デカブリストの乱とニコライ一世の台頭
ヨーロッパでは、フランス革命とナポレオンの台頭により、各国の君主権が弱体化しました。
そこで、弱体化した君主権を復活、もしくは強化するために1814年ウィーン会議が開催されます。
※会議を始めたのは、オーストリアのメッテルニヒです。また、上述した君主権を復活、もしくは強化しようという考え方を正統主義といいます。タレーランが提唱した考え方であることを押さえて起きましょう。
この会議の後で、ロシア皇帝アレクサンドル一世は、キリスト教的博愛主義に基づき各国間で協力することを目指した「神聖同盟」を提唱します。
これには、ヨーロッパ諸国が殆ど参加しましたが、イギリスとオスマン帝国とローマ教皇が参加しなかったことが、しばしば入試問題で問われますので覚えておいてください。
そんな、アレクサンドル一世が亡くなる前後に、ロシアでは「デカブリストの乱」という反乱が起きました。
これは、ナポレオンを追ってヨーロッパに入った青年将校が中心となって起こした反乱です。
青年将校たちは、西欧の自由な雰囲気に触れて立憲君主の樹立と農奴の廃止が必要と考えるようになったのです。
しかし、青年将校達の反乱は、新皇帝であるニコライ一世によって潰されます。
そして、ロシアはニコライ一世の頃から激動の時代を迎えます。
その様相については、次回お話させていただきます。