序章 運命は動き出す
初めてのファンタジー長編です。
自分ながらちゃんと結末まで書けるのかが不安ですが
皆様を裏切る事無く、不定期ではあるかもしれませんが、更新をしていくつもりでいますので
よろしくお願いします。
最後までお付き合い頂けたら幸いです。
争いの中から憎悪が生まれ
憎悪はまた争いを生む
悲しき連鎖反応……
人間達は、自分達が作り上げた文明と科学に滅ぼされ
破滅の一途を辿った
あまりにも多くの時代と、その愚かしい姿を呑み込み
時は淡々と刻まれてきた
いつの頃からか、憎悪や悲しみは形を持つようになり
人々を恐怖に陥れるようになった
ここにまた、人々の生活を脅かす闇の存在と
それを葬る使命を持った者の運命が動き出す
人間が作り出した年月など無い
今がいつなのかさえわからない時代
これはそんな時代の物語りである
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
沢山の松明の光が闇の中で揺れているのが見えた。
怒りが大地を踏み鳴らし、人々の恐れが空気を震わせていた。
「追っ手が来ます。急いで!」
白髪に長い髭を貯えた老人が、今にも倒れそうな弱々しい足取りで、急かす様に前を歩く女にそう叫ぶ。
月明かりに映し出された女の顔は、透き通る程の白い肌に翡翠色の瞳、その容姿はこの世の者が全て虜になるのではないかと思われるくらい、優しい美しさを持っていた。
女は柔らかい生成り色の布を纏っていた。それはこの世界で唯一神の使いとして認められた者だけが、身に着けることの出来る装束であった。
柔らかい布は走るたびに、風にふわりと靡く。それはまるで天使の羽の様であった。
女のそのしなやかな細長い腕には、生まれて間もない赤子が抱かれていた。
女と老人の後ろからは沢山の松明の光が、二人を追い詰めるように近付いてきていた。
「もう無理です。残酷な事を申すようじゃが、その赤子は諦めなされた方が……」
老人は息切れをする口から、前を歩く女にそう言葉をかける。
女は一瞬足を止め、その赤子をより一層強く抱きしめた。
「この子は私の命……私の命に代えてもこの子だけは守ります」
女は毅然とした真の通った声でそう言い、凛とした瞳を輝かせまた前に進み始めた。
「いたぞ!」
男達の太い声の響きとともに、松明の光が揺れ、草を踏みつける足音のリズムが早くなるのが聞えてきた。
女と老人の足ではその速さに敵う筈もない。まして女は赤子を抱いている。逃げ切るには無理があるだろう。
女は追っ手の音に追われるように足を進める。老人は女の必死な後ろ姿を目にしながら、悲痛に歪む表情を浮かべ足を止めた。
「これが運命ならば、あまんじてそれを受けよう……我が主人があの子を守るのであれば、我もそれに従うのが運命……あの赤子がこの世を救う存在である事を願うばかりじゃ」
老人はそう呟くと、後ろから近付いてくる沢山の松明の光へと向かい歩いて行く。
女はそれに気付くと、後ろを振り向き、老人の方へと一歩足を踏み出して止まる。瞳には松明の光が映り揺れていた。女は唇を噛み締めて、目を伏せる。そしてゆっくりと前に向き直っかと思うと、足早にその場を後にする。
女はニ度と振り返ることはなかった。
松明の光の動きは一瞬止まり、次の瞬間、沢山の光が激しく揺れたかと思うと、老人の断末魔が夜の草原に響きわたった。
その声を耳にした女の心は裂かれるように痛み、噛み締めていた唇には血が滲んでいた。
女は耳に残る老人の声を振り払うように、ありったけの力で地面を蹴り走り出す。足場の悪い岩場を抜けると、そこには川が流れていた。
「……名前をもつけずに手放す事を許しておくれ」
女は震える微かな声でそう言い、白く細い指で赤子の頬を優しく摩る。
赤子はその優しい温かさに共鳴するかのように、天使のような温かい微笑を浮かべ、手を伸ばして必死に母親の存在を確認したがっているように見えた。
その時だった、女の背後から弦を扱く様な音が聞こえてくる。
弓の音……女はそう直感する。
その時、川岸にある朽ちかけた木箱が視界に入る。女は装束が水に濡れるのも気にせず、赤子を木箱の中に寝かせると、木箱を優しく押し出した。
木箱はゆらゆらと揺れながら、流れに沿って川下へと流れていく。
女は木箱を見送りながら、涙で頬を濡らしていた。
背後の暗闇から空気に針を通すような音がしたかと思った、その刹那、女の背中に矢が突き刺さる。
矢は体を貫通し、女の命を一瞬のうちに奪ってしまった。
女の体は、川にゆっくりと倒れ込み、水飛沫を上げた。
川には血が流れ、生成り色の装束も赤く染まっていった。
川はゆったりとしながら力強い流れを感じさせ、木箱を追っ手から遠ざけるように押し流す。
木箱は足場のある岸辺から離れた水面を漂いながら遠ざかっていった。
川岸では女の死体を足元に見ながら、男達が舌打ちをし、遠く離れていく木箱に目をやり地団太を踏んでいた。
木箱の中からは空気を震わせるように、悲しい赤子の泣き声だけが響いていた。
静かに運命の歯車は動き出す。