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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
44/75

スターリン⑩ 民族丸ごと強制移住

ソ連邦内には、数多くの少数民族がいました。では、スターリン自身も、少数民族であったグルジア人でしたので、少数民族の気持ちが解る独裁者であったか?というと、そこは、全く違いました。


はじめに、ザカフカース共和国は、1936年にスターリン憲法が制定されると三つに分断されてしまいます。


※ザカフカース地方がピンとこない方は、前の講義録のコーカサス地方史をお読みください。


トルコ系イスラーム人が多数派を占めるアゼルバイジャン共和国、キリスト教アルメニア人が多数派を占めるアルメニア共和国、そして、グルジア共和国という形で分断を行いました。


この分断の目的は、宗教対立を煽って民族間で対立をさせることであり、ソ連の統治に対する不満を剃らそうとしたのです。


また、1937年以降になると、民族まるごと強制移住させるという政策を実施します。


歴史を遡ると、こういった強制移住は旧約聖書にもでてくるし、人類史上珍しい話ではございません。もちろん、スターリンもまたそれをやるのです。


具体的には、ソ連国家に反感を持ちそうな民族を丸ごと中央アジアのカザフスタンや極東シベリアの遠隔地に強制移住さていきます。


ターゲットになったのは、ザカフカースにいるチェチェン人やイングーシ人です。


チェチェン人やイングーシ人は、イスラム教を信仰する少数民族でしたが、1941年に独ソ戦が開始すると、中央アジアに強制移住させられるようになります。


また、沿海州に居住していた朝鮮人、クリミア半島にいたトルコ系タタール人、カスピ海に移住していたドイツ人も対象となり、これらの民族はシベリアや中央アジアへの強制移住が行われるようになります。


なお、スターリンは基本的に粛清や強制移住を行うときには、基本的に夜、寝込みの時間に行い、民衆に恐怖を植え付ける方法をとっていました。


こういった移住は、スターリンが死ぬまで行われ、今日の複雑な民族問題の引き金となっています。


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