閑話 コーカサス地方史②
前回のおさらいです。
19世紀になると、南下を進めるロシアがコーカサス地方を領有するようになりました。
そんなコーカサス地方ですが、ロシア革命の混乱に乗じて、ザカフカース(南コーカサス)が一時的にロシアから分裂します。
具体的には、1918年になると、アルメニア、アゼルバイジャンとグルジアの三国がザカフカース連邦共和国として独立を宣言しました。
ところが、ザカフカース連邦共和国は、建国後にイギリスやトルコの干渉を受けてしまいます。結果、すぐに三つの共和国に分裂してしまうわけですが、まあ、この辺はとても細かい話ですね。
重要なのは、ここからです。
その後、ザカフカース地域には、1920年からロシアの赤軍が入ってきてソヴィエト政権が樹立されます。
※同時にウクライナやベラルーシなどでもソビエト政権が次々と樹立されるのでした。
こうして、1922年にソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立しますが、この時のソ連には、ロシアだけでなく、ウクライナ、ザカフカース地方なども加わったことを覚えておきましょう。
※これ何度か強調して書いていますね(笑)
なお、この時のザカフカースは、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国という名前でソ連の構成国となるのです。
さて、何故、ザカフカースがソ連に組み込まれた話をしたかというと、ザカフカースがソ連にとっていろいろと意味のある地域だからということを語りたかったです。
特に、アゼルバイジャン。アゼルバイジャンの東端にはバクーという地域がございまして、なんと古くから油田が発見されています。
ペルシャ湾の石油が見つかるまでは、この地域が主たる石油の産油国だったのです。
従って、ザカフカース地方という拠点は、アゼルバイジャンのバクーを中心に、ソ連にとって重要な地域だったのです。
とても細かい話をすると、独ソ戦でもアゼルバイジャンは重要な地域となります。皆様は、ブラウ作戦というものをご存じでしょうか?
独ソ戦中、アドルフ・ヒトラーのドイツ軍は、ソ連の戦争継続能力を奪い、不足する自国の石油も確保するためにバクー油田占領を目的として、ソ連南部、ザカフカース地方へ侵攻しました。
これこそが、有名なブラウ作戦です。
ドイツ軍は1942年夏にはコーカサス山脈の中央部まで進出しました。
しかし、結局、冬の装備がないドイツは補給難になり、ソ連が盛り返してきたので、ブラウ作戦そのものは失敗します。
いずれにせよ、アゼルバイジャンのバクー油田はソ連にとってとても重要な地域でした。現在でも、資源の豊かさを背景に第二のドバイといわれていて注目されている地域なのです。
では、グルジアはどうでしょうか?グルジアもまた、鉱山で有名な地域です。グルジア中部にあるチアトゥラでは、コーカサス山脈で最大のマンガン埋蔵量を誇るマンガンの鉱山があります。
ここがソビエト連邦の構成国だった時代、マンガン鉱の採掘事業はとても栄えました。スターリン自身も、グルジア人であったため、この地域はとても重要視したのです。
また、ソ連時代のアルメニアは全ソビエトの分業体制に組み込まれ、産業の90%は軍需となりました。弾薬を製造するための化学工業、武器を作るための機械工業、軍服を縫製するための繊維機械などについて工場がたくさん作られます。
即ち、ザカフカース地方というのほ、ソ連にとって経済的に意味のある地域だったのです。
ソ連の発展を語るにあたって、ザカフカース地方はとても重要であり、スターリン政権の経済基盤となったのです。
※あんまり、ザカフカースについて、誰も深く語りませんよね。
語ったとしても産業面にフォーカスしてこのような解説をする試みは珍しいとおもいます。
この講義録のひとつの目的として、ザカフカースというマイナーな地域が、ソ連の発展にどのように関わったのか?実は語りたいことでしたね。まあ、教科書と全く関係ない話ですが。
しかし、そういう視点で学んでみると、ウクライナやザカフカースがソ連に組み込まれたということをより覚えやすくなると思うのです。
機械的に覚えることは簡単ですが、組み込まれた結果、歴史はどうなったか?歴史的意義を考えられるような講義録を作りたいですし、その部分とセットで暗記すると細かい知識が楽しく覚えられると思うのです。
以上。




