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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
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エカチェリーナ二世が即位するまで

1744年のプロシアで、15歳の少女が故郷のプロシアを後にしてロシアへと旅立ちます。


少女の名前をゾフィー。後にロシアの女帝エカチェリーナ二世になる少女です。


ゾフィーはもともとプロシアの軍人の娘でしたが、ロシア皇帝王子に嫁ぐことが決まり、プロシアの地を離れたのです。


しかし、首都ペテルブルクでゾフィー、すなわちエカチェリーナが待ち受けていたのは、孤独と忍従の日々でした。


エカチェリーナの夫であるピョートル(後のピョートル三世)は知能に遅れがありました。


彼自身は、ドイツ式の兵隊ごっこ遊びしか興味のない青年でした。


※ちなみに、ピョートルはドイツ被れの青年であり、ロシアの文化に興味もありませんでした。


また、当時君臨していた女帝エリザベータは、常にエカチェリーナを監視し、行動を徹底的に縛りました。


そんな孤独の日々を過ごしながらも、エカチェリーナはロシア正教に改宗を行い、ロシア語を学び、学問と芸術に励みながらロシア人として生きていく道を決意します。


しかし、エカチェリーナを圧迫していたエリザベータはやがて亡くなります。


結果、ピョートルがピョートル三世として即位しました。

しかし、ドイツ被れのピョートル三世は戦争中であったプロイセンと勝手に講和を開始します。


※当時、七年戦争という戦争が勃発していました。これは、ロシア優勢であり、プロイセンの領土にまでロシア軍が進軍していた状況です。この優勢の状況下で、ピョートル三世は講和に踏み切りました。


これには、軍人や臣下が怒りを爆発させます。また、エカチェリーナではなく、愛人を皇后にしようとします。


そこで、エカチェリーナも自身の愛人であった近衛兵士オルロフの協力を要請します。


オルロフの力を得たエカチェリーナはクーデターを起こして、ピョートル三世を退位させます。


こうして、エカチェリーナはエカチェリーナ二世としてロシアの女帝になります。


国民は、ロシアの文化を学び、ロシアを愛したエカチェリーナ二世の即位を歓迎して、歓喜に沸き立ったと伝えられています。






エカチェリーナ二世は、孤独の日々を過ごしながらも学問に励みました。特に、フランスの啓蒙思想に関する本を幅広く読みあさりました。


有名なエピソードとして、百科全書で有名なディドロをロシアまで招き、年金を与えています。


従って、エカチェリーナ二世はフリードリヒ二世とならび、啓蒙専制君主とも称されます。


覚えておきましょう。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 一か所「エリザヘータ」になっています。エリザ「ベ」ータです。
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