スターリン⑭ 封じ込め政策への対抗
トルーマンは、「封じこめ政策」を行いますが、その様子をソ連は黙って見ていませんでした。
そこで、ソ連は西側に対抗するため、何をしたのでしょうか?
結果からいうと、トルーマンと似たような政策を実施します。具体的に覚えてほしい政策は、下記3つです。。
①コミンフォルム結成(1947年)
②コメコン設立(1949年)
③ワルシャワ条約機構(1955年)
※③はスターリンの死後に行われます。スターリンは1953年で亡くなります。①、②を学んだらセットで覚えてほしいです。
さて、それぞれ、内容を議論しましょう。
まず、コミンフォルムです。
1947年、マーシャル=プランが発表されると、同じ年に、ソ連はコミンフォルム(共産党情報局)という組織を結成します。
この組織は、各国の共産党の結束を強化する目的で設立されました。
特徴として東欧六か国とソ連、フランスやイギリスの共産党によって組織されたことを記憶しておきましょう。
なお、設立当初は、ユーゴスラヴィアのベオグラードを本部としていました。
ところが、ユーゴスラヴィアは、1948年にコミンフォルムから除名されます。
それ以降はルーマニアのブカレストを本部としました。
細かい情報ですが、教科書ではここまで記載されています。
教科書を漏れなく覚えたい方は、こういう知識を身に付けてほしいですね。
更に、ソ連は1949年になると経済相互援助会議=コメコン、(COMECON)を設立します。
これは、アメリカのマーシャル=プランに対抗するためにつくられた経済協力機構です。スターリンは、東欧社会主義諸国の経済協力を進めて、結束を強めようと考えたのです。
最も、コメコンという構想は後の歴史を見たら解りますが、破綻していました。その事については、やがて触れますのでお待ちください。
最後にワルシャワ条約機構です。
1955年、ソ連と東欧の8カ国が、西側のNATOに対抗して結成した軍事同盟といえます。
こうして、ソ連はトルーマンのパクリみたいな政策を行い、東欧との結束を強化していきます。
また、それによって冷戦の時代は「西欧」と「東欧」という対立が生まれていくのです。
いくつか補足します。
マーシャル=プランは、もっとシンプルにいうと、「ドルを援助する」というプランです。
ヨーロッパは、第二次世界大戦により、産業が荒廃します。ところが、ドルがなければ、産業を復興するための設備も購入できません。
だから、アメリカからそういうものを購入できるようにドルを援助し、ヨーロッパの経済復興に貢献します。
一方、コメコンは基本的にはソ連が原油を輸出して、東欧諸国は対価として工業製品を輸出するという構造を取った経済政策です。
ただし、東欧諸国のなかには、工業化ではなく、農業化をすすめられた国もあり、そういう国で後に反乱が起きてしまいますね。ルーマニアのことです。




