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世界史講義録 ロシア史への誘い  作者: 鸛
ロシア史基礎編
33/75

スターリン① レーニンの後継者争いとレーニンの遺書

レーニンが脳梗塞になったころから、スターリンと革命の英雄トロツキーにより、党内争いが勃発します。


スターリンは書記長という地位を利用して、自分に反対する勢力をどんどん更迭し、反対勢力を徹底的に排除していきます。


しかし、レーニンは死の間際に下記のような遺書を残します。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


(引用)

 同志スターリンは、党書記長となったのち無限の権力を自分の手に集中したが、わたしには、彼がつねに十分慎重にこの権力を行使できるかどうかについては、確信がない。


他方、同志トロツキーは、交通人民委員部の問題をめぐっての彼の中央委員会に対する闘争が既に証明したように、卓越した才能という点で抜きんでているだけではない。


個人としては、彼はおそらく現在の中央委員会のなかで最も有能な人物であるが、しかしまた、あまりに自分を過信し、物事の純粋に行政的な側面に過度に熱中しやすい。


 現在の中央委員会のこの二人の卓越した指導者のこのような二つの資質は、ふとしたことで分裂をもたらすことになりかねない。


そして、もしわが党がそれを妨げる措置をとらないならば、分裂が不意におとずれることになるかもしれない。……」


中略


スターリンはあまりにも粗暴である。そして、この欠点は、われわれ共産主義者の仲間うちや、交際のなかでは、十分我慢できるものではあるが、書記長の職務にあっては我慢できないものになる。


だから、スターリンをこの地位から更迭し、ただ一つの長所によってほかのあらゆる点で同志スターリンとは異なるべつの人物、すなわち、もっと辛抱強く、もっと誠実で、もっと丁寧で、同志にたいしもっと親切で、彼ほど気まぐれでない、等々の人物をこの地位に任命する方法を熟考することを、わたしは同志諸君に提案するのである。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この遺書は、スターリンによってなんと握りつぶされます(笑)


※ただし、スターリンの死後、フルシチョフが行ったスターリン批判で遺書の内容は公になります。


更に、トロツキーが葬儀に参加できないように工作して、スターリンがレーニンの葬儀に大々的に参加します。


その目的は、「自分こそスターリンの後継者である」ということを示すことでした。


そのあとは、トロツキーも国外追放してしまいます。こうして、スターリンの時代になり、共産党は一党独裁体制から個人独裁体制に変化していくのです。


※ちなみに、トロツキーの追放が1929年であり、スターリン政権開始も1929年です。





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