スターリン⑪ ヤルタ会談でのドイツ戦後処理
さて、本日からヤルタ会談の解説を少しずつ開始します。
※似た会談でマルタ会談というものがありますので、混同しないように気を付けて下さい。
冷戦という東西の対立は「ヤルタに始まり、マルタに終る」という風に語られます。
そこで、「ヤルタ会談が何故始まりなのか?」を最終的に解説します。
その前に、ヤルタ会談がどのような会談が?そこを今回詳しく解説していきたいと思いますので、宜しくお願いします。
まず、ヤルタ会談における主要な参加者は下記の通りです。
①アメリカのフランクリン=ルーズベルト
②イギリスのチャーチル
③ソ連のスターリン
この三名の覇者によって、世界大戦後の世界をどのような秩序で動かしていくか?様々な話し合いが行われるのです。
最初の議題は、ドイツ戦後処理です。三国に共通した想いは、ドイツが息を吹きかえし、再び同じ大戦を繰り返さないようにしようとすることでした。
そこで、口火を切ったのは、スターリンでした。
スターリンは、ドイツの戦後処理について、下記のことを主張します。
①ドイツには、生産財や原料で賠償を行わせる。
②工業施設の撤収、機械設備の停止を行う。
すなわち、原料や生産財を徴発し、工業施設を稼働させなければ、ドイツは息を吹き返すことが二度とできないと考えたのです。
さすが、スターリンですね(笑)もっとも効率よく、国家を解体する方法を心得ているみたいです。
ところが、チャーチルはこれに反対します。
それは第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制で、ドイツに賠償を行わせた結果、ヒトラーが生まれたと考えたからです。
賠償という手段では、憎悪を生むだけであり、何よりイギリスの世論がそれを望んでいなかったからです。
スターリンは、工業を潰せば大丈夫と考えていたので、この部分についてはチャーチルと平行線を辿ります。
しかし、最終的には、アメリカ、イギリス、ソ連、そして今回ヤルタ会談に参加していないフランスを加えて四か国のもとで、ドイツは分割統治が行われることが決定しました。
その後、ドイツが降伏するとポツダム会談で、四か国分割統治が決定されるのですが、ここから水面下で見えない対立が生まれていきます。
アメリカやイギリスやフランスは、資本主義国としてドイツを管理します。ところが、ソ連は自国をモデルとした社会主義的な管理のもとでドイツを運営します。
ヤルタで決まった共同の分割統治は、ドイツの管理をめぐって、資本主義と社会主義が対立するひとつのきっかけとなったと言えるのではないでしょうか?




