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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
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スターリン⑨ 北方領土問題の始まり

北方領土問題に入る前に、第二次世界大戦中の日本とソ連の歴史を見ていきましょう。


第二次世界大戦が勃発すると、1941年、モスクワで日ソ中立条約が結ばれます。条約の詳細は下記の通りです。


①日本とソ連の相互の領土保全および不侵略を約束する。

②ソ連と日本の一方が、第三国から攻撃された場合、 他方は中立を維持する。

③有効期限は5年とする。


ソ連がこの条約を結んだ理由は、日本とドイツに挟み打ちされたくなかったという理由が挙げられます。


※独ソ不可侵条約が結ばれた理由と全く同じです。ソ連は、日本とドイツに挟まれることを問題視したからこそ、独ソ不可侵条約を結ぶのでした。


一方、日本がこの条約を結んだ背景は、ノモンハン事件ですね。これは、日本軍とソ連による軍事衝突が発生した事件です。1939年に満州国とモンゴル人民共和国の国境付近で衝突が生じるのですが、日本軍が大敗しました。


敗北後の日本は、ソ連との戦争に消極的になり、北ではなく東南アジア方面に進出するようになります。


しかし、第二次世界大戦が終戦に近づくと、ソ連は秘密裏に対日宣戦を画策します。1945年のヤルタ協定で、ソ連が日本に宣戦することについて秘密裏に合意を得るのでした。※このときのソ連の名目は、世界平和のためとのこと。


そして、1945年8月6日、これは日本人にとって忘れることのできない日です。日本の広島に原爆が投下されます。この出来事が大きな出来事過ぎてみんな忘れてしまうのですが、その2日後、ソ連が何をしたかが、ロシア史及び日本史として重要なことなのです。※試験にはあまり出ませんが重要です。


なんと、ソ連は、同年8月8日になると、原爆で日本が混乱しているタイミングを見て、対日宣戦を開始します。日ソ中立条約を一方的に破棄したのです。


このとき、ソ連は朝鮮、中国東北部、樺太、千島に侵入してきます。その結果、当時居住していた日本人の多くが死亡し、60万人がシベリアに抑留されました。


また、8月15日以降も戦闘を継続し、日本の固有の領土である北方四島まで占領を開始するのです。


これこそが、今日、我が国で未解決となっている北方領土問題の全容です。スターリンの時代になって、生まれた問題ということを是非記憶の片隅にとどめておいてください。




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