を見ているのだろうか。
サンは立ち上がると、唇を噛み締め、街の住人たちに刃先を向ける。
カラン、俺はお前を絶対許さないからな! 心の中でそう叫ぶと地面を蹴り剣を振るいながら走り抜ける。
剣を一振りする度に、悲しみが心に突き刺さり痛かった。サンは涙で頬を濡らしながら剣を振り下ろしていた。
マーラも跳躍しては、眼の前の蘇り人に長い爪を振るう。
後には何体もの白骨化した死体が転がっていた。
ササラは透明な糸を操りながら、カランの動きを封じている。カランも眼の前の光景に諦めたのか、逆らいはしなかった。悲しく影の差す瞳は、自分の暴走し始めた感情を誰かに止めてもらいたい。そう言っているようにも感じた。
ティアは痛む頭に手を当てながらカランに近付き、悲しい瞳でカランの深い青の瞳を見つめていた。
カランの額に指を当て、ティアは静かに目を閉じた。深い悲しみと人間達に対しての憎悪がティアの中に流れ込んでくる。
ティアは眉間にしわを寄せながら、カランの過去に隠された悲しみを紐解いていく。
自分を裏切った人間達への復讐心が渦巻いていた。何が原因なのかもわからないほどの負の感情で覆われた心の奥底で、ティアは愛されたいと願う叫び声を聞いたような気がした。
カランは悲しく罪深い男であった。
ティアは静かに目を開ける。目の前の男は心に深い傷を持っていた。だがどんな理由があるにしろ行ってはいけない事を行ってしまったのだった。
「ほら、急がないと潰れてしまうぞ、お前たちもそしてあの蝋燭たちも」
カランはティアの顔を見ながら、吐き捨てるように言葉を吐いた。最後のあがき、否、ティアにはそれが心の悲痛な叫びに聞えていた。
「カラン……あんたは何処まで、卑怯なの!」
ササラが透明な糸を引っ張り締め上げる。だがカランは悲しく微笑み、固く口を噤んでいた。
「言えよ、どうしたらいい」
サンが飛び込んできて、カランの首筋に剣を突きつける。その時だった、カランの足元に亀裂が走り、地の底深くまで割れ目ができる。
ササラは咄嗟に持っていた糸を放し、後ろへと飛ぶ。
ティアはバランスを崩し、横に転がるように身をかわした、マーラは跳躍して後ろへと飛びのいた。
カランがその割れ目へと落ちそうになる。それをサンが反射的に手を伸ばしカランの手を握りしめた。
自分でもどうして手を伸ばしカランを助けたのか、わからなかった。
カランの体は崖となった割れ目に揺れていた。裂け目は底が見えないほど深く、闇の者達の声が聞こえてきそうだった。
カランはサンを見つめて切なく瞳を揺らし、もう一方の手で髪の毛を掻き揚げると手に取った髪の毛を針へと化す。
「自然の摂理にそむいた罰は、自分に返ってくる」
そう言って、自分の手を握っているサンの手に針を突き刺した。
「つっ!」
激しい痛みにサンはカランの手を放してしまう。
「カラン!」
暗闇の中を金色の髪の毛が揺れて落ちていく、そして闇の中へと吸い込まれるように消えていってしまった。
「……カラン」
ティアはカランの名前を呟き、真紅の瞳に涙を湛え、今にも零れ落ちそうだった。
「どうしたんです?」
ササラの声に、ティアはゆっくり顔を上げると口を開く。
「カランの声が聞こえました……皆さんは早くここから逃げてください。もうこの空間も限界です」
「何言ってる! お前はどうするんだ?」
サンは飛びつくようにティアに向かいそう言う。
「私にはまだやらねばならない事があります。大丈夫ですよ。私は死にたくても死ねませんから」
ティアはそう言って、弱々しく笑い、サンの手を優しく握る。するとカランの針で指された傷が綺麗に塞がっていくのだった。
ティアのその言葉にはかなり説得力がある。だが今回は前回とは違う。空間そのものが歪み潰れそうになっているのだ、それに巻き込まれたら戻れなくなってしまうのである。
洞窟の壁にも亀裂が入り、今にも崩れだしそうだった。
「あんた一人で本当に大丈夫? 俺も残ってやる」
「……マーラ」
マーラの言葉にササラは驚いていた。いつもわがままで自分の事しか考えていない、マーラの口からそんな言葉が出てくるとは思っていなかった。
ティアは細い手がマーラの頬に伸び優しく撫で、温かい天使のような微笑を浮かべていたた。
「マーラありがとうございます。ですが今サン達を守れるのは貴方だけです。貴方なら空間を移動できるでしょう? 頼りにしています」
ティアはマーラを見つめてそう言うと、ゆっくりと立ち上がる。
マーラはティアを包んでいる空気に何かを感じていた。
同じ匂い。俺と同じ闇の世界の匂いを持ってる。だけどそれとは逆になんて温かい空気を持ってるんだろう。不思議なヤツだ。
マーラはティアの姿を見ながらそう思っていた。
「わかった」
マーラはそう言うと、サンの手をいきなり握る。
「ちょ、ちょっと待て、俺は納得してないぞ!」
サンは慌てながらそう言ったが、マーラの力には敵わなかった。ティアはそんなサンを笑顔で見つめていた。
マーラはもう一方の手でササラの手を握り走り出す。そうまた壁に向って。
ティア、絶対に無事に戻って来いよ。サンはティアの笑顔を見ながらそう心の中で叫んでいた。
眩い光と共に三人の姿は壁の中へと消えていってしまった。