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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
39/75

スターリン⑦ 第三次五ヵ年計画とヒトラーの侵攻

スターリンは、1938年になると第三次五ヵ年計画を開始します。


その少し前に行った第二次五ヵ年計画により、スターリンの目指していた社会主義建設はある程度形になりました。


では、第三次五ヵ年計画で何を計画したかというと、ナチス=ドイツの脅威に備えようとしたのです。


これによって、重工業に再びフォーカスを行い、軍備の増強を行います。また、ウラル=シベリア地域の開発に着手しました。


実は、このウラル=シベリアの開発こそが、第二次世界大戦におけるロシアの運命を決定づけるのです。それについては、後程詳しく語ります。


この第三次五ヵ年計画を踏まえたうえで、第二次世界大戦の話に入りたいと思います。


まず、第二次世界大戦が勃発すると、ヒトラーはヨーロッパ各国に侵攻し、イギリスにも侵攻を開始します。


当初、イギリスは、ドイツ空軍による空爆に苦しめられます。


しかし、イギリスではレーダーが開発されると戦況は一変します。


イギリスは、ドイツ空軍の位置がレーダーで察知できるようになったので、ドイツ空軍に猛攻を開始するのでした。


このイギリスの反撃によって、イギリス上陸に失敗したヒトラーは、ソ連を侵攻のターゲットに変更します。


そして、ドイツは1941年6月にソ連侵攻戦を開始します。開戦からすぐに、ドイツ軍は、得意の電撃作戦で破竹の勢いで攻めていきます。


その時のドイツ軍は、なんと、総兵力550万人でした。しかも、ソ連は分が悪いことに、粛清によって赤軍の優秀な指揮官の大部分を失っていたのです。


※赤軍はトロツキーが立ち上げた軍隊だったからこそ、スターリンは徹底的に粛清してしまったのです。


こうして、ドイツが侵攻を開始するとソ連軍は、最初の一ヶ月で30%撃破されてしまいます。


この戦況を見ていたヨーロッパ各国は、ソ連が敗北するものだと皆思っていました。


しかし、ソ連は敗北しなかったのです。


なぜソ連は勝てたのか?それは、天候のおかげです。


ドイツにとって不運だったのは、ドイツが侵攻を開始した時、10月になると例年よりも早く雪が降り始めました。


そして、その時の気温は-20度から-30度となり、冬用の装備を準備しなかったドイツ軍の侵攻が止まります。


そんな中で、ロシアは冬の戦いに熟達したシベリア部隊を投入します。


しかも、シベリア部隊はウラル=シベリアで開発された軍事兵器を戦争に持ち込みました。


※第三次五ヵ年計画でウラル=シベリアを開発しなければ、負けていたかもしれません。


これによって、ドイツ軍は敗北します。ナポレオン同様にドイツはロシアの冬将軍に勝てなかったのです。


歴史は繰り返すという言葉がございますが、歴史が繰り返した瞬間だったのです。

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