相次ぐ、警察による『制圧死』
器物損壊という軽い犯罪で逮捕された大学生が、取調べ中に『暴れた』という事で数人がかりで『制圧』され、意識不明の重体となり、とうとう亡くなられたそうです。
ちょっと前にも、大阪で酔っ払いともう一件で、同じように数人がかりで制圧され、死亡した事件があったばかりです。
もっと遡ると、数年前に、不法滞在で強制送還される外国人が、機内で抵抗したという理由で2人の入管の係官に席に押し付けられて、窒息死しました。
この時は確か係官に有罪判決が下っていたと思います。
『暴れた』と言いますが、たとえば、押さえつけられた結果窒息したら、誰だって苦しさのあまり暴れると思います。
それを『暴れ続けた』と言う理由でそのまま押さえつけ続けられたら、死んでしまうのは当たり前です。
当然、『制圧』する警察官には、生命に危険がないような制圧方法を用いる事と、相手が生存している事を常に確認する義務があると思います。
それを怠るなら、『未必の故意による殺人』と言って良いと思います。
『教えられた強さで制圧した。このやり方は安全性が証明されている。』と言うかもしれません。
でも、一対一で制圧する強さで複数の人間が同時に制圧したら、当然強すぎます。
しかも、複数の場合、他の人間がどう押さえているか、どのくらいの強さで押さえているかなども分かりません。
当然の事ですが、押さえられている人間の姿勢によって、窒息するかどうかは変わってきます。
酔っ払いなら、さらに、吐いた物がのどに詰まる危険も高いです。
一番こわいと思うのは、『心臓震盪』です。
心臓に比較的弱い圧迫や衝撃が加わる事で起こる心室細動ですが、これが起こったら血流が止まってしまいます。
AEDを使うか、最低でも心臓マッサージを行わないと、あっという間にあの世に行ってしまいます。
人間の脳みそは、酸欠に弱いです。
5分でほぼ死亡します。
3分でも、重度の障害が残る危険が高いです。
ほんの数分放置しただけで、その危険があるのです。
最低限度、今の制圧方法を見直すべきだと思うのです。
そしてもう一つ。
拳銃の使用です。
5月28日に、埼玉県で刃物を振り回す男に発砲して、射殺してしまった事件がありました。
数ヶ月前には、大阪の繁華街でやはり警官が刃物を持った男相手に発砲した事件がありました。
果たして、この発砲は適正だったのか?と言う事です。
こういう事を言うと、『刃物を持って暴れているのだから仕方がないだろ。』と言う方がいっぱいいそうですが、そういう相手に対して、拳銃を使う事がそもそも適正なのか?、と言う事です。
サバゲーとかをやっている方なら、ある程度分かると思いますが、拳銃というのは当てにくいです。
昔の刑事もののドラマみたいに、『狙って肩に当てる』ようなことは至難の業です。
しかも刃物を持った相手が、迫って来るような状況では、落ち着いて狙っているヒマもないでしょう。
『暴れる相手に当たればラッキー』というものだと思います。
では、撃った弾が外れたらどうなるのか?。
どちらの事件も周りに一般の人がいる環境です。
なんか騒いでいれば、野次馬も集まって来るでしょう。
繁華街なら、周りじゅう人だらけです。
その人達に当たる危険があるのです。
銃は、離れた相手を強力に攻撃出来る手段ですが、最善でもなければ、確実でもない手段なのです。
刃物を持った相手ならば、サスマタとか長い警棒とかの方が、有利な場合は多いと思います。
警察官は、そういう逮捕術も訓練されているはずです。
刃物を持った相手が、他の人を傷つける可能性と、拳銃の弾が外れて他の人を傷つける可能性、他の制圧方法と比べて、拳銃を使う事の方がより良い方法なのか?。
常に良く考えて、事件後も良く検証して欲しいと思います。
日本では、拳銃を合法的に持てるのは、警察官などの司法関係者と自衛隊員くらいです。
(あとは、競技射撃の50人のしばりのある火薬式と、500人しばりのあるエアピストルだけ。)
『拳銃でなければ対抗出来ない』と言う状況は、少ないと思います。
埼玉の事件でもうひとつ気になるのは、射殺された人が、正常な精神状態ではなかったのではないか?と思えることです。
そして、その相手に対して、『刃物を捨てろ、さもないと撃つぞ!』と言って、威嚇射撃や本人への射撃を行っている事です。
警察官が言っている事を理解出来ない、もしくは、そもそも状況を理解出来ていない相手に、拳銃を使うと警告するのが、どれくらい意味があるのか?。
そもそも、若くて体力もある訓練された警察官が2人もいて、刃渡り15cmの刃物を持っているとはいえ68歳のおじいさん相手に、周囲に危険を及ぼすリスクを犯してまで拳銃を使う必要があったのか?。
刃物を持って暴れる男がいると通報されたのなら、それに合わせたサスマタ等の制圧用具をなぜ持っていかなかったのか?。
と疑問が尽きないのです。
怖いのは、こういう事件に慣れっこになってしまう事。
問題にせず、放っておけば、いつの間にかちょっと怪しく見えたと言うだけで、いきなり警官に射殺されたり、誤認逮捕で殺されても何も言えない社会になりかねないと思います。
今後、認知症の人も増えてくる事ですし、同じような状況が増えて来ると思います。
より危険が少なく、より確実で、より判断に迷わず、犠牲者が出ないで済む方法を、今のうちから考え出しておくべきだと思います。