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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
37/75

スターリン⑤ 第二次五ヵ年計画やスターリン憲法など

スターリンは、第一次五ヵ年計画によって、重工業の発展を目指しました。


これにより、工業化を急速に進めることができた一方で、多くの農村を荒廃させてしまうという結果を生みました。


そんな中で、スターリンは1933年から第二次五ヵ年計画を実施します。


第一次五ヵ年計画との違いは、重工業以外の基礎産業の発展にフォーカスした点であり、特に、軽工業の発展にも注力した点が重要です。


また、農業の集団化も再び進めます。そして、第二次五ヵ年計画を実施すると、農民の93%が集団農場であるコルホーズで働くようになります。


結果として、工業化が更に進み、農業も集団化を達成し、スターリンの理想とした社会主義国家が漸く出来上がったのです。


そんな中でスターリンは、反ファシズムを掲げ、西欧諸国との関係改善も進めていきます。


例えば、1933年になるとアメリカにソ連を承認させます。※このときのアメリカ大統領は、民主党のフランクリン=ルーズベルトでした。


1934年には、日本とドイツが国際連盟から脱退すると、ソ連が国際連盟に加入します。


※ただし、ソ連は1939年にフィンランドに侵略を行うことがきっかけで後に国際連盟から脱退させられます。


そして、これが特に重要です。1935年になるとコミンテルン第七回大会が開かれます。


従来、この大会では、ブルジョワ民主主義の打倒を掲げてきましたが、第七回大会は違います。


各国の共産党に、民主主義勢力と協力しましょうということを呼び掛けました。そして、反ファシズムを掲げる「人民戦線」を形成することを呼び掛けたのです。


こうして、反ファシズムを進めていくと共に1936年になると、スターリン憲法という憲法を制定します。


簡単に内容を紹介しましょう。


スターリン憲法では、「ソ連が社会主義建設が完了した国家である」ことを宣言しています。


また、「ソ連共産党こそ、指導の中心」であることを明記し、一党独裁体制を継続します。


更に、「社会主義発展のために言論や集会や教育、更には労働の自由」を認めました。


え??と思われた方へ。


この憲法で自由を認めていますが、スターリン政権下に自由などございませんでした。


これを作った動機は、ソ連の社会主義建設が完了したことを示し、スターリン独裁体制の完成を示すと共に、ソ連はまともな国ですよー(笑)ということを対外的に発表することでした。


特に、当時のソ連は、ファシズム国家という対外的な驚異に晒されていましたので、諸外国にソ連を認めさせて、西欧諸国との関係を改善しようとしていたのです。


そんな中で、この憲法を制定した目的は、西欧諸国との連携強化であったと考えるべきでしょう。


こうして、スターリンの理想とする社会主義建設を成し遂げ、更には反ファシズムのために西欧諸国との連携を深めていきました。






ビジュアル世界史では、スターリン憲法によって、スターリンは社会主義の勝利を宣言したと伝えられています。


また、スターリン憲法の本文にありますように、スターリン憲法によって、スターリン独裁体制が完成したという風に考えられます。


以降の歴史では、独裁体制を完成させたスターリンが第二次世界大戦に突入するのです。

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