フルシチョフ③ 日ソ国交回復と日本の国際連合加盟
短いですが、区切りがいいので更新します。
第二十回共産党大会が行われた1956年になると、日本史としても覚えてほしいイベントが起きます。
それが、日ソ国交回復です。
この時、日本の首相であった鳩山一郎が、モスクワに向かい、ソ連の首相であったブルガーニン首相と対談します。
(ちなみに、もともと、マレンコフが首相で第一書記がフルシチョフでしたが、マレンコフが追放されて、ブルガーニンという軍人が首相になっていました。)
そこで、日ソ共同宣言が結ばれます。日ソ共同宣言のポイントは、下記の通りです。
①日ソの戦争を終結する。
②日ソの国交を回復する。
③ソ連は日本の国際連合加盟を支援する。
④日本への賠償を破棄する。
こうして、日本は1956年に国際連合に加盟します。
このように、ロシア史をみると日本史もすっきり理解できるということがあります。
日本の国際連合加盟は、ソ連と日本の対談の中で実現していることを記憶の片隅にとどめてほしいですね。
なお、この宣言は、北方領土問題についても言及する内容になっていました。
同宣言は平和条約締結後に歯舞、色丹の2島を日本に引き渡すと規定していました。
ところが、日本の世論は、4島の返還を求めています。
また、冷戦下での日ソ接近を警戒する米国の圧力が生じたこともあり、日ソ共同宣言の段階で二島返還には至らなかったのです。




