ブレジネフ④ アフガニスタン侵攻について 前編
ブレジネフ政権下で最も詳しく語りたいことが、「アフガニスタン侵攻」です。これは、現代社会を理解する上でとても重要なテーマと思います。しかし、正直、アフガニスタンの歴史はとても解りにくいと思います。
そこで、今回は、アフガニスタンの歴史とソ連がアフガニスタン侵攻を行うまでの歴史をみていきましょう。
まず、アフガニスタンの歴史についてですが、第14話でアフガニスタンの歴史の話をしました。第14話を少しだけ復習しましょう。
ロシアの南下を阻止したいイギリスは、1878年に第二次アフガン戦争を行い、アフガニスタンをイギリスの保護国とします。
ところが、第一次世界大戦によりイギリスが弱っている隙をついて、1919年第三次アフガン戦争が勃発します。これにアフガニスタンは勝利し、イギリスから独立を果たしました。
こうして、アフガニスタンでは王政が復活します。しかし、1973年になると国王が外国旅行をしていたタイミングで、ムハンマドダーウード(ダウトともいう)がクーデターを起こし、王制を廃止します。
その後、ムハンマドダーウードは、イスラム原理主義者の弾圧を行います。ちなみに、ここで弾圧された人達は、後にムジャヒディーンというイスラム義勇兵として活動することになります。
更に、ムハンマドダーウードは、アフガニスタン人民民主党の党員も弾圧しました。
こうした弾圧を強硬したので、1978年になると再びクーデターが起きます。クーデターを起こしたのは、アフガニスタン人民民主党です。
※余談ですが、この時、ムハンマドダーウードは殺害され、その死体の所在が解らなくなるのですが、2008年死体が発見されて世界を騒がせました。ムハンマドダーウードは、2009年に国葬が行われます。
さて、クーデター後、アフガニスタン人民民主党は、アフガニスタン民主共和国を成立させます。また、この時、アフガニスタンは人民民主党による社会主義政権が樹立されました。
当然、社会主義政権でしたので、マルクス=レーニン主義にのっとって、すべての宗教を否定します。
このため、反政府運動が激化するようになり、アフガニスタン国内のイスラム義勇兵ムジャヒディーンがゲリラ活動を展開するようになります。
アフガニスタン政府は、ムジャヒディーンが手に負えなくなります。様子を見ていたブレジネフ政権はアフガニスタンへの進軍を決定します。
ちなみに、この時、ブレジネフは病気で不在であり、アフガニスタンで何が起きているか知りませんでした。
アフガニスタン侵攻を決議したのは、アンドロポフKGB議長達でした。色々な理由がありますが、ソ連はソ連国内でイスラム教徒の反乱が拡大する可能性があったため、それを防ぎたいという想いもあり、進軍を決意します。
こうして、これから先の歴史でどのような破滅が待ち受けているか知ることなく、ソ連は1979年12月にアフガニスタンに軍を侵攻させるのです。
(次話に続きます。)




