ゴルバチョフ④ チェルノブイリ原発事故とグラスノスチ
1986年になると、現代史においても教訓になる非常に重大な事件が起きます。それが、チェルノブイリ原発事故です。
この事故では、レベル7のメルトダウンが発生しました。そして、放射性物質の大部分が敷地外へ放出されてしまいました。
すなわち、人類史上はじめての深刻なレベルの原発事故が起きたと言えます。
願わくば、人類史上最初で最後であって欲しかったのですが、その後もスリーマイル島での原発事故が起きました。
また、我が国日本でも東日本大震災で原発事故を経験しました。
歴史は繰り返すという諺がございますが、歴史を学び、原発の安全性を過信しなければ、この事故が回避できたのではないかと一人の世界史好きとして思ってしまいます。
話はそれましたが、この事故が起きたとき、ソ連のマスコミはどうしたのでしょうか?
結論からいうと、事故の情報はすぐに公開されませんでした。その結果、住民は避難に遅れて、被害が拡大しました。
そもそも、ソ連では、マスコミによる自由な報道が禁止されていました。共産主義体制下での報道の在りかたは、検閲が基本でしたからね。
以上のことから、チェルノブイリの事故が起きたときも、近隣住民が直ぐに原発事故の状況を知ること等なかったのです。
そして、避難に遅れた住民は、高レベルの放射線に被爆し続けたことにより、今日も放射線障害に苦しんでいます。。
※教科書に載っている過去の歴史の問題ではなく、この問題は現在進行形で起こっている問題なのです。
こうした大事件があったにも関わらずに、ゴルバチョフも事故のことを直ぐに知ることはできませんでした。
そこで、ゴルバチョフは情報をオープンにすることの大切さを痛感するとともに、改革に乗り出します。
それが、今日、世界史の教科書で語られる「グラスノスチ」です。
グラスノスチとは、しばしば「情報公開」と訳されますが、それだけでは、何を公開しているのかさっぱりわかりませんよね?
具体的には、マスメディアの自由な報道を認めるだけでなく、国家保安委員会の不正やKGBの違法活動など、様々な情報をオープンにしたのです。
このときのゴルバチョフの狙いは、保守的な官僚達がペレストロイカの障害となっているので、こういった官僚達の不正を暴いて排除しようとしたのです。
グラスノスチの歴史的意義はいくつかあります。グラスノスチにより、情報公開が自由になりました。その結果、次第に市民の言論や思想の自由が認められるようになったのです。
結果、グラスノスチにより、市民の意識を改革されることで、ソ連の一党独裁体制は廃止されるようになります。
また、グラスノスチによって「歴史の見直し」も進められます。
例えば、スターリン体制下での粛清の犠牲者やブレジネフ時代に反党活動で処刑やシベリア流刑になった人々の記録の掘り起こされてこういう人達の名誉回復も行われていきました。
以上がグラスノスチについてです。
最後に皆様に伝えたいことですが、グラスノスチというカタカナを覚えるのではなく、どんな背景や目的があって行われたのか?どんな意義かあり、内容がどんかものだったか?そういうことも踏まえて勉強してほしいと思います。
(次話につづく。)




