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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
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スターリン⑧ 国際連合の成立と安保理における大国一致の原則

第二次世界大戦が勃発すると同時に、大国の中では、戦後の世界における秩序について議論が行われるようになります。


はじめに、1941年八月、ニューファンドランド島沖軍艦で、米大統領フランクリン=ローズヴェルトと英首相チャーチルが会談を行います。


これが、大西洋上会談です。


大西洋上会談では、国際連盟に代わる平和維持機構を設立することが提唱されます。


その内容をまとめたものが、大西洋憲章です。大西洋憲章は、今日における国際連合憲章の基礎理念になるのです。


更に、太平洋戦争が勃発すると、ソ連もこれを支持するようになります。


そして、1942年1月1日なると「連合国共同宣言」が行われます。ソ連を含めた26各国が、大西洋憲章を支持するのでした。


※同時に、連合国共同宣言によって、ファシズムと対抗する国々が連合国と呼ばれるようになるのです。


更に、1943年になると「モスクワ宣言」が行われます。


モスクワ宣言によって、アメリカ、イギリス、ソ連、中国の署名により、平和維持機構が必要ということが改めて宣言されるのです。


そして、1944年、ダンバートン=オークス会議が行われます。この会議はとても重要です。


会議には、アメリカ、イギリス、中国、ソ連が参加します。今日の国連の基本構想については、ダンバートン=オークス会議でほぼ決まるのでした。


具体的には、ダンバートン=オークス会議で国連憲章が起草されます。また、平和と戦争の問題に対処する安全保障理事会(安保理)設立が明文化されるのです。


しかし、安保理の議決をどうするのか?ということで、ソ連は多数決ではなく、全会一致を主張しました。


なぜ、このような提案をしたかというと、ソ連は唯一の社会主義国であり、どうしても議決が多数決の場合、ソ連にとって不利になると考えたのです。


(補足すると、当時、蒋介石率いる中国が会議に参加していたので、中国=社会主義勢ではありませんでした。だから、中国もいたけど、社会主義陣営はソ連だけでした。)


こうして安保理の議決を巡って、イギリスやアメリカやソ連と一時的な対立が生まれます。


しかし、最終的に、このソ連の主張は1945年2月のヤルタ会談で認められることになります。


※皆様、ヤルタ会談はご存じですよね。ヤルタ会談にて、戦後のドイツの分割統治も決定されたことは有名だと思います。ここから東西冷戦が始まりましたからね。その話は、冷戦の時に詳しく話す予定なので割愛しますが、ヤルタ会談で安保理の議決についても話し合われたことを知っていてほしいです。


それから、1945年4月にサンフランシスコ会議にて、国際連合が成立しました。


これこそが、今日我々が知る国際連合成立の歴史ですが、安保理における大国一致の原則というのは、スターリンが関与していたということを是非覚えてください。

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