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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
38/75

スターリン⑥ 独ソ不可侵条約の成立

反ファシズムを掲げて、西欧との関係改善に力を入れてきたスターリンでしたが、1939年になると世界に衝撃を与える出来事が起きます。


それが、独ソ不可侵条約です。スターリンとヒトラーは一時的にですけれども、手を結んだのです。


ソ連は、これまで西欧と仲良くしようとしてきたことをお話ししましたが、何故でしょうか?

それは、イギリスやフランスに対する不満がきっかけとなっています。


まず、イギリスは宥和政策によって、ドイツを刺激しない外交方針に転じていました。


また、イギリスとフランスはソ連抜きでミュンヘン会談を行います。


ミュンヘン会談は、ヒトラーとムッソリーニとフランス首相ダラディエとイギリスのチェンバレンが参加した会談です。


ドイツが、チェコスロヴァキアのズデーテン地方併合を要求したことがきっかけで開催されます。


チェコスロヴァキアにこれ以上進軍しないように、イギリスとフランスはドイツに呼び掛けました。


会議の結果、ドイツのズデーテン地域併合を認め、これをドイツの最後の領土要求とすることを決定しました。※なお、結局ドイツは嘘をついていて、この約束は破られます。


こうした中で、スターリンは対ドイツを考えたときに、英仏は信頼できないと考えるようになります。


では、何が最善なのかと考えたときに、ドイツと一時的に仲直りすべきと考えるのです。


特に、ソ連はドイツと日本に挟み撃ちされることを恐れていました。※当時、日本は満州国を事実上支配していたので、関東軍が満州を拠点として攻めてきたら挟み撃ちにされてしまうのでした。


従って、スターリンは独ソ不可侵条約を結ぶことで、挟み撃ちの危険を避けようとするのでした。


※ちなみに、ヒトラーも西にイギリスやフランスがいて、東にソ連がいることを恐れて独ソ不可侵条約を結ぶのです。


こうして、独ソ不可侵条約が結ばれます。そして、独ソ不可侵条約では、エストニアとラトヴィアをソ連の勢力範囲とすること、ポーランドをドイツ、ソ連で分割することが決められたのです。


そして、時代は第二次世界対戦へと突入するのです。



独ソ不可侵条約では、秘密付属議定書が結ばれます。

これによって、ヒトラーとスターリンの勢力範囲が決定するのです。


第二次世界大戦は、ドイツのポーランド侵攻をきっかけとして始まりますが、同時にソ連もポーランド東半に侵攻します。


また、ソ連結成時に併合できなかったバルト三国を併合したり、ソ連=フィンランド戦争を行ってフィンランドに侵略します。


将来のドイツ侵攻に備え、フィンランドを併合すれば、レニングラードを防衛する拠点ができると考えたのです。


結果、ソ連は国際連盟から除名されます。

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