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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
69/75

ゴルバチョフ② ソ連のリーダーになるまで

更新遅れて申し訳ございません。色々いっきに進めていきます。

細かい役職が一杯でますが、全く覚える必要ないです。ここでは、ゴルバチョフが出世していき、権力を掌握するようになったことを理解しましょう。それでは、始めましょう。


子供の頃から大学時代において優秀だったゴルバチョフは、「出世街道」を順調に歩んでいきます。


ゴルバチョフは、まず、スタヴロポリ地方に戻ってきてコムソモール活動に従事します。コムソモールとは、簡単言うと共産党の「青年団」です。


ここで、ゴルバチョフは第一書記に就任するなど、コムソール要職につきます。


また、同時期に農業改革にも熱心に取り組むようになります。


ちなみに、ゴルバチョフ自身も農業政策の知識を深めるためにスタヴロポリ農業大学の通信課程で学ぶようになり、1967年に科学的農業経済学者の資格も取得しました。


※モスクワ大学卒業後も更に大学で何かを学ぼうとしている点が、努力家のゴルバチョフらしいところてすね。


そんなゴルバチョフの有能さに気がつき、目をつけた人物がいます。それが、ユーリ・アンドロポフでした。


ゴルバチョフは、アンドロポフの計らいでブレジネフと直接対談する機会を得ます。


個人的な歴史認識では、このときの対談こそ、ゴルバチョフが後にソ連のリーダーになる大きなきっかけと思っています。


そして、この対談をきっかけにゴルバチョフはブレジネフに気に入られました。結果、1971年には40歳で党中央委員に選出されます。


更に1978年11月、急死したフョードル・クラコフ政治局員・書記の後任として党中央委農業担当書記に抜擢され、1979年には政治局員候補として政治局入りし、1980年10月の党中央委員会総会で史上最年少の政治局員となります。


※政治局においても史上最年少で政治局員になる点が、優秀なゴルバチョフらしいところですね。


ゴルバチョフは順調に出世していきましたが、1982年になると、ブレジネフが亡くなりました。


長期政権だったブレジネフの時代も漸く終わりを告げたのです。


そして、ブレジネフの後任として、アンドロポフが書記長に就任します。ゴルバチョフは、アンドロポフのお気にいりでしたので、この時ソ連の権力No.2に当たるイデオロギー担当書記に引き立てられました。


ところが、アンドロポフも直ぐに死亡してしまい、政権が長続きしませんでした。


では、次の書記長になったのは、ゴルバチョフかというと、違います。次の書記長は、チェルネンコでした。


しかし、チェルネンコも書記長就任時に病弱でした。結局、ゴルバチョフがチェルネンコを補佐しましたが、アンドロポフ同様にチェルネンコも病死します。


このようにして、運命の巡り合わせを個人的には感じていますが、ゴルバチョフがソ連のリーダーになります。


では、ゴルバチョフ時代のソ連とはどのようなものだったのでしょうか?


それこそが、世界史の教科書に今日語られる重要な議題なのです。次回から、漸く試験に出る話になるので、皆さん注意深く勉強しましょう。


(次話につづく。)

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