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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
48/75

スターリン⑬ ヤルタ会談は何故冷戦の始まりなのか?

前回お話ししました通り、ロンドンにはポーランドの亡命政府が樹立し、ポーランド東部にはルブリン政権が台頭します。


政府が二つ樹立した場合、当たり前ですが、どちらが正統な政府なのか?ということで対立が生じます。


イギリスは、社会主義勢力拡大を恐れ、亡命政府によるポーランドの民主化を望み、資本主義陣営に加えたいと思っていました。


それに対してスターリンは、ポーランドにルブリン政権という社会主義勢力を樹立することで、社会主義の拡大を狙っていました。


この対立は、ヤルタ会談で明確になり、ポーランド問題は全日程の大部分を使って話し合われます。


さらに、バルト3国やギリシャをどうするのかも話し合われました。


バルト3国とは、エストニア、ラトビア、リトアニア地域ですね。


会議の結果、バルト3国はソビエト連邦が併合することになります。ギリシャは、イギリスがインドにいくための地中海ルートとするため、イギリスが確保します。


更に平行線になったポーランド処分問題は、アメリカの仲介もあり、どの政権が正統なものか?国民選挙で新たな政権を決めることが決定されます。


※フランクリン=ルーズベルトは自国のポーランド系民族の心情を配慮し、こういった方向で解決を行います。


もっとも、このポーランドの取り決めに関する約束をスターリンは破りますけどね。


スターリンは、亡命政府が帰国すると指導者を逮捕してしまいます。これによって、ルブリン政権がポーランドで政権を握ることは確定します。


結局、ヤルタ会談でポーランド問題に関して表面上の合意が得られただけで、スターリンは納得なんかしていませんでした。ポーランド問題という対立がヤルタ会談で明確になり、こういった強行策をとられます。


こうして、イギリス、アメリカ、ソ連の三国覇者により、世界をどのように分割するのか?ヤルタ会談で決定していきます。


さて、冷戦の始まりが「ヤルタ会談」と言われる由縁についてお話ししましょう。


結論からいうと、東欧をソ連が獲得した結果、東欧を中心に冷戦へと発展していくことが挙げられます。


ドイツについても、分割統治が決まったからこそ、社会主義国と資本主義国という理念的対立を生むきっかけになったのです。


更に、この会談からイギリスとソ連の対立が顕在化し、チャーチルは後に有名な鉄のカーテン演説を行うようになります。


つまり、ヤルタ会談は、冷戦の始まりといえるのです。



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