いのはなトンネル慰霊の集い2019
戦争の悲惨さを表現するためにあえて凄惨な描写を入れてあります。
お食事中の方、そういった描写が苦手な方は、ご注意下さい。
先日(2019/8/5)、中央本線湯の花トンネル419列車銃撃空襲の慰霊の集いに参加して来ました。
この空襲をざっと言うと、
1945年(昭和20年)8月5日、昼12時20分頃に、
浅川駅(現、高尾駅)を発車して甲府方面に向かっていた列車が、
高尾山のふもとの湯の花トンネルに列車の前の方が入ったところで、
米の戦闘機の機銃掃射を受け、
40人以上が即死、その後の収容先での死亡を合わせて52人以上が亡くなられ(実際には60名以上、と推定されています)、
133名以上がケガをした事件です。
翌日の広島の原爆による被害と比べてしまうと、小さく見えてしまうのですが、
被害者の顔が見えるような距離と状況で、
無抵抗の非戦闘員に引き金を引いて命を奪った、奪う事を命令されたと言う点で、
戦争の残酷さ、戦争と言う状況がそういう行為をさせてしまうという事を表わす事件だと思います。
湯の花トンネルの場所は、
圏央道が、高尾山トンネルと八王子ジャンクションの間で、JR中央本線と交わる所です。
長さは、180m。現在は、上り線用のトンネルとして使われています。
受付で名前を書いて、花を受け取り、慰霊碑に献花して、生垣の隙間(線路際)から現場の、いのはなトンネルをちょっと拝んでから、
もう一度慰霊碑の前に戻って、声を出さずに、書かれている犠牲者の名前と年齢を全員読んでみました。
なぜそういう事をしたかと言うと、
この間、買って来たマンガ『ペリリュー 7巻』の帯に里中満智子さんが書かれていた、
『可愛い絵だから描ききれるリアルな戦場。
数字で戦後処理された
すべての人々への鎮魂歌だ。』
と言う言葉にドキッとしたからなのです。
この集いに参加するのは2度目ですが、私自身も、犠牲者の方を数字で考えていたなぁ、と気付きまして。
どの方にも(生死は別として)ご家族があり人生があった、1人1人名前のある人間であったのに、と。
身元が分からず、この慰霊碑に名前が刻まれていない方もいらっしゃいます。
最悪、人数としてすら把握されていない方もいらっしゃったかも知れません。
この空襲に使われた12.7mm機関銃(50BMG)で直接撃たれれば、腕だろうが足だろうが胴だろうが吹っ飛ぶそうですから。
そこらじゅうに肉片が飛び散り、血がくるぶしを濡らすような列車の中、
ご遺体が1人の人間としてまとまってなかった方もいらっしゃる可能性もあるのです。
さて、それから同じ参加者の後を付いて地元の集会所のような場所に行き、そこで、体験者の話などを聞きました。
その中で、ごく自然に『腕を吹っ飛ばされて』みたいな言葉が出て来たのです。
武器等に詳しい人なら、そうなる事は想像がつくのでしょうが、
もし、そういうことをまったく知らない、
『機関銃に撃たれても血が出るだけの、きれいな戦争映画』くらいしか見た事がない人が聞いたら、
『えっ???、機関銃に撃たれたくらいで?』みたいな事を思う人もいるのではないか?、と思ったのですよね。
なんと言うか、戦争の惨禍をせっかく語り継いでも、その話からその時の情景を思い描くのに必要な基礎知識というものが、年を追うごとに失われていっているように感じます。
特に凄惨な情景は、経験者の方も語りたがらない事が多いですし、メディアでもそういう描写を『自粛』してしまう傾向がどんどん強まっているように感じます。
せっかくだから、と買ったこの事件について書かれたブックレットを読むと、さらに想像していなかったような悲惨な情景が書かれています。
たくさんの重傷者。
運ぶのも容易ではなく、地面にむしろをひいて寝かせてあれば良いほうで、地面に直に寝せられていたり、と言う状態。なかなか病院まで運べません。
そして、病院に運ぶ途中で次々に亡くなって行く負傷者。
季節は夏。ドライアイスどころか氷も満足になく、遺体の防腐処置などする事も出来ないような状況で損傷の激しい遺体を外に1日置いておくだけでどういう事になるのか?。
運良く、顔に弾が当たらなかったようなご遺体でも、1日経てば・・・
ご遺族に見せられないような姿になってしまっていたそうです。
せめて人間の姿を留めたまま遺族に引き取って欲しかったと無念だった方も多かったと思います。
近年日本では、軍事関係の知識はタブー視され、そういう知識を知っているだけで『右翼』だの『軍国主義者』みたいに言われる傾向があるように感じます。
また、そういう知識がある人の集団、たとえば仮想戦記の感想欄などに行くと、軍備増強に賛成し、対韓国批判をしなければいけないような同調圧力を感じる事もあります。
これって、とても危険な事だと思うのです。
この集いでは、『戦争の惨禍を語り継いで、平和を守ろう』と誓い合いました。
でも、聞いた話からその惨禍を頭に思い描けるための基礎知識がどんどん薄れていってしまえば、戦争の本当の凄惨さ残酷さは伝わらず、戦争に対する抑止力はどんどん弱くなっていくのではないかと思うのです。
特に、平和を求める人達が、そういった基礎知識を失ってしまえば、平和の大切さを心の底から叫べず、
また軍備の必要性も、その軍備が他の国に対してどう思われるのか?、という事も評価出来ず、
具体的な反論が出来なくなってしまい、軍拡派や、他の国にいらぬケンカを売るよう行為を『国の誇り』だと言うような人達に言い負かされ、良いようにあしらわれてしまう事になりかねないと思うのです。
そのためにも、こういった基礎知識を身に付け、悲惨な情景から目を背けず語り継ぎ、避けられる戦争は、避けるべきだと声を大にして堂々と声を上げる事が必要だと、思うのでした。
もちろん、他国の欲望のためにふっかけられる戦争というものも多々あります。
石油があるばかりに、民族の対立を利用して国内に内戦を起されているベネズエラや、シリア。
侵攻され、傀儡政権に国を牛耳られているイラクやアフガニスタン。
それでも、そういうことはおかしいんだぞ!、悪い事なんだぞ!、と声を上げていかなければならないと思うのです。
せめて同盟国にまで、マウンティングするためにいらぬケンカを売って、味方を減らすようなアホな真似はやめさせるべきだと思います。
何よりも、面倒ごとを恐れて、口をつぐんでしまった私自身への自戒をこめて。
なんとかやっと、終戦鎮魂旬間に間に合いました。