〜命の価値〜
重い瞼を開くと、薄暗い空間に柔らかな温かい光が無数に見えた。
ティアはゆっくりと上半身を起こす。薄暗い空間の中に、ティアの白い肌が浮かび上がっていた。かろうじて自分の着ていた装束が体には掛けられていたが、その布が無ければ一糸纏わぬ姿であった。
ティアは自分の装束を握り締め、自分の体に押し付ける。
周りを見渡し、見覚えのある場所だと気付いた。この場所はユリカが命の灯だと言って教えてくれた、無数の蝋燭が並んでいる場所であった。
「目が覚めましたね」
その声に誘われるように、ティアは髪の毛を掻き上げながら声のした方に視線を動かす。
そこには、腰まである金色のウェーブの髪の毛を揺らし、生成り色の装束に身にまとった男が立っていた。ティアにはかなわないだろうが、切れ長の瞳に鼻筋の通った端整な顔立ちをしていた。
男はゆっくりとティアに近付くと、ティアの顔を覗き込む。男の瞳は深い海のような色をしていた。
「見事な色ですね。ユリカが綺麗な翡翠色だと言っていたので、目が覚めるのを楽しみにしていたのですよ」
男は穏やかに微笑むと、ティアの瞳に指を伸ばす。
ティアは伸びてきた指を手で払った。普段柔らかい表情のティアが珍しくこの男に対しては、正直なほどに不快感を表していた。
「貴方がカラン……ですか?」
ティアは刺々しい口調でそう聞いた。男は鼻で笑うと瞳に伸ばした手をそのままティアの顎に持って行き、顔を手で上げると自分の顔をティアに近づけた。
ティアは眉間にしわを寄せ、咄嗟に後ろに後ずさる。背中が岩の壁に当たりひんやりとしていた。そんなティアの姿をカランは愉快そうに笑いながら見ていた。
「本当に美しい……ユリカが女と間違ったのもわかるな。私が男色家ならば君を手元に置きたい所だが、残念ながら私にそんな趣味はないのでね、その瞳だけを頂こうと思いましてね」
カランはティアの瞳の奥まで貫くような視線を向け、卑しい笑みを浮かべていた。そこには神使としての品位の欠片も無かった。
「貴方は闇に心を売ったのですね……蘇生術も貴方の力ではなく闇の力……」
ティアはカランを睨み、そう言葉を噛み締めるように紡ぐ。
「そんな怖い顔しないで下さい、せっかくの綺麗な顔が台無しですよ」
カランは愉快そうに、口に手を当て高らかに笑う。
「自然の摂理を歪めるような事をして、生命のバランスを崩すつもりですか?」
「……もっともらしい正論を君は言うんだね。それは老い先長い命のある者の言う言葉でしかない。でも人間はそんな正論だけでは生きていけない生き物だよ。感情を理性で抑えるのは本当に大変な事だ。深い悲しみや心の中の喪失感がどんなに苦しいものなのか、君には想像がつくかい? 私はそんな心を救える存在なのだよ」
カランはティアに鋭い目線を向けながらそう言った。その視線はカランの言葉と共にティアの心の突き刺さる。
ティアは装束を握り締めたいた手により一層力を込めて、握り締める。
「どんな理由があるにせよ、人間の命を人間、いえ、神であろうと操作してはいけない。限りある命だからこそ、命を尊い大事に思う事が出来る」
ティアの翡翠色の瞳が凛と輝いていた。
カランはその瞳を見つめながら、険しい表情を柔らかくする。
「今から自殺しようと自分の命を粗末に扱う者の命と、生きたくても生きられずに死んでいく者の命、どっちに価値があると思う?」
カランは穏やかな表情を見せながらそう言葉を紡ぐ、ティアは唇を噛み締めた。答えが見つからなかったのである。
カランはそんなティアの表情を見て、満足そうに微笑んでいた。
ティアは装束を握り締め体を隠しながら、ゆっくりと立ち上がる。まだ体が思うように動かなかった。翡翠色の瞳を揺らしながらゆっくりと口を開く。
「……個々の人間で答えは違うでしょう……どちらの命に価値があるかなどと、答えの出る事ではないでしょう。どちらの命にも価値がある。自ら命を絶ったとしても、病死や事故死で亡くなったとしても、周りに悲しみをもたらす事は同じです……残された者はそれをどう受け止め、生きていくか、カラン、貴方は悲しみや喪失感を取り除くをおっしゃいましたが、人間はそのような傷を負いながら強くなるのだと、私はそう信じています」
ティアは冷たい岩の壁を背に、カランの瞳を凝視する。
カランの瞳の奥に悲しい痛々しい影をティアは感じていた。
「面白いね。ただの綺麗な人形じゃないんだね君は、腹立たしい程に自分の考えを持っている」
カランは金色の髪の毛を掻き揚げながら、ほんの少し微笑んだ。刹那、手に取った髪の毛を口元に持って行き、息を吹きかける。途端にそれは鋭い針と化しティアを襲った。
ティアは咄嗟に針から身をかわそうとしたが間に合わなかった。一本の針が深々とティアの肩を捕らえ、貫通し岩に食い込んでいた。
足元にティアの装束が落ちていた。一糸纏わぬその姿は漆黒の黒髪に白い肌が際立ち、まるで天使を思わせるような、この世の者とは思えぬほどの美しさであった。
白い肌を伝って血が滴り落ちていた。
激痛が走ったに違いない、だがティアは声一つたてずにカランを睨み、顔を歪めながらもう一方の手でその針を抜こうと手を掛けた。だが何かの力が作用しているのか、引き抜く事は出来なかった。
「無駄だよ。その針は私の力そのもの。君には抜く事はできない。もう少しで月が昇る。闇の主もその美しい姿をお気に召すだろう」
カランはそう含み笑いを浮かべると、装束を拾い上げティアの腰から下を隠すように巻きつける。
「レディーが来た時に失礼だからね」
カランは何かを予想しているか、そう言うとティアに背中を向けた。
「カラン様、持って参りました」
そう言って薄暗い闇の中を走り寄って来たのは、小さな少女だった。青い瞳を輝かせながら自分の大好きな人にでも会うような表情を浮かべてカランに駆け寄ってくる。
少女の手には木箱が握られていた。だがそれは異様な感じがした。木箱の底の角から血らしき液体が雫となって落ちていたからだ。
少女の手も真っ赤に染まっていた。
ティアは眉間にしわを寄せ苦しそうな表情を浮かべ、手で口を押さえる。
また死臭の匂いがする。ティアはそう思い顔を背けた。
「ほお、君にはこの匂いが感じるとみえる。ただの人間ではなさそうだ、何か特別な力を持っているんだね。それじゃあ、あまり時間をかけない方がいいね」
カランはそう言って木箱を開ける。するとその中には人間の心臓が入っていたのである。
ティアは予想していたのか、驚きを見せず、その光景を悲しい瞳で見つめていた。
カランはその心臓を祭壇の中央に置き、周りに並んでいる蝋燭を見ながら歩き回ると、まだまだ長さの残っている蝋燭を何本も手に取り、心臓の横に立たせる。
「何をしてるんです。その蝋燭で何をするつもりです」
「予想はついているだろう? 君なら答えを聞かなくてもわかるはずだ」
カランはティアに背中を向けたままそう答えると、洞窟の奥のほうに目をやる。
暗闇から何かが唸るような呻き声が聞えてくる。それもかなりの数だった。
「その蝋燭が命の灯だと言うなら、そこに並べた真新しい蝋燭は生まれたばかりの命、それを生贄にするというのですか!」
「……生贄? おかしな事を……この者達は私のためなら喜んで身を捧げる。最高の喜びを与えてあげるのですよ」
そう言って振り返ったカランの顔は狂気に満ちていた。
ティア! 一瞬、サンの声がティアの頭の中で響いた。サンは向かってきている。ティアはそう確信していた。
何かが来る! ティアはそう思い暗闇に視線を向ける。
暗闇から現れたのは街の住人達だった。その殆どが子供であった。
ティアは凄まじい死臭に気が遠くなりそうになる。そして悟った。ここに現れた人間達は皆、カランの蘇生術によって蘇った人間達だと言う事を。
この匂いは本来の姿から匂ってくる物。この者達は生きながらにして死んでいるのだった。
命の価値とは何のだろうか?
人それぞれ、色々な考えがあるでしょうね。