閑話 トルーマンの対抗 封じ込め政策の概要
アメリカ史をやるなら、コピペして全く同じ話をすると思います。冷戦下でのスターリンの政策を理解するために、トルーマンの話について紹介します。トルーマンを理解した上で、スターリン⑭としてスターリンがトルーマンにどのように対抗したか論じようと思います。
1945年二月にヤルタ会談が行われると、二ヶ月後の四月にフランクリン=ルーズベルトが急死します。
死因は、高血圧性脳出血でした。
※当日の彼の血圧は300/190mmHgであり、最高血圧は1年前から200mmHgを超えていたそうです。
そこで、アメリカの大統領は、副大統領だったトルーマンが就任します。
ところが、トルーマンは、副大統領であったにも関わらず、ソ連のことを機密として深く知らされていませんでした。
トルーマンが機密文書を確認し、スターリンがポーランドにルブリン政権を樹立した事実を認識します。更に、スターリンがヤルタ協定を無視して、ポーランドの亡命政府を逮捕したことを知ります。
トルーマンは、ヤルタ会談で表面化したポーランド問題をきっかけとしてスターリンへの不信を強めていきます。
更に、1946年になると、イギリスのチャーチルがアメリカのミズーリ州で「鉄のカーテン」演説を行います。
内容は下記の通りです。
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バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた。中部ヨーロッパ及び東ヨーロッパの歴史ある首都は、全てその向こうにある。
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すなわち、ヨーロッパは「共産主義陣営である東欧」と「資本主義陣営である西欧」に分裂していることを主張する演説です。
※実際、1950年までにポーランドだけでなくハンガリーやルーマニアやブルガリアでも共産主義政権が樹立していきます。チャーチルの危惧は現実のものとなるのです。
このチャーチルの演説のもとで、トルーマンとスターリンの対立は更に深まっていきます。
そこで、アメリカが行った政策が「封じ込め政策」です。名前の通り、「ソ連による共産主義圏拡大」を封じ込める政策です。
封じ込め政策の要点は、三つあります。それは、下記の通りです。
①トルーマン=ドクトリン(1947年)
②マーシャル=プラン(1947年)
③NATO設立(1949年)
トルーマン=ドクトリンとは、「封じ込め政策」の開始を表明する宣言であり、しばしば、冷戦への宣戦布告を意味します。
内容としては、ギリシャとトルコへの経済支援を行い、共産主義が拡大しないように先手を打ったものです。
何故、ギリシャとトルコなのでしょうか?
以前、講義録でもお話ししましたが、クリミア半島から黒海を通過して地中海に進出するには、ダーダネルスとボスフォラスの両海峡を通過しないといけません。
これを実現するには、ギリシャとトルコを制圧することが、地中海進出への最短ルートといえます。
だから、ロシアが進出しうるギリシャやトルコにて「共産主義」の拡大を阻止しました。それこそが、ソ連を封じ込める最善手なのです。
マーシャル=プランとは、どんな政策でしょうか?
簡単にいうと、アメリカの援助によって、ヨーロッパの経済復興を目指した政策です。
※アメリカの国務長官マーシャルが起草した政策です。完全に余談ですが、マーシャルは、マーシャル=プランによってノーベル平和賞を受賞しましたね。
マーシャル=プランとは、共産主義拡大を防ぎ、アメリカの資本主義陣営にヨーロッパを引き込むことを目的とした政策です。当然、ソ連と東欧は受け入れを拒否します。
あと、ここが重要です。
マーシャルプランのもとで、「ヨーロッパ経済協力機構」(OEEC)という組織が成立します。
これは、アメリカの資金援助を受け入れる機関であり、1948年になると西欧16ヵ国が加盟します。※また、後にOECDになる組織です。
なお、チェコスロヴァキアでも当時のベネシュ大統領がマーシャル=プランを受け入れようとします。
しかし、チェコスロヴァキアでは、ソ連とソ連を支持する共産党によってクーデタが起こりますので、ベネシュ大統領たちは閣内から一掃されてしまうのです。
このチェコスロヴァキア=クーデタをきっかけにヨーロッパが集団的自衛を目指すようになります。
1948年には、イギリス、フランス、ベネルクス三国で西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約)が結ばれます。※ベネルクス三国とは、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクです。
その翌年、東西ドイツの対立なども表面化したことで、アメリカは、この西ヨーロッパ連合条約を拡大させてNATO(北大西洋条約機構)を結成します。
こうして、西ヨーロッパは連携し、封じ込め政策が行われることで冷戦は激化していくのです。




