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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
60/75

フルシチョフ⑤ キューバ危機→人類史上最も危険な10日間

前回、閑話でお話しした「米西戦争」を読まれた方が分かりやすいかもしれません。キューバとアメリカの複雑な関係は、米西戦争がスタートといえます。


それでは始めましょう。


キューバは主権が制限されながらも独立を果たします。


独立前からアメリカ資本が数多く進出し、独立後においても、アメリカ資本進出は続きます。


そのため、製糖業など多くの資源産業はアメリカ企業に支配されます。


また、政治家の不正が度重なって生じます。結果として、キューバの国民の政府やアメリカに対する不満が高まっていきます。


そこで、フランクリン=ルーズヴェルトは1934年、米西戦争後成立したプラット条項を削除してキューバの独立を完全に認めます。


しかし、その後キューバを引っ張っていったのは、アメリカの資本と強く結ばれた親米的なバティスタ大統領でした。


バディスタ政権は1944年の選挙で敗れましたが、クーデタを起こして再び親米政権を立ち上げ、恐怖政治を展開します。


そこで、1959年になると、ゲバラとカストロの元でキューバ革命が起きて、親米的なバディスタ政権は打倒されます。


カストロは、政権樹立後に土地改革やアメリカ企業の国有化を進めたため、アメリカとの対立を深めます。


アメリカとキューバの国交は断絶状態になり、1961年になると、カストロは社会主義宣言を行って、ソ連と連携していきます。


こうして、アメリカとキューバの対立は深まっていきます。


そんなときに、ソ連がキューバにミサイル基地を建設し始めるのです。


これが、「キューバ危機」です。


この時のアメリカの大統領は、ケネディ大統領でした。


ケネディ大統領は、「キューバはアメリカの喉もとに突きつけられたナイフである」と演説し、キューバ海域を封鎖しました。


この封鎖海域にソ連の軍艦も近づいてきます。


両者にらみ合いの状態になり、下手をしたら第三次世界大戦が勃発したのではないかという緊張状態に突入しました。


しかし、最終的には、米ソ間で妥協が起きます。


「トルコのミサイル基地をアメリカが撤去し、キューバ不侵攻をアメリカが確約するならば、キューバのミサイル基地を撤去する」という要求をソ連が突きつけます。


ケネディはこれに合意したので、核戦争は回避されたのです。


こうして、人類史上最も危険な10日間は終結したのです。


最後にもう一つ覚えてほしいことがあります。


キューバ危機の緊張を体験したアメリカとソ連は、緊張緩和に向けて核開発に歯止めをかけようとします。


それが、1963年に行われた部分的核実験停止条約(PTBT)です。


こういう条約の名前だけを用語集とかで機械的に覚えることは推奨しません。


背景とセットで覚えてほしいですね。また、内容も覚えた方がいいです。


条約を結んだのはイギリス、ソ連、アメリカの三国で大気中、水中、宇宙での核実験を禁止しました。※地下核実験を禁じてはいない。


こうして、再び、アメリカとソ連の間で緊張が緩和し、融和に向かっていきます。


部分的核実験停止条約以降、米ソが融和する風潮を(デタント)といったりしますね。フランスのド=ゴール大統領が演説で使った言葉です。


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