ゴルバチョフ③ 1980年代のロシアとペレストロイカ
1985年三月に、ミハイル=ゴルバチョフによるゴルバチョフ政権が成立しました。
ところが、1980年代のロシアは経済が完全に停滞していました。
ソ連は、以前もお話ししましたが、フルシチョフの時代に「ルイセンコ学説に基づいた非科学的な農業」が主流となっていました。
ルイセンコは失脚しますが、 ルイセンコがもたらしたのは、ソ連の農業技術の遅れです。また、1970年代には小麦が凶作となり、小麦生産高がアメリカに勝てなくなります。
このような状況に対して、ブレジネフ政権は効果的な対策を打ち出せませんでした。
ちなみに、スターリンの時代もルイセンコ学説が主流でしたが、スターリンの時代の場合、ウクライナ人を何百万人も餓死させながら、強制的に小麦を集めて輸出していました。
スターリンはウクライナ人の屍を積みあげることで、ソ連の小麦生産高を世界一にしましたね。
話はそれましたが、ソ連は、このような背景から小麦の輸出を自国生産ではなく、アメリカからの輸出に頼るようになるのです。
また、技術競争でも、アメリカや日本に遅れを取り始めます。
しかし、こういった問題もありますが、最も深刻な問題がアフガニスタン侵攻でした。アメリカの支援を受けて最新兵器を持ち合わせたムジャヒディーンをソ連は倒せませんでした。
このときの軍事費増大は、ソ連経済に深刻なダメージを受けてしまいます。
こうしたことがきっかけとなり、1980年代に入ると国民は今の支配体制への不満を強めるようになります。
ゴルバチョフ政権は、このような状況を改善すべく、社会主義体制の改革を掲げた「ペレストロイカ(改革)」を実施します。
ペレストロイカとは、世界史の教科書でしばしば耳にしますが、一体どんな改革なのでしょうか?
それを考える上で重要なことは、ペレストロイカってそもそもロシア語でどんな意味なのか?ということです。
ペレは「再」を意味するロシア語です。ストロイカは、structionと同じです。つまり、restructionのロシア語と考えれば解りやすいかもしれません。
これは、英語でいうと、再構築とか再建築という意味になります。そこからわかるように、もともとあったソ連の政治体制全てを根本から見直し、立て直しを実施した改革こそが、ペレストロイカの意味することなのです。
ペレストロイカは、①経済分野、②共産党支配体制、③情報公開、④外交指針など多様な分野について行われました。
そこで、次回、ペレストロイカについて更に解説を行いたいとおもいます。




